Day3

「情けなァい」

実力テストは腹いせにもならい程、恐ろしく手緩いものだった。倒す前に、相手が勝手に溺れてしまったのである。
本人たちも言っていたが、本当に名ばかりの審査なのだろう。そんな調子でこの協会は大丈夫なのかと思わないでもなかったが、まあドリスとしては知ったことではない。探索者としての資格を得て、この世界で魔力を行使する術を手に入れさえすれば、後はどうでもいいのだ。

渋々と探索者になったドリスであったが、資格と力は、今の彼女にとって必要なものだった。探索者への謳い文句の一つ??数々の謎と宝が眠っていると言われるこの世界の遺跡に、用事があるのだ。

「あーっやっとそっちも終わったんスかクソネーレーイス」

騒々しい声。誰が来たかすぐに分かったからこそ、ドリスは露骨に眉を顰めて振り返る。
現れたのは、濃紺色の三つ編みに特徴的な長い尻尾を持つ、リュウグウノツカイの型の深海人だ。この彼――キノイーグレンス・リーガレッセリーは、ドリスが探索者の資格を得なくてはならなかった理由で、遺跡へと行かなくてはならない理由だった。いやそもそも、彼女がこの世界へと来ることになった元凶でもある。
キノイも相当待っていた(というか待たされていた)ようで、黄の双眸は不満げに細められている。しかし、待たせていた側のドリスの表情といえば、申し訳なさとかそういったものとは縁遠いものだった。オマケと言わんばかりに、呆れたような溜息。

「ぎゃあぎゃあうるさいわね。ちょっとくらい待てないわけ?」
「いやちょっとの限度越してるっスからね、ネーレーイスって時間感覚おかしいんスか? 大体お前の登録が遅いからこんなことになってんスよ人に迷惑かけてる自覚ありますぅ〜?」
「そもそも先に迷惑かけてきたのはアンタでしょ」
「その言葉そっくりそのまま返してやるっス」

ちッとドリスは舌打ちをした。この深海人、本当に喧しい。

当然のことながら、ドリスはキノイのことが嫌いである。嫌いという言葉だけでは生ぬるくて、いっそ殺してやりたいとすら思っていた。
それでもこうして不本意にも行動を共にしているのは、まあ、どうしようもない訳がある。



 ***



数日前、ドリスルーブラ・メルゴモルスは脱獄した。
彼女は“アビス・ペカトル912番”――平たく言えば重罪人のことだ――と、彩の海底国アルカールカから認識され(ちなみに罪状は複数の船沈めだ)、深海牢に囚われていた。しかし、長い時間をかけて魔封じの枷を壊し、丹念に魔力を練り、計画に計画を重ねて、とうとうあの忌々しい牢から逃げ出したのだ。
それで、ドリスは元居た世界の海が嫌いで嫌いで仕方がなかったから、いっそ世界を渡ってしまおうと考えていた。世界は、海は一つではない。転移魔法の心得もあったし、あの騎士共を出し抜けると、そう確信していたのだ。
事実、途中まで計画は完璧そのものだったというのに。

追っ手を撒いて転移魔法を構築する最中、罪人ドリスを見つけた海底国の騎士キノイは、なかなかどうして肝が据わっていた(あるいは考えなしだった)らしい。彼は、武器である杖で砂に描かれた魔法陣を断ち切って、ドリスの世界を渡る魔術を妨害しようとしたのだ。
しかし、同時にドリスも詠唱を唱え終えていた。一瞬のタイムラグはあったが、どうにか魔術は行使されたようで――罪人は騎士を巻き込んで、今、別の世界の海にいる。

世界を渡った。何だか妙に身体が重いがそれはさておき、邪魔なのは目の前の騎士だけ。
ドリスはそう認識した瞬間、短いフレーズを歌うように唱える。

「βλαστ??」
「おわっ!?」

ドリスが放ったのは、魔法で構築された矢だ。牽制に留まらず当てる気で放ったそれは、辛うじて騎士が突き出した杖によって塞がれたらしい??が、彼女はその結果を見なかった。攻撃と同時に素早く水を蹴り、明後日の方向へ逃げ出したのである。
本来なら、ドリスはここでキノイを殺していただろう。彼女にはその力がある。しかし、今は(ある程度は無効にしたとはいえ)魔封じの枷をされている上に、世界を渡るという大規模な魔法を使ったばかりだ。この場で騎士を相手取るには分が悪いのは自明で、ドリスのこの判断は正しいと言えるだろう。
待てだの何だの後ろから聞こえるが、待つ義理も気も一切無い。殺さないだけマシと思え。罪人はひたすらに泳ぐ。
そうこうしている内に、喧しい騎士の声も段々遠くなり――振り切れるかと思った矢先。

「なッ」
「ぐえっ」

ぐ、と明らかに不自然な力が、ドリスの身にかかったのだ。よりにもよって、後ろから引っ張ってくるような! 当然、後ろから引っ張られたなら、減速もするしバランスも崩す。強制的に振り向くような形になったドリスがその目で捉えたものは――なぜか同じように体勢を崩している、キノイの姿だった。自分と違って、前のめりになって転ぶような形ではあったが。

何よこれ、どういうこと。アイツがやったんじゃないわけ? ドリスは怪訝そうにキノイを見る。キノイの方も状況を理解できていないらしく、かつ下手に近づくとまた魔力の矢が飛んでくるのではと警戒した様子で、ドリスを見ていた。
一定の距離が取られたまま、罪人と騎士の奇妙な睨めっこが続いたのは数瞬。

「どうなってるのよ」
「いや俺も知らねッス」

互いに互いの仕業ではないことを確認し(ちなみにドリスは魔術行使のために右手を向けているし、キノイも杖を構えている。いわば臨戦態勢だ)、逆に謎が深まる。それじゃ、今のは一体?
ふと、ドリスはキノイの持つ杖を見た。つい先程、砂に描いた魔法陣を断ったそれ。行使していたのは世界を渡る魔法で、術は不完全なまま、しかし確かに行使されたのだ。そして、今の不可解な力は、罪人と騎士を"引っ張り合うように"かかっていた。

一つ、思い当たる節がある。

「……やってくれたわね」

憎々しげにドリスは呟いた。人を殺せそうな赤い目が、騎士へと向く。

「アナタ、私と離れられないわよ」
「……ハア〜?」

げんなりした声が、二人以外は誰もいない海中に溶けていく。



 ***



繰り返しになるが、何が起きたか結論から言うと、物理的にドリスとキノイは離れられなくなった。一定の距離以上離れると、互いに磁石のように引っ張り合ってしまうのだ。
これは、発動しかけの世界転移魔術へ強引に割り込まれた結果、設定していた座標に狂いが生じ、魔術はキノイを"世界の一部"と誤認識したらしい、とドリスは推測している。ついでに、後から分かったことだが、この世界自体――テリメインと呼ばれているらしい??も、ドリスが渡ろうとしていた世界ではなかった。魔術への妨害の賜物だろう、踏んだり蹴ったりである。
キノイを殺してしまうのが一番手っ取り早いのでは? ところがどうして、そうもいかなかった。彼とドリスは魔術によって誤って紐づけられてしまっているため、手をかけると彼女もどうなるか分からない。下手に手出しができないのだ。

ということを、(したくもなかったが)キノイに説明すると、「ハァ〜何言ってんスかそれわけわかんねえっすね」と言いつつ、おおよそ理解したらしい。当然、伝える必要もないので、ドリスが彼に手を出せないということは説明していないが、様子を見るに、言われなくても何となくの察しはついているのだろう。ドリスが聞いた・見た言動と対照的に、キノイはそう頭が悪いわけでもないようだ。

そういうわけで、一時停戦して情報収集のため周辺を二人で回ることになり、それが一段落して今に至る。

「能無しのくせにやるじゃない」
「伊達にパシりしてませんからね!」

ドリスは返ってきた言葉を鼻で笑ったが、事実として情報収集の大半はキノイがやったようなものである。彼女は面倒事が嫌いだから丸投げしたのだ。そして得意げに言うキノイの働きは、その言葉に違わずしっかりしたものであった。
さて、分かったことがいくつか。一つは、ここは七つの海と遺跡の世界"テリメイン"であること。いくつかの島を残し、ほぼ全てが水に覆われ滅んでしまった世界であるらしい。また、この海には独自の魔力が満ちており、外の世界の魔法や能力を使用することは基本的にできない。妙な身体の重さと、魔術を上手く構築できないこと(失敗に終わったが、ドリスはキノイとの魔術的リンクを解こうと試みはしたのだ)は、これに起因するようだ。
ここまでの情報だと八方塞がりのようにも思えるが、朗報も一つあった――とある遺跡には、強い力を持つマジックアイテムがある、らしい。在処ははっきりしていないが、強力な魔力を持つ道具を手に入れれば、きっとキノイとの繋がりを切ることもできるだろう。魔封じの枷も壊せれば、一石二鳥だ。
テリメインには多くの噂があるようだ。曰く、お宝が大量にある。曰く、未知の生物が大量にいる。曰く、とある遺跡には全てを統べる事のできる魔法がある。エトセトラエトセトラ。
そんな噂の調査のため、テリメインには"海底探索協会"が発足し、未開の地域を調査する者の募集とサポートを行っている。
噂というものは得てして眉唾物であるが、そんな協会が立ち上がっているくらいだ。マジックアイテムの件についても、ある程度の信憑性があると考えられた。

「で、これからどうするんスか」
「遺跡探索よ。アナタも行く必要あるでしょ」
「……何の話ッスかねぇ〜」

この機に乗じない手はないだろう。協会とやらに所属するのは癪だったが、背に腹は代えられない。とにかくドリスは、キノイとの魔術的リンクを断ち切り、ついでにこの魔封じの枷も外してしまいたいのだ。海底国の騎士共が追ってくる前に。
一方のキノイは、本当ならテリメインを探索する理由なんて何もないはずだ。ドリスと離れられないということはつまり、捕まえているのと一緒である。仲間たちが来るまでどうにか凌いで、罪人の動きを封じていればいい。
がしかし、不運なことにキノイにも遺跡に行かなくてはならない理由があった。ドリスはそれを知っているから、にたりと嗤う。

「大事なもの、なくしたんじゃなくて?」
「ンンン〜ッいやーまあ……そっすね!!」

大仰に開き直ってみせたキノイを見たドリスの感想は、「こいつ馬鹿では?」であった。
さておき、ドリスからも見て分かる。今のキノイには、騎士たる証――騎士団章がないのだ。彼の鎧に着いているはずのブローチと腕章は、深海牢から覗き見た騎士たちの様子からして相当に大事なものであるとドリスは認識していた。失くしたと気付いたキノイの狼狽っぷりもなかなかのものであったから、彼女の推測は正しいようだ。
恐らく、世界を渡った際の衝撃で騎士団章は鎧から外れ、どこかに流れて行ってしまったのだろう。この広い広い海の中、見つけ出すのはなかなか骨が折れそうだ。ちなみに、ドリスに手伝う気は更々ない。自分が不利になることを積極的にやろうなんて、誰が思うのか。
キノイの逡巡は短かった。彼はドリスに向き直って、びしっと指をさしてみせる。

「今だけッスよアビス・ペカトル912番! 何とかなったらすぐああしてこうッスよ!」
「何よこのポンコツ騎士、実際どうするつもりなわけ」
「いや何も考えてねえッス」
「アナタ馬鹿なの?」

一人は自由を得るために。一人は失くし物のために。
かくして、"アビス・ペカトル912番"ドリスルーブラ・メルゴモルスと、"アルカールカ海底騎士団第二十二小隊所属新米騎士"キノイーグレンス・リーガレッセリーは、この地テリメインで行動を共にすることになったのである。