Day21:治っていく、綻びていく


「っらァ!!」

大振りな杖の一撃が、宝箱のど真ん中を捉えた。
あっという間に動かなくなって、海深くに沈んでいく宝箱――否、ミミックの残骸を尻目に振り向く。斬りかかろうと振り上がっていた古びた剣を、ドリスが熱波で吹き飛ばしたところだった。

「終わったわよ」
「ちょろいっすね」

一息。そろそろこの海域の守護者とやらも近いだろうか、いつぞやのガーゴイルのような同じ轍は踏まない。次はもう、本当に万全の体制で進むし、囲まれるような遅れは取らない。そういうことだ。
マッピングの道具を広げたところに、珍しくドリスが寄ってくる。

「もうすっかりよくなったみたいね」
「何がッスか?」
「あら。この間寝込んでたの、誰かしら」
「ア?」

そういえばそんなこともありましたね。結局子守唄は歌われたのだろうか、そんなものがなくても爆速で寝付けるキノイにはわからない。そもそもそういう眠りを誘発する効果なのかも知らないし。
引いた風邪はその日中にけろっとよくなったし、心配してくれたエリーがあれやこれやと人間の風邪にいいものを見繕ったりもしてくれた。そのおかげは多分大きい。

「もう忘れたの? 魚じゃなくて鳥なのかしら」
「えっトビウオのこと言ってます?一緒にしないで欲しいんスけど」
「アナタ、エリーさんにはちゃんとお礼を言ったんでしょうね」
「言ったっすよ!!あんたほんと人の親ムーブ得意ですね」
「ならいいわ。アナタが前に立ってないと、私たちが困るんだから。しっかりなさい」
「……ッス。気をつけます」

体調を崩した事実は認めなければならない。自己管理は大切だ。自分の世界とは勝手が違うということを、すっかり忘れてしまっていた。

「その」
「何かしら」
「ありがとうございました」

一応は、一応は看病してもらったので。完全に互いに望まぬ看病だったような気もするが、そこは礼を言っておくのが礼儀だろう。
すっかり良くなったと思って起きたら、とっくにドリスは部屋からいなくなっていたのだ。なのでここまでお礼を言いそびれている。

「治ったと思ったのに、まだ具合が悪いみたいね」
「ハア?あんまり調子乗ってるとハイパー元気になった俺の杖ラリアットが飛びますけど?骨を折る覚悟あるんすか?」
「元気すぎるのも考えものねェ、本当にアナタってうるさいわ。もう一日か二日、寝込んでても良かったんじゃない?」

良くも悪くもいつも通りに戻っている。いつもと変わらぬ調子でわっと言葉を吐き捨てて、キノイはそう思った。具合が悪いよりはずっとこの方がいいし、ちょっとうるさいくらいが案外このクソネーレーイスにもちょうどいいのではないか。あとでエリーにも改めてお礼をしに行こうと思って、キノイはこの近辺のマッピングを始めた。

いつも通りに戻っていると思った。
少なくとも、自分たち三人の周りに限っては。

――

リックリマーキナは焦っていた。まだテリメインには入っていない。テリメインに入ればやり過ごせるはずのものを相手取る羽目になって、今は岩陰に隠れている。
ひたすらアルカールカの果てに向かって泳いで、ざっと一月強になる。ライニーシールは言っていた。『ひたすら果てまで泳いでいけばいい。そのうち突然海の色が変わって、鱗がぴりぴりしてくる』。海の色が変わるというのはたぶん比喩だけど、もうひとつの方はきっと目安になると思っていた。
だが今はそれどころではない。

「……」
『厄介なことになったのう』
「……何故ですか。一体何故ぼくが狙われているのですか」
『さあ……しかしあれは反女王派で間違いないでしょう、彼らは腕章の下に皆貝飾りをつけていましてね――』

ずっとつけられていたらしかった。そろそろテリメインに入ってもおかしくないだろうという頃合いに、突然集団で襲われたのだ。所属をまるで隠さない、騎士団の一部隊から。
その足の速さを買われて伝令隊に入隊したリックリマーキナは、そうそう泳ぎで負けることはない。余裕で引き離せると思っていたのだが――

『あれはマグロの型でしょうか。速さで勝てないのなら耐久戦を仕掛けろ、という方面のようですね』
「瞬間速度ならぼくを超えかねないですよそれ」
『それだけ本気ということでしょう』

ここで死ぬことは、確実にない。行き帰りの保証をした神どもが、なんらかの行動を起こすだろう。
しかしそもそも、テリメインのキノイーグレンス・リーガレッセリーに接触を試みること自体が伏せられているはずで、リックリマーキナも、誰かに話したとか、そんなことはしていない。

「どうして……」
『さっきからいちいちうるさいのうお前は。事実を見よ』
「見てるから言ってるんです!!」

騙し騙しここまで来ているが、隊長格の一匹が執拗なまでに追い縋ってくる。初め十人ほどから始まった追いかけっこは、一対一までに持ち込んだ。そこからずっと平行線。

『まあよい。気に食わぬことに変わりはない……テリメインに入ったら惨たらしく殺してやるわ』
『おおこわいこわい。奇遇ですが同意見です』
「! なら……」

気持ち何処か、いらいらしているような声だった。
軽い調子ではあれど、さらりと言った言葉には殺意が満ちている。

『テリメインに入れ。仮にこの後勝負に負けようともだ。誇りなど捨てよ』
『私たちは私たちが気に食わないという理由できっとあれらを少なくとも社会的には殺しますが、端とは言えアルカールカで手を汚すわけにはいかないのですよ』
『テリメインに入ってしまえば、土着ではなくなりますからね。覚悟はしていると思いますけれど、私たちの観光に余計なものを持ち込んだことは後悔してもらいましょう。ね、揺蕩う海藻の神』
『貴様にしては上出来なことを言う……理由のいらない殺戮となると、わくわくしてくる……くく』

追手は、こちらが神付きなのを理解しているのだろうか。いっそ引き摺り込んで殺してもらうのも手ではないか。そんなことも考えたが、自分の足には最後まで頼りたい。
駄目だったらそのときはそのとき!

「わかりました――行きます!!」

隠れていた岩を蹴る。何も身を隠すもののない海に飛び出す。追ってくる軌跡を目視しつつ、水を蹴って加速した。