4週目:干物プリントTシャツ

ノアは、目の前の光景に呆れる他なかった。
リンジーとタカミネが親友同士(というかもはや悪友では)なのはよく知っているし、ジョン・ブラックが特にリンジーに強く出ていけないのもよく知っているけれど。

「なんですかこの惨状」

惨状。前にも見たことがあるようなデジャヴ。
タカミネとリンジーと、それからついでにジョンが囲んでいるのは、よくわからない図案の書かれた紙束だった。Tシャツの形が見えた。
Tシャツのデザイン案を出し合っているのはよく分かるのだが、柄の図案が全体的にどうかしているとしか言いようがなかった。おおよそ悪ノリをしているのはタカミネだろうし、こういうときリンジーは一切タカミネを止めない。そういうところ悪友なんだよ。部外者のジョンは良心こそあれど行動力がないというか、現役飼育員に詰め寄られてノーと言えるほど肝が据わっているわけではなさそうだった。つまり今この場にはツッコミ役が完全に不在だ。出てきたくなかった。

「惨状ってお前さあ」
「全然惨状じゃない」

部外者が助けてくださいという目を向けてきている。ですよね。知ってた。

「惨状以外にどう表現しろと言うんですかね」

率直に言ってクソである。ダサセーターならぬダサTシャツだ。逆立ちしても着たくはないデザインが並んでいる。よくもまあここまでクソみたいな柄を出してこれるな、と真剣に思う。タカミネのセンスはどうなっているんだ。

「まーたまたぁー。ノアくん見る目が無いんじゃない」
「ブーメランで助走つけて殴っておきますね」
「気持ちはわかる……俺もめちゃくちゃ殴りたいしな……」
「リンジーさんなんで止めないんですか?」

そう聞いたところで帰ってくる答えは知っているので、ノアは大きくため息をついた。どうせ面白そうだから以外の言葉は返ってこない。彼はそういう人間だし、タカミネが彼の言う『面白そう』の供給源のほぼ唯一であることも知っている。
ノアはリンジーに研究室の先輩として1年と少しばかり関わったが、その時この人は笑うことがあるのか?と思っていたくらいだったので、その頃に比べたらマシな人間になっているのかもしれない。が、悪ノリが過ぎるというか、この悪ノリのデジャヴはそうだ。アルカールカ水族館でもあったことだ。おみやげコーナーに新規で置く商品の案を出すときにもタカミネがクソのようなTシャツの柄を提案してきたのだ。その時は確かリンジーの提案してきた人魚のデフォルメイラストの方が通って、アルカールカ水族館おみやげコーナーにクソTシャツが並ぶことは回避されたのだ。その時の良心を取り戻して欲しいのだが。

「……いや……面白そうだし、アルカールカのときは俺の案を通したし、いいかなって……」

ダメそうだ。

「いやいいかなって。いいかなって何ですか言語習得できてますか?大丈夫ですか?頭正常ですか?よくないですよ欠片も。嫌ですよクソTシャツの並ぶコンビニって」
「軽トラが並んでる時点で駄目だと思うしそれに比べたらTシャツの1枚2枚……」

正論にも程がある言葉をリンジーに投げられ、ノアは閉口する他なかった。近隣のコンビニもそうだが、このアルカールカ水族館夕闇国支店(コンビニのくせに水族館を名乗っている時点でもう駄目そうな気はしていた)、刺身に海鮮丼にあと魚臭い箱に、いやここまでは水族館と名乗っているからまだいいのかもしれない、虹色に輝く飴(いい加減棚から下げて欲しい)に追撃を加えるように布団、それを勢い良く轢き殺してまだマシに見せてくるのが軽トラックだ。

「コンビニにパンツとか置いてるくらいだしTシャツくらいセーフだろう」
「パンツ今関係ないですよ」
「クソ柄のパンツ売り出しかねないから口を慎め」
「いや最初に言ってきたのリンジーさんですよね今」

ダメだ。この場にいる限りでツッコミ役からは逃れられそうにない。何とかして誰かにツッコミ役を引き継いでもらいたいノアは、すっとジョンの方に目を遣った。バックプリントにでかでかと『干物』と印字されたTシャツを着た幼魚と遊んでいる。目眩がした。

「タカミネさん」
「ん?」
「ひとつお伺いしても」
「いいよ」

眉間を指でぐりぐり揉みつつ、状況の把握を試みた。ジョン・ブラックはこの場から逃れるために幼魚と遊んでいる。その幼魚は見るからにクソTシャツであると主張するクソTシャツ(しかもサイズが大きい)を着ている。この場で行われているのはTシャツの図案決定の会議のようだが。

「作りましたね?クソみたいな柄のTシャツ」
「作った」
「なんでぴちぴちの幼魚に干物Tシャツ着せてるんですか……せめて寿司とかにしましょうよ……」
「突っ込むとこそこなの!?」

時すでに遅し、ということであろう。幼魚が着ているのは試作の製品だ。きっと。
このコンビニが始まってすぐ、タカミネは商品開発と接客に真っ先に手を挙げた。水族館内では彼が唯一のコンビニバイト経験者だったので誰も異論は唱えなかったが、冷静になると普通コンビニバイトは商品開発はしない。
寿司Tシャツを着る人魚と干物Tシャツを着る人魚、果たしてどちらが良かったのだろう。今となってはもはや分からないし、分かろうとも思わない。

「ちなみにリンジーさん」
「ん」
「干物と寿司だったらどっちがいいと思います?」
「……俺は寿司の方が好きかな……」

食の話をしているのか、柄の話をしているのか分からない。それでもノアは確かに、机の上に無造作に散らされた図案の中に、寿司Tシャツの図案も見たのだ。つい口に出さずには居れなかった。

「人魚って赤身なんですかね。白身じゃなさそうですけど」

更に続けて、素朴な疑問が口をついて出る。ここにいる人魚飼育部誰もが一度は思ったことがあるし、何なら真剣に議論をしたこともある。
色じゃ判別がつかないからもうヘモグロビン量の分析かけろよ、と技術のない頃のデータにキレたり、まだ小さかった頃のベルの写真を眺めて終わったような記憶もある。結局真偽は定かではないし、恐らくこの先明らかになる機会もないか、あっても相当先だろう。

「瞬発力もあれば持久力もある。速筋と遅筋のハイブリッドだろうからまあ……でも赤身扱いかな……」
「サーモンみたいな感じっすか?」

唯一の一般人がすっと零した言葉に、飼育員三人の視線が一斉に集った。
ジョンが何かまずいこと言いましたかと狼狽えるより早く、そんなことも知らんのかという顔のタカミネが口を開く。

「は?鮭は白身だよ」
「えっ?」

一般人が目を丸くしていた。無理もない。
そこに寄って集ってくる飼育員三人も、一言で言えば大人気ないのだが、もはや止める人はいない。ツッコミ役を放棄したノアも悪ノリを始めればどこまでもリンジーとタカミネについていくタイプだし、一人だろうとジョンではどうしようもできないというのに三人もいる。ツッコミ役不在、というより、ツッコミ役の押し付け合いを制したノアは、晴れやかな笑顔で知識をひけらかす。ごもっとも彼はもう少しテンションが上がらないと目が開かないタイプの人間なので、そういつもと変わらない顔ではあったが。

「あれは餌のせいで赤くなってるんで白身枠ですよ」
「エビとかカニとかの色だよ。だからこう……赤身より固いだろ、身が」

リンジーが少しばかり噛み砕いた解説を付け加え、その後ろで特に何もしていないタカミネが頷いている。どうにも説明がしっくり来ないジョンは、そもそも魚自体をあまり食べない人間だった。率直な言葉が溢れる。

「魚生で食ったことないんでちょっとわかんないです……」

再び集った三人分の飼育員の視線は、先程とは違う、明らかに不思議なものを見る目だった。三人分の奇異の視線。萎縮するしかない。

「水族館に?いるのに?モグリか?」
「人魚と一緒に海鮮丼食べてませんでしたっけ?」

水族館にいるからって魚生食未経験はおかしいみたいな理論がおかしいことに気づいて欲しい。あとここは水族館ではない。水族館の名を冠したコンビニだ。
にわかに騒がしくなってきたのを察知したのか、この水族館のメイン鮮魚……いや人魚が二匹ともこちらを見ている。ジョンを助けてくれそうな気配は、欠片もない。明らかに楽しまれている。

「具は全部取られました!」
「おい海鮮丼持って来い。ベルすけー!!海鮮丼!!」
「商品ですよね!?」

コンビニに海鮮丼がある方がおかしいのでは。そんな叫びは発する前に飲み込む他なかった。トラックを置いている時点でもう何も言えないのだ。まだ海鮮丼のほうが弁当っぽいのでマシなくらいだ。

「よし。今ならカツオもついてくる」
「醤油買ってきましょうか」
「頼む」
「待ってなんでおかしいだろこの展開」

気づいたらにこにこ顔の幼魚が、カツオの刺身を持ってきて立っているのだ。これは断れそうにない。あっ目の前で一切れ食われた。それもめちゃくちゃ美味しそうに。

「おとーさん!たべる?」
「……。……食べる……」

この幼魚、手は洗ってくれたのだろうか。刺身が手づかみなんだが。
しかしもう、ジョンには覚悟を決めて口を開く以外の選択肢は、残されていなかったのだった。