Day24:潮目の先を見る


「……あの、エリーさん……」
「……」
「嘘ついててすいませんでした」

もうそれはそれは、気まずい時間というやつであった。
大見得切ってかっこよく、アイアム騎士!!と言わんばかりに膝をついた頃が懐かしい。それは三週間とちょっと前だかのこと。
今となっては目すら合わせられない。

「……ごめん。もう少し、時間をもらえないかな」
「……ハイ」

そりゃあ、まあ。
キノイはそう言うほど彼女に嘘をついていないつもりでいるけれど、今日もいつもと変わらない様子でいるクソ罪人はそうではない。
あれが近所のお姉さんとかいう血反吐吐きそうな案件は確かに大嘘だが、自分の立場は全く騙っていない。のでセーフ。
この海での懸賞金付きと取引をしたこそあれど、まさか仲間にそんなクラスの大罪人がいるとか、とても思ってなかっただろう。仮にアルカールカにそういう懸賞金システムがあったら、今のテリメインのトップ層にも引けを取らない額がついているはずだ。たぶん。ないので適当言ってるけど。

「あ、あのっすね、エリーさん」
「……なに?」
「俺たち、もう隠すことないんで……隠してもしょうがないんで。なんか聞きたいこととかあったら、いつでも。……そうっすよねクソネーレーイス!!」
「そうね」

遅かれ早かれこうなるとは思っていた。思っていたけど、なんか時期が悪すぎる気がしてならない。なんか怪しい影もあったし。このタイミングでのんきに手合わせとかしてる場合じゃねえ。ほんとに。
じゃあ、また明日。そう言う声も複雑そうで、本当に申し訳ないなと思った。陸の生き物用の部屋に上がっていくのを見送って、立ち尽くす。

「……」
「ずいぶん暗い顔してるのね」
「だってお前、……クソ罪人……」

だって何だ?

「今更じゃない。初めから分かっていたことでしょう」
「ッスけど」
「それとも。こうなる時の覚悟、できてなかったのかしら」

無事に帰るための探索だと思っていた。
というかそもそも探索なんてする必要はなくて、けれど潮の流れに乗るのが至って自然なことであり、流れでこの海の探索者になって、陸で動ける人間も確保してハッピー!あとはのんびり迎えを待つだけです!くらいの気持ちでいたはずなのに。
アルカールカにとっての未開の海域のマッピングを事細かにやっていたのも、きっと持ち帰ったらちやほやされるんじゃないかという期待があったからで(だがそれはこの先の手を緩める理由にはならない。妙なところで真面目なのだ)、まあ。実に軽い気持ちで、この海を泳いでいたわけだが。
なんか気づいたら帰る場所がない。家柄的に、騎士団の除名という言葉があんまりにも重すぎるのだ。ただでさえ第二十二小隊配属になりましたって時もすごい目で見られたのに、これじゃあどうしようもない。長姉みたいな人間ごっこを好む集団の中にいるのも、なかなかくたびれるというか。もう少し魚らしく気ままに生きていたいのに、キノイの家はどうにもそれを許してくれそうにない。

「私を捕まえてる理由、なくなっちゃったわね」
「……ッスね」

それはそう。
あの牢に戻らなくともよくなったというのは、ドリスにとっては願ってもないことだろう。そうじゃなきゃそもそも逃げ出さないという話だ。
そしてキノイはこのアビス・ペカトル912番を捕まえるために派遣されていたはずの騎士団のひとりであり、先日彼女に突きつけられた書簡を以て、キノイたちにくだされていた命令は解除されたも同然である。
帰る場所もない(厳密に言えば、帰ったとして今後の生活がまるで保証されていない)しやることもなくなった。横目で見たクソ罪人の顔は、意地悪く笑っているのかと思っていたら、そうではなかった。

「アナタ、これからどうするつもりなのかしら」
「どうするって何がッスか」
「あんなこと言われたら、帰ったってしょうがないんじゃない?」
「……」

赤い目が、考えていたことを見通している。

「アナタはどうしたいの?って聞いてるのよ」
「俺が?」
「そうよ」

なんでそんなことを聞いてくるんだろうと思った。
むしろてっきり、こうなったことをあざ笑うくらいはするのではないかと思っていた。

「何も考えないで、騎士団の言いなりになる。それって随分、楽な生き方だったんでしょうね」
「そりゃ楽でしたよ」
「ねえ、アナタはどうして私を罪人だと思うの? 考えたことはある?」
「……はあ?なんでって、みんながそう言う――」

条件反射でそう返してから、気づく。
何も考えたことがないのだ。上がそう言うので、周りがそう言うので。何もかもがそうだ。一度も疑問に思ったことはなかった。

「悪いとは言わないわ。アルカールカでは、そういうヒトが大半よ。私はそれを愚かだと思うけれど、でも、それは私の考え方」

そういえばこのネーレーイス、ここまで全く嫌味がない。
どうしてこんなことを聞いてくるのだろうと思ったときからそう。いや、もっと前からそう。

「けれどね、それはもうできない。アナタが一番、分かっているでしょう」
「……」

いっそ何もかも嫌味ったらしくあればとすら思った。
あまりにも正論で、あまりにも鋭い。何も言い返せない。言い返す必要は別にないのだろうけれど、悔しいというか、それを通り越して――今までの自分に呆れる。

「キノイ。アナタは、これからどうしたいの?」
「……俺が。俺がこれから、どうしたいか」

思わず言われたことを復唱してしまってから、ドリスの目を見る。
数週前、底知れぬ冷えた目だと思った目。これが人殺しの目だと思った目は。

「それって、アナタ自身が考えることだわ」

今まで見たこともないような色をしている。

「あら、もしかして群れてないと泳げないの?だとしたら、イワシみたいね」
「うるせえっすよ!!一緒にすんなっす」

直後、口元が釣り上げられたと思ったらこれだ。
いつもだったらきっともっと捲し立てていただろうが、そういう雰囲気でも気分でもない。
けど、決まった。

「……どうすっかはもうちょい考えるッスけど……どうせここにいるんなら探索者として振る舞ってたほうが賢いんスよ」

やれることは少ない。
その中での最善手を。

「それに。……それに、エリーさんにも……謝らないと」
「せいぜい考えなさいな、時間は無限にあるわけじゃないのよ」

分かっている。頷きをひとつ返すと、意外にもドリスの言葉はさらに続いた。

「その限られた時間の中で、アナタが善いと思うことをしなさい。それはエリーさんのためじゃなくて、アナタのために、よ」

探索がいつまで続くか、海底探索協会にいつまで籍を置けるか、それは何もわからない。
わからないならわからないなりに、――あとで後悔しないように。
まずは騙してまでここまで連れてきた彼女に、謝らなければならない。そう思ってキノイは叫ぶように言った。もやもやしたものを吹き飛ばすように。

「あっそうだ!!あったりまえですけど謝る時はあんたも一緒っすからね!!」
「アナタが行くなら私は一緒に行かなきゃいけないってこと、忘れたのかしら」
「うるっせえ!!」
「喧しいのはアナタの方じゃなくて?」
「はーん、俺はうるさくてなんぼなんで〜諦めてくれっす〜」

ちょっとだけ強がった。なんでもないフリをした。