Day8:そのころアルカールカでは-1

アルカールカ。それは人魚が作った海の国。
人の手で虐げられていた海を取り戻し、海を取り戻した英雄――……あるいは、殺戮の限りを尽くし、人を海から追い出した暴虐の女王――……そのどちらとしても語られる、女王ベルテットメルフルールの下、緩やかに、しかし確実に発展し続けている。

「いやァ、とんでもないことになったね。いろんな意味でね」
「隊長なんであんなん食えるんですか」
「気合かなぁ……それかもしかしたらスカベンジャー系のなんかの血を引いていたのかもしれない……」

アルカールカ海底騎士団第二十二小隊は、ライニーシール・トリアキスが隊長に任命されて以来、全く前例のない危機を迎えていた。
第二十二小隊に配属されてまだ2年も経たない、なんなら彼より下にはまだ誰も配属すらされていない(――今年は二十番台に流れてきた「どうしようもないやつ」が少なかったのだ)、新人と言っても過言ではない、キノイーグレンス・リーガレッセリーが行方不明になった。
しかも、行方不明になって数週間経った後、突然本人を名乗る手紙が届けられたのだ。それも差出人は異なっており、さらに言えばテリメイン――アルカールカにおいては存在すら疑わしい果ての海域――から届いた手紙は、騎士団の一行をざわつかせるのに十二分な威力を発揮した。
手紙は確実に本人の筆跡で、含まれていた魔力波長も本人のものであると判明したのはいいものの、手紙の内容はあまりにも理解し難いものであった。

『脱獄したアビス・ペカトル912番と行動を共にしており、また自分もアビス・ペカトル912番は、魔術で紐付けされているため離れることができない』

そう、アビス・ペカトル912番と言えば、数週間前にアルカールカ全海を震撼させたと言っても過言ではない脱獄者だ。
できてから破った者のいない深海牢を脱獄し、さらにほとんど形跡を残さず忽然と姿を消した、船沈めのネーレーイス。残されていた魔法陣は証拠隠滅のためか一部が断ち切られており、行き先を判断することは著しく難しくなっていた。数週間経った今とて、未だに解析は終わっていなかったはずだ。

「にしてもですよ、まさかあのテリメインだなんて」
「そうだよなあー。たぶん現地産だろう香辛料は俺達の胃にただひたすらダメージを残した……いやあめちゃくちゃ刺激的な味だった。それこそ天に昇るような」
「それは死にかけたっていうんだと思います?」

テリメインの探索者だという一人の女性(――というのは、書かれていた名前から判断している。ミルフィーユ、という名前の男性はそうそういないだろう)曰く、手元に流れ着いたボトルシップメッセージの中身が、この手紙だったのだと言う。
状況が本人の言うとおりならば、アビス・ペカトルの目を盗んで何かしらの行動を起こすのは不可能なはずだ。脱獄した罪人が、わざわざこちらに連絡を取りたがるようなことはまずあるまい。余程の愉快犯でなければ。
手紙の内容は簡素だった。長い文章を綴れなかっただろうことは、容易に想像ができた。しかしそれを海に流すとは、アビス・ペカトルの手に渡る可能性は考えなかったのだろうか。賭けていただろうことは分かるが、今ひとつ危機感というか、想像力が足りない。

「……じゃあまあ、俺は行ってくるんで……死なないことを祈っておいて……」
「ライニーさんで死ぬわけないでしょう」
「もうすでに精神は死んでるから。じゃあ引き続きよろしく」
「了解です」

連れ立って泳いでいく部下たち数人は、先日手紙と一緒に届いた差し入れを食べなかったか、食べて無事生還した猛者かの二択だ。
ミルフィーユ・オ・シューノワールという人間(だということにしておく)、最大限オブラートに包んだ言い方をすると、料理があまりにも個性的である。つまり、致命的においしくない。なので今日の第二十二小隊は、平時の四分の一ほどの人員で動いている。

「ハァーアァ……」

気が重い。第二十二小隊の隊長になってから今までで一番気が重い。
まさかこんな日が来ると思っていなかっただろうし、それは向こうも同じだと信じたかった。





指定された場所は、よりによって女王の城内部の一室だった。二十二小隊なんていう末端にいればまず普段入ることのない場所だし、ライニーシールは城の中の雰囲気が好きではなかった。
良くも悪くもつくりものの中にいる感覚は、何度立ち入っても慣れない。

「……」
「失礼します」

凛とした女の声がする。ゆらゆらと適当に鰭を揺らしながら椅子代わりの岩に腰掛けていた姿勢を、慌てて正した。

「第二十二小隊隊長、ライニーシール殿。此度は突然の呼び出しに関わらず、応じて頂き感謝します」
「いいえこちらこそ。騎士団のウミツバメと名高い貴女様のお呼び出しとあらば、末端の我らは陸のツバメより速く飛んでまいりますともね」
「私、ウミツバメって呼ばれるのあまり好きではないのよ」
「これは失礼。綺麗な花には毒があるとか言うじゃないですか」

三つ編みにした深海色の髪が揺れている。金色の目は、1ヶ月ほど前に忽然と姿を消したそいつによく似ていた。
リッセアスカニア・リーガレッセリーは、アルカールカ海底騎士団第三小隊に所属する、リュウグウノツカイの型を持つ深海人だ。その名の通り、行方不明になっていたキノイーグレンスの姉にあたる。
リーガレッセリー家の名に違わず容姿端麗であり、そして頑健さと速さを兼ね備えた騎士団の華。騎士団に所属するメスの深海人の中では最も小さい番号の小隊に所属している、エリート中のエリートだ。
リーガレッセリー家は、騎士団に入ってくる人があればそのほとんどが一桁の番号の小隊に配属される、騎士のエリート家系だ。騎士団で名を知らぬものはいないと言っても過言ではない。そのエリートが連なる中、堂々と騎士団の末端にいるキノイーグレンスは、精神面がエリートなのかもしれない。新人の名簿を見て目を疑ったのは記憶に新しい。

「お察し頂けているかとは思いますが」
「……キノイーグレンスのことですよね?ああ、呼び捨てにするのをお許しください。リッセアスカニア殿の弟君とはいえ、自分の部下ですから」
「ええ、構いませんわ。私のことも呼びやすいようにお呼び下さいませ」

さて。わざわざエリート中のエリートである彼女が、騎士団の中で見たら末端の使いっぱしりについて、わざわざ話すことと言えば何だろうか。ライニーシールは身構える。
リッセアスカニアは僅かに目を伏せ、そして静かに語り始めた。付随して細かな泡が立ち上っていく。

「あまり良くない動きになっているのです。いえ、騎士団の中で見たら当然やもしれませんが、私は騎士である以前に身内です。ですが、かと言ってあまりそれを表に出して動くこともできない立場」
「……でしょうなあ。第三小隊のウミツバメって言ったら、あまりにも有名ですからね。個人の感情で動くには、貴女は名を残しすぎている」

すでに一月。いや、もっと。キノイーグレンスが行方不明になってから、それだけの時間が経った。任務中に姿をくらまし、最初こそサボりの度が過ぎていると思っていたが、一日、二日、顔を見ない日が続いていって、さすがに何かあったのではと動くにしても、“末端過ぎて取り合ってもらえない”。
第二十五小隊まで存在するアルカールカ海底騎士団の、二十二番目の小隊に所属しているとは、そういうことだ。一から十までに入れれば将来が約束され、十一から二十なら努力次第でまだ掬い上げられるか、少なくとも一生食うには困らない。二十一から二十五は、――はっきり言ってしまえば、問題児の巣窟だ。何らかの理由で――例えば家柄、例えば虚弱体質、例えば性格面――本隊に置きづらいが、かと言って手放すのも惜しい逸材の巣窟。あるいは有事の切り札。全体的に能力は低いが、ひとつのことについて誰よりも秀でているもの、逆に能力は申し分ないが、ある一点において看過できない瑕があるもの。そういうものたちの巣窟。それが、アルカールカ騎士団の末端の隊だ。
簡単なことだ。騎士たるもの、強さのみでは振る舞えない。個として完成していて、非の打ち所がない。それを前提にしてやっと、強さが問題にできるのだ。
キノイーグレンスは、数多の能力で申し分なく、実技筆記ともに成績もよく、けれども従順さというただ一点において許されなかった。名家の出であったこともあり、邪険に扱われることこそ無かったが、彼は知っているのだろうか。

影ではリーガレッセリー家の汚点とも呼ばれていたことを。

「……。……そうでなくとも、家ではあまり良く思われていない子でしたから。強い子ではあるのですけれどね」

だからもうすでに、いなくなってよかったじゃないかという声も聞かれている。

「ですので、そうです。個人的にはなりますが、お願いです。受けてくださいますよね、ライニーシール・トリアキス殿。かつてテリメインに到達したと騒ぎ立てて、大法螺吹きと言われた貴方様なら」
「――まーだそれ持ってくるんです?正直だから自分だとは思っていましたけど、どれだけ大法螺って言われようと、到達したのは事実なんですからね」

細く長くため息が吐かれる。泡が立ち上っていく。
ライニーシールは頭を掻くと、リッセアスカニアに向き直った。受けない選択肢はない。キノイーグレンスは問題児なのは確かだが、それでもいいやつなのだ。あれはきっといつか、真っ当な騎士になる。ライニーシールはそれを信じている。

「お断りする理由がありません。けど、ひとつだけ」
「ええ、どうぞ」
「自分茶番に付き合いたくないのでバッサリ言います、無礼をお許し下さい……、……ただ心配なだけだったりしませんよね?身内だからとか言ってますけど何を差し置いても心配なだけとかだったり、しませんよね?」

リッセアスカニアの動きが止まった。