Day22:通告


見慣れてきたアトランドの海中を、エリー達三人はいつものように、泳いでいた。
ここへ来るのも数度目。時折、言葉を交わしつつの探索に、最初の頃のような気負いはない。けれど、かすかな光を灯した杖が、彼女の手にあった。
合図の時に用いる光よりも、更に絞られ、手を近づけてようやく分かるほどの明るさしかない。そして、形も初期の枝のような形から、波と渦を模したような飾りをもつ形に変わっている。
本来なら、戦闘時にのみ顕現させていたこの杖を、このところ、エリーは常に顕現させるようになっていた。

「そろそろなんか来るでしょう、いくらなんでも。セルリアンと同じノリですよきっと」

キノイが口にしたように、入り口で出会ったガーゴイルのような、もしくはレッドバロンのイフリートのような、門番の役目を負う何かが、この先いつ現れてもおかしくはない。
顕現させている杖は、少しずつ、確実に近づいているであろう緊急時への、彼女なりの備えだった。

「そうだといいね。次は、どんなところに出るのかな……」

頷きながら、エリーは違う海へ想いを馳せる。
最初の海、穏やかなセルリアン。入口まではたどり着いた灼熱の海レッドバロン。そして、ここ、海の中に島が浮かぶアトランド。
全て、まったく違った性質をもち、海、という一言では片づけられないような、多様性に満ちている。
海を見たことのなかったエリーにとって、それはあまりにも新鮮だったし、またそのどれもが、好奇心を満たしてくれるものだった。

「熱いところがあるんだったらクソ寒いところがあって然るべきだと思うんスよね〜。熱いとこよりはまだマシだと思うんスけど」
「さ、寒いところかぁ……この格好で行って、大丈夫かな」
「また買い物行けばいいっすよ!ドリスもそう思うッスよね」

風邪が治って以降、キノイとドリスにわずかな変化が生じている。名前を呼ぶことが増えた、という、本当にわずかなものだ。が、二人が時折見せていた険悪な雰囲気に、苦笑しつつ内心おろおろするばかりだったエリーにとっては、それはとても良いことのように思えて、良かった、と安堵さえしていた。

「そうねェ――キノイ。止まりなさい」

応じるドリスの声が、硬いものに変わる。

「エッ何すか……ッ!!」
「エレノアさんも――下がって!」

ドリスの言葉に従い、下がりながらもエリーは杖を握る。言葉にはせず、意識を集中させて選ぶのは、ウィンドガード。何が現れても、一度だけは逸らしダメージを軽減できる守りの術式。
だが、発動する前に、魔力の矢はキノイの杖で受け止められ、爆ぜる。それに関しては、パーティの盾を担う彼の面目躍如というべきところだろう。
続けて、畳みかけるようにドリスが熱波を放つ。それが届いたのか、声が聞こえた。

「くっ……。野放しの罪人に名乗ってやる義理もないが――我らはアルカールカ海底騎士団である!国命により通達を持って参った!」
「……」

アルカールカ海底騎士団。エリーにも聞き覚えがあった。キノイが所属する騎士団の名前。彼が、帰るべき場所の名前。彼の、仲間であるはずの。
現れたのは、ふたり組だった。見るからに威圧的な態度を崩さないひとと、口を閉ざしてこちらを見据えるひと。傲慢さすら伺える声音を発した方がどちらであるか、エリーにもよく分かった。
ただ、引っかかることがある。目の前の相手は言った。野放しの罪人。それは、一体、誰のことを指すのか。
最初の一手の際に後ろへ下がったおかげで、ふたり組とエリーの間には、キノイとドリスがいる。見慣れた背中の向こうから向けられる敵意に、言いしれない不安に、ぎゅっと杖を握った。

「躾がなってないのねェ、出会い頭に攻撃してくるなんて。親の顔が見たいわ」
「フン。罪人風情が……彩の海底国アルカールカより、アビス・ペカトル912番へ通告する!」

先ほどと同じ、良く通る声が、開いた書簡を読み上げる。それは、深い海の中でも、朗々と響いた。

「ドリスルーブラ・カイリ・メルゴモルス!国法に準じアルカールカからの永久追放とする!これより先一歩でも足を踏み入れることがあらば、即刻貴様の首が飛ぶと思え!」
「ふぅん――そう来るの。好都合ね」

応えるドリスの声は、エリーが聞いたこともないほど、恐ろしく冷たかった。
ドリスルーブラ・カイリ・メルゴモルス。それが彼女の、本来の名前なのだろうか。罪人としての。
放られたそれに、ドリスは手を伸ばそうともしなかった。そのまま、流れに乗って流れていく書簡を、エリーが代わりに手にする。
書かれている文字は読めなくとも、これを見ながら相手は言ったのだ。ドリスは罪人で、アルカールカから永久に追放される、と。
恐らく、正式な通告、そして、真実であることは間違いない。
ドリスも、罪人であることを否定しなかったのだから。

「愚かな……隊長に伝えておきなさい。頼まれても、アナタの国には二度と行くものですか」

背中を向けたままの彼女は、エリーが知るドリスとは全く違うものに見えた。否、エリーが知っていたドリスこそが、彼女にとっての、偽りの姿だったのだろうか。
伝えられた事実に、エリーは何も言えずにただ、見守るばかりで――けれど、それだけでは終わらなかった。

「それからお前だ。キノイーグレンス・リーガレッセリー」
「何すか突然。というか第八小隊のくせにわざわざ遠征とかご苦労様です?」
「所詮下っ端……実に礼儀のなってないクソ魚だ」
「伝令隊もどきのくせに突然攻撃してくるクソ魚に言われたくねえっすね〜」

キノイは至極、いつも通りだった。それは、彼も、彼女が、ドリスが罪人であったことを知っていた、ということなのだろう。幼い頃から面倒を見てきた間柄、ということは事実なのか、それも嘘なのかまでは、今は分からない。
それにしても、同じ騎士団の騎士、仲間であるはずなのに。どうも、やりとりが刺々しく感じられて、自分のことではないのに、エリーは身を縮めた。

「第一小隊隊長よりの命である。長期間所在不明であるキノイーグレンス・リーガレッセリーを、騎士団から除名するとのことだ」
「……は?」

彼が、除名? その言葉に驚いたのは、エリーだけではなかった。
キノイが言葉を失う姿を、この時エリーは初めて見た。

「通達が雑すぎやしねえっすか!?」
「末端の末端らしい終わりじゃないか!通達があっただけ感謝しろ!」
「第一なんすか長期間所在不明って!まだ一月も経ってねえ!!」

そうだ。指折り数えたところで、ここに来てからまだ、今日を含めたとしても22日。キノイ達とエリーで、協会での登録番号がそれほど離れていないのだから、おそらく彼らも同じぐらいの時間しか過ごしていないはず。
まだ、一月にも満たない時間での所在不明で除隊とは、いくら異世界だといってもおかしいのではないだろうか?
抱いた疑問は、どうやらキノイの知り合いだったらしいもうひとりとのやりとりによって、あっさりと明かされる。

「……キノイ。あとで話すけど、……こことアルカールカじゃ時間の流れが、違うんだ、……もう半年、それよりもっと、キノイは行方不明ってことになってる」
「……ッ!!」

半年以上。それだけの時間が、すでに過ぎていたなんて。

「だからって何だよ――そもそもなんで伝令隊を差し置いて第八小隊が!!」
「キノイ。これ以上話したって無駄よ」

それまで黙っていたドリスが、すっ、と、一歩前へ踏み出した。しなやかな動きで、まっすぐ掲げられた指先は、ふたり組の、威圧的な態度を取っていた方へ向けられていた。
彼女が戦闘に用いている術の中でも、恐ろしいほどの威力を持つ熱が、その指の先に宿っている。

「とっとと私の目の前から消えなさい、アナタ。いい加減目障りだわ。あと五秒待ってあげる――殺されたいの?」
「ヒッ……!?」
「早く」

彼女の言葉に恐れをなしたのか、盛大に立てられた泡が視界を覆い、姿が見えなくなる。それが綺麗に消えた頃には、キノイの知り合いだけが残っていた。もうひとりは、と視線を彷徨わせたところで、その姿は遠く、エリーにはただの点のようにしか見えなかった。

「……いや、……ウッソだろ……こんなところで……?ていうか何で……」

キノイは混乱したように、呟いている。ドリスは、ただ、口を閉ざして、いつものようにそこにいる。

エリーは、急に、心もとなくなった。今まで、信じてきたふたりが、急に、違うものに見えたからだ。
除隊を宣言された騎士と、故郷から永久追放された罪人。
手にしたままの書簡、現れた伝令、明かされた事実。それは、すべて、信じていた今までを、崩していく。
後退る。そのことに、自分で驚いて、たじろいで、どうしていいか、わからなくなって。

「キノイ、ドリス、ねえ、今の、……どういうこと、なの?」

そう、「仲間」であるはずのふたりに問いかけることが、彼女に出来る精いっぱいだった。