3週目:普通の軽トラック

揃いだったはずの黒いパーカーは、ベルとみかんの手によってあっという間に不揃いにされてしまった。背面にこれでもかとリンジーには全く読めない文字の羅列が書かれ(タカミネは何故だかすらすら読めるのだ。パターン化できるから意外と簡単だ、とか言っていた)、幼魚が真剣に描いただろうコンビニで店員をする各位の絵も描かれた。誰が誰のものかはすぐ分かるようになったが、仮にも制服がこんなに雑な扱いでいいのか。いや、雑と片付けてしまうのは幼魚に悪い。そう思いながらパーカーに袖を通した。背面にベルの字で『あるかーるかすいぞくかん』と書かれたらしいそれは、ポケットの辺りにみかんによるリンジーの顔が描いてある。やたらに穏やかに見える顔で。

「……」
「ッス」
「よう」

今この場においては同僚となってしまった男が、なんとなく気まずい顔で店に現れる。そりゃあ気まずい顔もするだろう、この男は前科ありの誘拐犯だ。残念ながら法律では人魚は物扱いだったので、正確に言えば窃盗犯だ。盗んだ人魚にこれでもかと好かれて、挙句しっかり夜を共にしアルカールカの人魚を一匹増やした男だ。それがリンジーの抱いているジョン・ブラック像だし、当たり前だが彼のことは欠片もよく思っていない。むしろ恨みばかりがある。

「……えっと、今日は……」
「タカミネもいるよ。お前と二人なんてまっぴらごめんだ」

人魚がいるところでは当然ながら、こんなことは言えない。ひとの言葉を完全に理解するどころか自在に操る彼女らの(特に大きい方の)前で言った日には生命の危険が大変に危ない。骨が綺麗に折れるのならまだいい方だ。

「……そっすか」
「いくつ生命があっても足りない」

ただでさえ人魚に嫌われているリンジーは、常に人魚の殺気に晒されながら店舗に立っていると言っても過言ではなかった。とにかく隣に立たれるのも嫌らしく、声を封じられていなければ何をされていたかわからない。唸り声をあげたり、不満げにぴいぴい鳴きながら商品の入った段ボールをクソほど乱雑に扱うので、ジョンから直々に注意してもらったら秒で直った。それだけは感謝している。

「ちーっすお待たーせ!!待った?どう?待った??」
「待った」
「めちゃくちゃ待ってました」
「あっまたーどうせアレだろ。この場の空気が悪すぎたので俺の登場に圧倒的感謝ってやつ」

リンジーはジョンのことが嫌いだ。ジョンはそれを察しているのだろう、リンジーの相手をする時は常に伺うような目を向けてくる。
この二人のちょうど間に挟まれて緩衝材になるのがタカミネだった。元からムードメーカーの素質はあるし、リンジーとは前々から仲がいいし、ジョンのことを犯罪者呼ばわりして跳ね除けたりもしない。

「否定はしない」
「その通りです」

タカミネは肩を竦めるだけだった。
リンジーが譲らないだろうことも分かっているし、ジョンがかつての過ちを反省していないわけではないことも知っているのだ。それでいて相容れないのなら、もはや諦めるほかはない。

「まあまあーそれは大いに結構なんだけど場の雰囲気がアレになるのはノーサンキューだからリンジー」
「何だ」
「譲歩」
「……ま、まあ……」

タカミネがそう言うなら。軽く人のせいにして、リンジーは店に並ぶ品物に目を向けた。どう考えてもコンビニに並べるラインナップではないものが混ざっていることからは目を背けた。海鮮丼はまだ辛うじて理解ができるのだが、見るからに身体に悪そうな棒付き飴とか、空の段ボール箱とか、――軽トラックとか。
軽トラックをまじまじと眺めてからついと横目でジョンを見やると、気まずそうに目を逸らした。心中お察しするしかない。

「コンビニらしくねーよな」
「トラック入れたのお前だろ」

咳払いが一つ。
わざとやっているのだろうことがありありと見える顔で、タカミネは軽く手を叩いた。経験者だから、と任せていたのは実は良くなかったのではないかというのと、やったことないから任せると言ったのは自分なので今更首を突っ込むのも、というのが盛大に喧嘩をしている。

「まあ。ここいらでひとつどうだろう、コンビニらしいコンビニにするのにやっぱりさあ、アレを並べるべきだと思うんだ」
「アレ」
「アレ……?」

確実に需要はあると思うんだ、と。いたく真剣な顔で言うタカミネに、二人は思わず息を呑んだ。
それを瞬時に後悔することになるのだが。

「リア充どもを狙い撃ちにしていく!夜の必須アイテム!そう、コ」
「タカミネ」
「タカミネさん」

この瞬間だけは、びっくりするほど息がぴったりだった。
率直に言っておまえは何を言っているんだ。いくら常に夕暮れ時で、子供はお家に帰る時間だみたいな世界だとしても、言っていいことと悪いことがある。
何よりこのコンビニには子供がいるのだ。魚だけど。

「お前正気か」
「俺はいつだって正気だ」
「いやタカミネさん、それはダメだと思うんですよ、ほんと、俺達だけだったら良かったのはありますけど」

しつこいようだがこのコンビニには子供がいるのだ。

「いやでもさあ!!鉄板じゃん!!あまりにも鉄板じゃん!!コンビニで!買うの!!そうじゃないのリア充!?」
「タカミネ。率直に言ってくたばれ」

ジョンが俯いて笑いをこらえているのがよくわかった。このクソ童貞本当に救いようがないし、それだから童貞である気がする。あとは本当にしつこいようだがこのコンビニには子供がいるので、いい加減この話題は切り上げたかった。
ふっとあらぬ方向を向いたジョンが、小さく呻くような声を漏らした。視線だけそっちにやる。橙色の髪がチラついた。子供の声がする。

「ねえねーえ」

すっと血の気が引く。いつからいた。
さすがのタカミネもそれは同じようだった。彼はまずいと思った時、すっと斜め上を見る癖がある。

「どーてー?ってなあに?」

聞かれていた。純真無垢な目が三人の男たちを捉え、ただただ気まずいだけの時間が流れていく。
どうして誰も答えてくれないのか。幼魚は、自分がまずいことを聞いたとも思っていないのだろう、興味に満ちた明るい顔が男たちのMPを確実に削り取っていく。
誰が一番最初に口を開くのか――すなわちこの場の責任を負うのか、視線だけの牽制がしばらく続いた。ふと思いつきがあったリンジーは、責任を負う気はさらっさらないのだが――みかんの頭に手を置きながら口を開いた。撫でた傍から、幼魚は頭に手をすり寄せてくる。

「称号の一つだよ」
「しょーごー」
「タカミネの持ってる称号だから、タカミネが詳しく教えてくれる」

丸投げした。必殺技だ。誰かに思いっきり刺さる。
押し殺した苦悶の呻き声と笑い声が同時に聞こえてきて、リンジーは思わずそのうちの片方を鼻で笑い飛ばした。無論それは、今ターゲットにされた方だった。

「リンジー」
「何だ?さっきまで散々言ってたんだから分かるだろ?」
「そうじゃねえ本当にそうじゃねえマジ……マジお前……」

いろいろな意味で限界が近い。
耐えかねたのか、ジョンはみかんを抱き上げてタカミネに救いの手を差し伸べる。

「……みかんにはまだ早いからな……向こうで遊んでよっか」
「あっテメージョンブラックこういう時だけ父親面しやがって!!」

小刻みに首が横に振られているのは、それが理由ではないからだろう。父親面したいわけじゃない。そうじゃない。この場から逃げ出したいだけだ。あまりにもひどすぎる話題のこの場を!

「わーった!!あそぶ」
「あっトラックは触んな」
「なんで?」
「俺が嫌だから……」

あと変な色した飴も駄目、海鮮丼は食べるものだから遊ぶな、そう言われた幼魚は最終的に羽根布団をもふもふして遊んでいた。
静かになったと思ったら父親と揃って寝こけている姿が発見されて、飼育員二人はひとまずは胸を撫で下ろした。この様子だと質問責めにされたわけでもなさそうで。

「いやー一件落着ってやつだよね」
「正気か」
「俺はいつだって正気だって言ってるじゃんリンジーくぅーん」

呆れた緑の目。目を合わせてこないのは、自分のせいなのを理解しているからだ。反省しているようにはとても見えないのだが。

「……タカミネってさ、」
「んあ?何?」
「……コンドームで水風船作って遊んだことあるタイプだろ」

あまりにも率直に口から出てきた言葉に、タカミネは全く逡巡することなく答えた。それも堂々と。

「あるよ!!複数回ある!!あれめっちゃ伸びるしなんならキッチン水浸しにしたことあるわ」
「だろうとは思ったけど馬鹿かお前」

自分の知っているタカミネはここまで童貞を拗らせていなかったような気がするが。何度も上がり込んだ彼の部屋のキッチンなのか、それとも引っ越してくる前か、まではさすがに邪推にも程がある気がして、口を噤んだ。
結局水浸しにしたのは実家と今住んでいる家のキッチンという情報が勝手に耳に入り、深くため息をつかざるを得なかったのだが。

「いや……買ったのはいいけどおシコり申し上げる時にしか使わないしそれすらも忘れるしでそしたら遊ぶじゃん……遊ばない……??」
「馬鹿である以前に童貞だ……って強く思ったし遊んだことはないな……」
「マジくたばれリア充」