Day9:そのころアルカールカでは-2

「……あの?」
「ライニーシール殿。恥を承知で申し上げます」

何かまずいこと言っただろうか。そう思って何か言うよりもずっと早く、リッセアスカニアが語り始めた。
話すとかいう次元ではない。

「私!弟妹たちのことが大っっっっっっっっ好きなんです!!一人残らず!!皆私の事を敬愛してくれて何より可愛い……愛した分だけ愛が返されてくるのです。私が日々過酷な訓練や任務をこなすことができるのは、リーガレッセリー家が体力に秀でている家系だということもありますが何より!我が弟妹たちへの愛にほかならないでしょう!!」
「アッハイ。ハイ?」
「それは例えどんな落ちこぼれだろうと変わらないのです……キノイーグレンスはもうその最たるものです」
「ハイ……」

この姉あってあの弟ありかよ。という率直な言葉は、辛うじて飲み下した。
深海人は基本的に、家族のつながりは人間よりも希薄である。産んだ産まない、一緒に生まれたかそうでないか、同じ親が産んだかどうか、程度の差しかなかった生き物たちが、陸の人間の真似をして、あるいは人魚に追随して、ヒトのような家族ごっこをしている――というのが、もっとも適切な認識だ。
あくまでごっこ遊び。余程のことがなければ、ヒトのよつに誰かとくっついたくっつかないだ、他の女と寝ただ、そういう話は湧いてこない。年ごとに繁殖相手が違うとか、そっちの方が普通なくらいだ。
目の前にいるのはその“余程のこと”だ。なんかもう、ついていけない。

「そうでなければ、わざわざお願いになど上がりませんわ」
「あっはい……そうですね、実にそうだと思います」

言うならば家族狂いか。陸の人間に自分たちが近づいていくたび、本能が死んでいく。
生きるためにではなく、別のもののために動く。ヒトの真似事をしている時点でそうなるのは当たり前かもしれないが、家族の概念が薄い家(家ですらないのかもしれない)に生まれたライニーシールにはいまいちパッとしなかった。まだ群れのほうが説明できるくらいにはしっくり来ないし、群れも正直あまりと言ったところなのだが。

「まあ、はい。ウミツバメ殿の大事な弟君、自分……というか、第二十二小隊としても、失うわけには行かないと思ってるんで、できる範囲で頑張りますとも」
「ご協力感謝致します。私もできる範囲のことはしますわ」
「あんまり目立ちすぎないようにどうぞ。第三小隊ともあらば、どこで何が見ているか分かりませんから……」

リッセアスカニアが一礼して部屋から出ていってからも、ライニーシールはしばらくその場に留まっていた。第二十二小隊の魚が、第三小隊の魚と会うなんていうのは、本当に余程のことがなければありえないことだ。実際余程のことが起こっているが。
警戒するに越したことはないのだ。幸いにして、呼ばれた部屋には様々な資料が集めてある部屋だ。ちょっと偶然一緒になったくらいの演出はできる。

「うーん……」

お世辞は言っていない。実際第二十二小隊でのキノイーグレンスは、その中でなら大変優秀な人材だった。クソほどまとまらない第二十二小隊をまとめ上げる手腕を持ち、隊長であるライニーシールによく従い、ただひとつ、調子に乗りやすいことを除けば本当に、一桁台の小隊にいただろう能力を遺憾なく発揮しているのだ。
第二十二小隊にいるべきではないのだが、そこに配置される理由は確かすぎる。しかもキノイ自身は、そこに欠片も気づいていなさそうなのだ。
適当に資料を眺めている。何故かこの資料室、陸の水族館の写真集が置いてあったりする。防水の魔法を厳重にかけてあるそれは、随分と古いものに見えた。

「あ。ライニーシールさん、ここにいたんですね」
「ん」

部屋を覗き込んできたのは、小柄な魚だった。いや彼を魚と呼ぶのにはかなり抵抗があるのだが、深海人は総じて魚なので仕方ない。

「ようリックリマーキナ。どうした」
「探してたんです」

なんとなく透けているような手先とか、実は口に見えているところではない部分からものを食べることとか、魚と言うには否定したい彼は、リックリマーキナ・アンタラクティカと言う。キノイーグレンスの幼馴染で一年先輩で、ちょっと前まで第二十二小隊に所属していた魚だ。
リックリマーキナはとにかく泳ぐのが速かったのだ。それは彼がそういう血筋(見た目からするとかなり珍しくはあるのだが)なのと、本人の才能によるところだ。体格に恵まれていない彼は、正騎士としてではなく、伝令騎士としてその才能を買われた。なので今はそちら――番号の振られていない隊にいる。

「なんでまた。連絡か?」
「ですよ。今日は、割といーい連絡です!」

ひとつ、キノイーグレンス――と言うより、テリメインの誰かに宛てた手紙は、どうやら無事テリメインに到達したようであること。
物ひとつぶんくらいなら、それこそちょうどキノイーグレンスがよこしたボトルシップメッセージくらいのものなら、テリメインには比較的安定して送品が可能なようだった。故にあとは、親切な誰かが気休め程度の魔術スクロールを、彼に届けてくれることを祈るばかりだということ。
ふたつ、

「――ぼくを認めてくださった神様が、お前だけなら他の世界に飛ばして帰りを保証してやることもやぶさかではない、だそうです」
「はあ。つまり偵察ができるってことか」
「そうなりますね。変装練習しとこうかなって」

二十番台の隊員が、よその隊へ移る理由で最も多いのは、本人の努力の結果だ。次に多いのが、どこかの一柱にその力を認められ、力を振るうことがプラスになると判断された場合だ。リックリマーキナは後者の方で、それもアルカールカでは名のしれた神に認められている。正式に配属されてまだあまり時間は経っていないが、すでに一人で行動することを認められているのが、何よりもその証拠だ。
神の協力を得られれば、もはやこそこそと活動している必要すらなくなるのだ。キノイーグレンスが信心深ければあっという間に助けに行く手はずが整っていたくらいには、神々の影響力は凄まじい。なんてったってアルカールカには、複数の神が祀られている立派な神殿があるくらいだ。
少なくともリックリマーキナがそうして動くことができるかもしれないというのは、キノイーグレンスを取り戻したい側としては、かなりプラスのことではある。デメリットも相当あるのだが、今は考えないことにした。

「けど仕事の合間にってなるんだろ。厳しくないか」
「時間の流れが違うっていうのが、あんまりにも大きすぎます」
「まあそこはなんか……うまいことやるしか無いんだな。もう神託貰ってこいよ」
「できたらいいですね!」

そろそろいいだろう、と、ライニーシールはリックリマーキナを連れ立って部屋を出る。部屋と言ってもきちんとしたものがあるわけではないが、それぞれの区画には遮音の魔法がかけられているのだ。なのできっと、さっきのリッセアスカニアの叫び声を聞いたものはいないはずだ。

「ライニーシールさんは何をしていたんですか?」
「ひーみつ。秘密の会合」
「ふええ。いいなあ、僕さっき出てったの見たんですよ、リッ」
「リックリマーキナが?へーそっか」

知らぬ海にいる部下は、こちらの苦労など本当に何も知らないのだろう。
どうせいつもみたいにへらへらして、何も心配していなくて、どうにかなると思っている。どうにかするための必要な多くのことを無視している。どうにかするための作業をしている魚がいるなんてことは、頭の片隅にもなさそうだ。
ただその、前向きなままでいて欲しい。罪人とともにあるということは、何か良からぬことを吹き込まれる可能性がないわけではない。必死で手を伸ばそうとした先で、罪人の手を取っていたなんてことがないように。
――どうか彼がいつものまま、前を向いていて欲しい。そうライニーシールは思った。