Day10:とある狩人の戯れバカンス(闘技大会番外編)

それはかつての、本の世界の中でのことだ。
迷い込んだ本の世界で、たくさんのひと(と、ひとでないの)と出会って、確かに自分の運命は変わった。それを決定づけたひとはまだ自分を迎えには来てくれていなくて、彼女は、――咲良乃ユーエは。

「……」

神妙な面持ちで銛を片手に、ウェットスーツをしっかり着込んで、海にいた。

「……」

第一回闘技大会、と書かれた貼り紙が目の前にある。
流れはあまりよく覚えていないが、姉に海に放り出されたのは確かである。潜るならウェットスーツにしろと言われて借りたのも覚えている。けれどここは自分の知っている、身近なシエンティカの海ではない。ついでにいうとネイトリエでもない。
ここまで海に覆われた場所があるという話は全く聞いたことが無い。せいぜい磯でキャッキャしていたくらいのユーエにとって、突然の大海原はあまりにも衝撃――

「……ま、いっか」

というわけでもなかった。この女、本の世界に放り込まれてからすっかり肝が据わっている。
ここは海底探索協会とやららしい。第一回の貼り紙は特に飾り立てられているわけでもなく、淡々と要項だけを記載していた。三人。スイスドロー。

「……」

一人では出れないらしい。そもそもここに来たのは別に闘技大会とやらに参加するわけではない。銛を構えてきたところから分かるように、思いっきり狩りをするつもりだ。狩りというとちょっと過激な感じがするので漁くらいにしておこうか。いやいやそれだとあまり可愛らしくないので、採集、くらいで。
ふと見た先に打ち捨てられていた錨が目に入り、興味を惹かれてぱたぱたと寄っていく。持てそうな気がした。手を伸ばしてみる。

「おお……」

なんだか妙に手に馴染んだ。打ち捨てられていたということは誰も使わないのだろうし、ホコリを被っていたので使っても良いものとする。今の自分にこれを振り回せる腕力はあっただろうか?と考えようとして、結局やめた。本の世界に比べたらまだ全然、常識の範囲内に収まることしか起こってない。たぶん。
そう思っていた、まさにその時だった。

「……ユーエ?お前何やってんの?」
「へ?」

二年。二年だ。それくらい経っていても、覚えのある声が聞こえてきた。

「ダグラス?」
「お、おう。そうだけど。ユーエ、だよな」
「そうね。わたしよ、咲良乃ユーエね」

相変わらずの困惑しきった顔。彼には適応力が足りていないと思う。ダグラス・ブラックウッドは、海にしては不釣り合いなほど着込んだ格好で、ユーエの目の前にいた。

「すげぇ見覚えのある髪色が通ったから、まさかと思ったけどまさかだった……」
「そう。ダグラスみたいな髪色じゃなくてよかったと思ってほしいのね」
「あっはい」

ユーエの髪色はとにかく目立つ。薄緑の髪は、本の世界でも最後まで、自分の身内以外に同じ色を見なかった。
一方で言ってしまえばどこにでもいるようなカラーリング――それこそダグラスのような感じだったら、今ここで果たして出会えていただろうか。感謝しなダグラス・ブラックウッド。
さてこれで二人だ。もう一人いると闘技大会とやらに出れるらしいが、どうしたものか。周りはもう三人固まっている人たちばかり、という感じで――もない。そして再び、見知った顔を見つけることになった。

「あっ。ねえ、ダグラスねえ、あれ」
「どれだよ」
「あれ!アド!!」
「はぁ? いやまさか見間違……」

表情を伺いきれないほど伸ばされた白い髪の下で、確かに嬉しそうな目をしているのを見た。
見間違いかと信じたかったが、どうやらそうではなさそうである。確かに自分たちの知る、――本の精霊。アデル・エレムルスその人だ。

「アドー!!わたし!!わたしね、覚えてるー!?」
「おや……もしかしなくとも、君、ユーエかい?」
「えっマジでアドじゃん……何この偶然……」
「そう!ダグラスもいるのね」

偶然にも顔見知りが三人揃ってしまった。果たして本当に偶然なのだろうか、誰かのイタズラだったりしないか?――そう考える暇は、ダグラスには与えられない。本の中であんなに肩身狭そうにしていた女が、欠片も容赦しないのだ。

「あっねえ。ダグラス、何でいるかもわからないならもうこれね、闘技大会」
「はい?」
「三人いないと駄目なの!今三人いるのね、完璧じゃない」
「えっ待って闘技大会って戦うの?俺らが?何で??」

おかしい。この人最初の頃はこんな押せ押せ系の性格ではなかった。もっと慎ましやかというか引っ込み思案というかそんな感じだったはずなのに。やはりあの姉あってこの妹ありということかよ。そんなことを思われているとはつゆ知らず、ユーエは久々の知り合いに会えた喜びなのかなんなのか、実は元からそうなのか、ダグラスの話を聞こうとはしなかった。

「そこの三人!闘技の参加者なら受付はこっちだ!」
「はーい」
「えっちょっとユーエさん」
「まあ、何もしないより、面白そうではないかな?」
「アドまでちょっと ちょっと!!」

ダグラスはきっと拒否権が来て欲しいと思っていただろう。ところが向こうからやってきたのは参加受付の方だった。
問答無用で引き摺られていくしかない。ユーエは見た目相応――というか、見た目よりも腕力がある。そんなダグラスを見ながら、本の精霊はどこまでものんきだった。

「いいだろう、ダグラス。本が閉じてから、また会えるとは思っていなかったからね。人はこういうことを、思い出作り、というのだろう」
「そっすね……いやそっすねじゃない。納得はするけど、いや、戦うの!?また!?俺薬屋だし本の中でもほら薬投げるくらいしかしてねぇよ!?見てませんでしたかねお二人とも!?」
「逆にちょうどいいくらいね!わたしが怪我したら、なんとかして!」

こんな危険そうな思い出作りじゃなければ、ダグラスだって諸手を挙げて賛成した。どう考えても今楽しそうなの一人しかいない。
彼女を引き止められそうな言葉がようやく頭の片隅に浮かんで、ダグラスは絞り出すように声を発した。

「あああアルに怒られたらどうすんのマジで」
「だいじょうぶね!」
「根拠は!?」
「ないのね!」

一刀両断。あまりにも綺麗すぎる反撃だった。これがクリティカルか。ダグラスは天を仰ぐ他無かった。

――かくして。
かつて本の世界に集い、共に頁をめくった三人は、何の因果か海で再び集い戦うことになったのである。

「……何でこんなことになってんだろうな……」

普段着のまま海に引っ張り出されてきたダグラスの口からは、ことあるごとにため息が出てくる。
ユーエは如何にも準備万端ですみたいな格好をしているし、アデルも――見た覚えのないというか、随分と軽装をしている。
ふとダグラスの格好を目に止め、ユーエが歩み寄ってきた。近くで見ると身体の線がはっきり出ていて、なんというか陸でする格好ではないなと思わされた。

「あ。ダグラス、その格好で海入るの駄目ね。着衣水泳はオススメできない……ってお姉ちゃんが言ってた」
「お姉ちゃんが……ああ、アルムも元気そうで何よりです……」

ダグラスはすっかりくたびれている様子だった。まだ何も始まっていないのに。早すぎる。
海に潜るにはあまりにも不向きな格好であるダグラスを見て(――スキルストーンなるものが潜る補助をしてくれるらしいが、それにしてもちょっとなさすぎる格好だった)、ユーエは率直な感想をぶつけた。

「ダグラス泳いだことあるのね?」
「え?いや……俺そもそも海なんて初めて見たレベル……」

なんてこった。

「……なんか急に心配になってきた」
「誘っといてそれ!?」
「とりあえず水着着るのね!話はそれからよ!」

強く当たっていけるのは、よくよく考えなくても姉に似たのかもしれない。でも、そういう風に出ていける人も全然多くはないし、彼ならそれでも許してくれそうな気がしていた。あと実際大丈夫そうなので、大丈夫なことにした。



さて。
ダグラス・ブラックウッド、人生で初めての水着である。

「あのさあ」

率直に言って似合ってないが、それはもう問題ではない。彼のことだし似合ってないのは自覚しているだろうから。

「水着ってこんな頼りない感じなの……っていうかほぼ下着では」
「なんでウェットスーツにしなかったのね?」
「いや水着って言ったのユーエだよ」

水着を貸してください、と頼む人はそうそういないのでは……と思っていたが、案外そうでもなかったらしく、あっさり水着を選ぶことになったのはいいものの、あまりにも露出過多というか、上半身は裸だ。
ユーエはウェットスーツで完全防備、アデルもちゃっかり上は着ている。上半身裸はダグラスだけだ。それが似合わなさに拍車を掛けている気もした。

「ユーエ、ダグラス。もう話している時間はないようだ」
「えっ待って俺これで戦うの?マジ?」
「いざとなったらわたしが守ってあげるから、安心して後ろに隠れてたらいいのね」

正直あまり、ダグラスには(敵を殴る面で)期待はしていない。だがこの際、ユーエは徹底的にダグラスを扱き使うつもりでいた。やるからには本気で望みたいというわけだ。
――と言ってもできることはたかが知れているので、要は戦いの後とか、そのあたりで。

「あっハイ……」
「さあ、楽しもうか。なかなかに新鮮な、貴重な体験が出来そうだよ」

アデルもアデルで、この奇異な状況を既に楽しんでいるようだった。何よりだ。
納得の行かない顔がすべてを悟って諦めた顔になっていくのを、近くでまじまじと見届けた。まだ納得行ってなさそうではあったが、諦めろ。諦めるしかないぞダグラス・ブラックウッド。

「そっすね……何かもうわけわかんねぇ……果たして俺は泳げるのか!?乞うご期待ください」
「引きずってってあげるから、気合で息だけして」
「ユーエさん??人間気合だけじゃ息できないと思うんですけど??」

ダグラスの叫びは、さらっとユーエに受け流された。
いくらスキルストーンとやらがあるとはいえ重要な問題なのに。

「そういえばダグラス、どうやって戦うのね」
「えっ??……いや……えっ……水中で薬投げるわけにも行かないし……いやそもそも俺薬担当でいいのほんとに?えっ?」
「ユーエはどうするんだい?」

ダグラス・ブラックウッドは、基本的には非戦闘要員である。本の中ではもっぱら薬を投げていた。メタ的なことを言うとヒーラーだ。
そもそも戦いの心得があり、前に出て戦っていたユーエや、魔法を使えるアデルとは、場数を踏んできた数が違う。特にユーエとは雲泥の差だ。

「わたし?なんかその辺に錨が落ちてたからそれ使おうかと思って」
「落ちてたのを??勝手に使うの??ユーエさん??」
「あ。銛が余る。貸してあげるのね」

この中では一番戦闘慣れしているユーエは、何の躊躇いもななくその辺で拾った錨を振り回すつもりでいた。彼女が持ってきた自前の銛が、ダグラスに差し出された。受け取るのを渋られたので押し付ける。

「あっはい。……はい……銛……」
「晩御飯も確保できるかもしれないのね、頑張って」
「無理……絶対無理……」
「ユーエと君と一緒なら、大丈夫だろう。本の中での経験が生きるはずさ」

元々晩飯を確保する気満々で銛を持ってきたのは内緒だ。焼いたら食えるし、姉ほどとは行かないまでも、ユーエにはそれなりに海洋生物の知識があった。手を出してはいけない、所謂毒のある生き物くらいならまあ分かる。知らない生き物だったらそのときは覚悟を決めよう。
銛を持った格好が致命的に似合わない。極力冷静な顔でいたかったユーエだったがそろそろ耐えかねる。小刻みに肩が震えた。

「アドが言うとなんか説得力ある気はするけど納得行かないんですけど!?死んだらどーすんのこれ!?」
「大丈夫ね」
「大丈夫さ」
「大丈夫じゃねぇーーーーーーッ!!!」

男の叫び声が木霊する。今から本当に心配になってきたけど、もうあとには戻れない。
どうせなら全力で楽しみたい!せっかく見知った顔が三人集まったのだし、できるかぎりで頑張りたい!……と思っているのだけど、はたしてどうなることやら。