Day13:海中島の海


水面を見上げれば、ゆらゆらと輝く青のグラデーションが見えた。

今、私たちは、未開の地域探索へ出てきている。
元々、海に住むひとであるキノイやドリスと違って、私はスキルストーンがなければ、深いところへ潜れない。スキューバ・ダイビング用の道具でもあれば、話は別だろうけれど、あいにく手持ちにはなかった。いや、厳密に言えば、「持ってきてはいたけど、この世界に適合しなかったから処分してしまった」、のが正しい。これで、スキルストーンがなかったら、私は途方に暮れていただろうな。酸素ボンベの代わりでもあり、通信機でもあり。慣れてきてしまっているけど、やっぱりすごいものだと思う。
光の見える上から、そのまま視線を下ろす。暗い。前を見ても、下を見ても、暗くてよく見えない。感覚調整に使っている魔力を弱めて、視覚を鋭敏化させれば見えるのかもしれない。でも、それは、反動を考えるとできなかった。
最初の方で、探索する時は光を使えば、と言ったこともあるけれど、ふたりに首を振られた。暗い深海で、光を使って周囲を照らすのは自殺行為にも等しい、と。面倒なものを引き寄せてしまうこともあるから、むやみに使ってはだめなんだ、とも教えてくれた。だから、こういった場所での地形確認は、キノイやドリスに任せるしかないのが、仕方ないといっても、少しだけ歯がゆく思える。
キノイが、どこか辟易したように口を開いた。

「どっこまで行っても似たような景色っすね。これホントにレッドバロンにつながってるんスか?」
「キノイが言うんなら、そうなんだろうね……そろそろ、何かありそうだけど」
「レッドバロンと限ったわけでもないじゃない」
「そうッスけど」

未開の地域探索を選んで、もう七日目。
よく見えない私と違って、キノイ達はずっと変化のない風景を見てきたはずだから、飽きてしまうのも無理はない。

「まあレッドバロンじゃなくてもなんでも……そろそろなんかあるはずなんすよ。ていうかないわけがないんすよね〜ハア〜」

ぼやきながらもキノイは、それでもある程度進むごとに周囲を調べては、マッピングをしてくれていた。
普段、とても明るい彼だけど、探索の時にはきっちりと仕事をする。根はすごく真面目なひとなのだと思う。

「――うわっ?」

驚いたような声と瞬く光に、反射的にその場へ留まる。何があったのか、先頭に立つキノイが確認するまでは動かないこと。しんと静まった海中で、思わず息を潜めて、彼のいる方を見た。

「島だ」

……島?
陸地が見えたのだろうか。けれど、それなら、私にも見えそうな気がする。
どういうことだろう、と疑問が浮かんだところで、また光が瞬く。長い点灯、消えてすぐにまた光る。それが三回。安全を確認したので進んでよし、の合図だ。
ドリスの方をみて、ふたりでキノイに追いつく。私たちが追いついたのを確認したのか、キノイが振り向く。
彼が背にした風景は、私の目にも見えた。

――たくさんの「島」が、海中に、浮いている。

「ここレッドバロンじゃないっすね!!」

キノイの言葉に頷きながら、探索前にもらった友人からの手紙を思い出す。
灼熱の海と呼ばれるレッドバロンは、それこそ、とても暑いらしい。海の色も、こんな青色ではなくて赤いそうだし、溶岩も流れていると聞いたことがある。
送られてきた手紙の封筒が少し煤けていたから、それはきっと間違いない。
だからこそ分かる。今、目の前に広がっている海は、新しい海だ。

「ふぅん……どこだろうと私たちのやることに変わりはないけれど」
「もしかしたら、願いを叶えたくていた人たちは、また別の海に出ているのかもね」
「だとしたら面白いッスね。まあ何にせよ、新しいところに出れそうなのは良かったっす。だって飽きますもん」

やっぱり。

「じゃあ今のうちに、場所の記録とかやっちまいましょうか」
「そうだね。まだ、敵の気配もないし」

キノイが作業に取り掛かる。マッピングについては、私が手伝えることはない。せいぜい、周りの警戒くらいだ。でも。
海の中に、「島」がある。言葉にすれば、それだけなんだけれど。でも、初めて見た光景は、本当に物語の世界のよう。
こうして、目の前にちゃんとあるのに、現実感がなくて。カベルで見る立体映像の方が、密度がある気がする。
ああ、なんていったらいいんだろう。すごく、どきどきする? わくわくする? ちゃんと言い表せる言葉が見つからない。

「ねえ見て、ドリス。ドリスはあんな風な景色は、見たことある?」
「いいえ。アルカールカにもこんなところはないわ」

声が跳ねるのを、抑える事なんてできなかった。いっそ、ちいさな子どもみたいにはしゃげたらよかった。だって、ずっと探していた新しい海が、目の前に広がっているんだもの。
あの「島」のひとつひとつには、何があるんだろう。この先にはどんな生き物がいるんだろう。想像するだけで、心が躍る。
そうだ。せっかく来られたのだから、写真に収めよう。印刷すれば、他のみんなにも見せられるし、何より記念にもなる。

――そう思ってカメラを取り出そうとした、その時。

「ドリス!!退け!!」
「!」

切羽詰まったキノイの声。反応したドリスに強く手を引かれて、その場から離れる。入れ替わるようにして滑り込んできたキノイが、杖で何かを受け止めた。

「キノイ!?」

呼びかけながら、目を凝らす。
暗闇に慣れた視界に現れたのは、大きな石。いや、あれは、……拳?

「おー……ッぉおああーーーーーッ!!」

気合い一声。力を込めて振り抜かれた杖が、拳を押し返す。その反動で戻ってきたキノイと、ドリスと私、三人で背中合わせになって、改めて周囲を確認する。
いつの間にか、静かに、「それ」は、ここにいた。いや、もしかしたら、最初から、あったのかもしれない。
見たことのない、ものだった。
遺跡の写真に写っていた石像、のように見える。でも、「それ」は動いていた。確かに、石の肌、というか、体をもつ種族がいると聞いたことはあったけど、でも、初めて、みた。

「……囲まれたわね」
「ははっマジか。マジっすか?石像が動くとかどういうエンターテイメントだよ、お断りしたいっすね」

キノイもドリスも、同じものが見えている。ドリスの言う通り、私たちは石像に囲まれていた。
レッドバロンの噂を初めて聞いた時、一緒に語られた話があった。
新しい海にたどり着いたとき、探索者が出遭うもの。

「ど、どうしよう……これ、もしかしなくても、イフリートみたいな……」
「恐らくはそうでしょうね」

それは、この新しい海でも同じだった、らしい。でも、話に聞くだけと、実際に遭ってみるのは全く違う。
冷静な声に、それでも湧きあがるのは、――凍えてしまいそうなほどの、恐怖だった。
さっきの拳も、キノイが気づかなかったら。ドリスが手を引いてくれなかったら。受けていたのは。

「いつもの態勢取るところからッスね。囲まれたままじゃあどうしようもない」
「……エレノアさん?泳ぐ準備はいいかしら」
「う、うん。私はいつでも」

大丈夫、そう言おうとして、呼吸の乱れに気付く。だめだ、移動のための術式が、まとまらない。いつもなら息をするように展開できるくらいのそれが、ぶれて、ああ、混ざって。
落ち着かなきゃ、と思えば、思うだけ、式の一つすら組めなくなっていく。どうしよう、これじゃ。
焦る私の、その隣で、けれど。

「ならいいっす。ひとつぶっ飛ばして包囲を崩したら一気に抜けます。あとは俺が壁になるんでいつもの通りっすよ」
「数が多いだけよ。何の問題もないわ」
「余裕ぶっこいてられるといいんすけどね」
「アナタもね」

けれど。
ふたりは、落ち着いたいつも通りの様子で、言葉を交わす。ふたりが、立ち向かおうとしている。その事実が、心を奮わせた。
意識して、深く、呼吸をする。
ふたりの足を引っ張るなんてことは、絶対したくない。大丈夫、ここにいるのは私ひとりじゃない。ふたりがいる。
だから、大丈夫。まずは、ここを切り抜ける。その為にできる事、考えなくちゃ。
意識の中で、術式を組み立てる。海中で勢いをつけるための、加速のための魔術。回避に使っている術を転用するだけの、それだけの。
ぐ、っと右手を握る。応えるように、魔導石がほのかに一度、光る。

「……」

大丈夫。
杖を呼び出すのは包囲を抜けてから。そうしたら、戦いのために、ふたりのために、いつものように。できる事をすればいい。
だから。
囁くような、かすかな声が、カウントダウンする。

3、2、1――