Day24


アンテルテ・ラボ内、実験室A。防護結界を張り巡らせた室内に、私は居た。

「――、魔導術式の展開を開始、仮想敵を表示」

立体映像投影装置へ、音声による指示をして、集中する。集められた魔力の輝きが、空中に円と文字を、魔術のための陣を記していく。

「深き水底の主、母なる七つの海の王よ、界を巡りし力によりて、異邦の者たる我は乞う」

術者を守護するために描いた魔術円の中で、言葉を紡ぐ。ここにはないものを、ここへ導くための、誘いの言葉。異形たちに教わった、魔術を語り、作り上げるための言葉遊び。
この世界は、七つの海によって形作られている。イメージを形作り、追うのは、簡単だった。
水面の鮮やかな青、暗い海底の深い青。ここに来て知った世界の色を、目を閉じて思い浮かべる。

「我に仇成す者へ、重き枷を。自由を奪う、冷たき鎖を。王が力、深淵の縛鎖をいま此処へ導く」

イメージを言葉に乗せて、空中に浮かぶ陣に、魔力を通す。ゆっくりと正確に、けれど遅すぎてもいけない。呼吸と合わせて、自分と世界の、異なる流れを整えて、描くように。
空気がざわめくのを感じる。窓のない室内に風が起こり、髪や服を揺らすのが分かった。魔力が事象を励起させ、ここに姿を現そうとしている証拠。
一呼吸。結びの言葉を、発した。

「我が声に応え、顕現せよ、“海王の呪縛”」

目を開いて、手を前へと差し向けた。同時に、甲高い金属音が響く。離れた位置にあった、立体映像の仮想敵へ青白い鎖が絡みついて、縛り付けていた。深海の暗闇と凍える冷気を纏う、呪縛の術。

「……、できた」

深く息をついて、肩から力を抜いた。組み上げた魔術の実践は、いつだって緊張する。
スキルストーンで習得したスキルを元に、術式を組み上げる。空間に満ちている魔力と私自身の魔力を用いて、組み上げた術式を起動し、さらに言葉によって、私が使える魔術として完成させる。要するに、これは組み上げた魔術を私のものとして、契約するための儀式、のようなものだった。
ともあれ、魔術を組み上げる中でスキルを分析したことで、かなり理解を深めることが出来たし、これなら、探索での戦闘でも、少しはふたりの役に――

「……」

ちら、と、机の上に置いた時計を見る。ここには窓がないから分からなかったけれど、もう夜を越えて、明け方近かった。
あともう何時間かすれば、ふたりに、彼らに、会いに行かなくてはいけない。目をそらしていたことを思い出して、ため息が零れ落ちた。





――数時間前。
アトランドの海で、出会ったアルカールカ海底騎士団のひとたちから告げられたことに、衝撃を受けたまま、言葉少なに戻ったホテル。

「……あの、エリーさん……」
「……」
「嘘ついててすいませんでした」

きっと、その言葉は嘘ではなくて、心からそう言ってくれてるのだとは思った。彼だって、突然の除隊命令に混乱していたはずなのに、こちらへの謝罪を優先したのだから。
でも、目は合わなくて。
いつもみたいに、ちょっとしたことを間違った時みたいに、いいよ、気にしないで、なんて言えなかった。いつもみたいに、彼の名前を呼ぶことも、今はしたくなかった。
色んな事があって、よく、分からなくなって。きっと、何も考えずに口を開いたところで、意味なんてない。

「……ごめん。もう少し、時間をもらえないかな」
「……ハイ」

本当に、色んな事があったから。伝えられていた事実のいくつかは本当で、でも、いくつかは嘘で。
いっそ、子どもみたいに癇癪を起こしでもすれば、こんなに複雑な気持ちを抱えずに済んだのかもしれない。
彼は、悪くない。のだと、思う。思いたいのかもしれないけれど、よく、分からない。
言葉が見つからなくて、言葉をつげなくて。このまま背を向けてしまおうかと思った時に、彼が声を上げた。

「あ、あのっすね、エリーさん」
「……なに?」
「俺たち、もう隠すことないんで……隠してもしょうがないんで。なんか聞きたいこととかあったら、いつでも。……そうっすよねクソネーレーイス!!」
「そうね」

彼の隣に立つ彼女は、全く態度を変えなかった。驚くくらい、いつも通り。あれだけ、あのひとに厳しい口調で大罪人だと言われていたけれど、彼女自身は、それがどうかしたの、と、そう言っているような気さえした。あまりにも、普通通りで、戸惑っている私の方がおかしいのかな、なんて思うくらいで。
でも、じゃあ。ふたりに、私は、何を問えばいいのだろう。私は、彼らに、何がしたいのだろう。

「……じゃあ、また明日」

それだけはちゃんと言って、それしかちゃんと言えなくて。私は、ふたりに背を向けた。



そのまま部屋に引っ込む気分にはなれなくて、ふらふらと外へ出て。気づいたら、ラボの、自分の研究室前にいた。だから、ずっと、魔術の実践をしていた。何も考えたくなかった。魔術を組み上げて、発動させて、上手くいかない時は直して。そうしていれば、何も考えなくて済んだから。
椅子に腰を下ろして、背もたれに背を預けて、力を抜く。上向いた視界には、白い天井。

「はあ……」

ああ。ため息も、何度目だっけ。数えるのも嫌になって止めて、どれくらいなんだか。
こんな調子だから、考える時間を、と言ったわりに、私の思考はずっと、立ち止まったままだった。
ふたりが悪いわけじゃないなら、どうして、私はこんなにショックを受けているんだろう。
嘘をつくことなら、私にだってある。私だって聖人じゃない。ふたりに言っていないこと、ずっと秘密にしていることだって、たくさん、たくさんある。それこそ、彼らが隠していた事実よりも、たくさん。
嘘をついて、事実を隠していた程度で、ショックを受ける理由なんて、ないのに。

「……わかんない」

もやもやとした、形にならない気持ち。どこにもやれない、行き場のない感情。
椅子の上で、膝を抱える。膝に額をつけて、目を閉じた。