Day10:とある薬屋の戯れバカンス(闘技大会番外編)

 俺ことダグラス・ブラックウッドは、海を見たことがない。
 生まれ育った土地は内地も内地、仕事も薬屋でそう遠くに行くような機会もない。 妹から聞いた話――本の世界での話だ――に出てきたことがあるから、辛うじて存在は知っていたくらいだ。
 海になんて縁がなかったし、これからもないと思っていた。
 けれど、この目の前に広がる大きな大きな水溜まりは、いわゆる"海"ではなかろうか。
 ――何度目かの確認。変わらず広がる海。
 俺は頭を抱えた。

 最初に断っておくと、俺はここ――"テリメイン"というらしい――に来たくて来たわけじゃない。よく分からんが、気付いたらここに居た。
 何を言っているか分からないと思うが、俺も分かっていない。だからこうして途方に暮れているわけだ。
 けれど、気が付いたら全く見覚えのないところに居たというのは、悲しいかな実は初めての経験じゃない。ある本を通じて、本の中の世界に行ったというか、飛ばされたことがある。そこで色んなやつに会ったりページを捲ったり、物語の中で戦ったり何だり……まあとにかく色々あったが、それでも結局、元の世界に帰ることはできたんだ。
 だから今回もそういう類で、案外ひょいっと帰ることができるんじゃないかという淡く根拠のない期待を抱いて、おっかなびっくりその辺を歩いていた。

 結果的に分かったことは、砂浜は砂に足を取られて歩き辛いということだ。要するに何も成果なし。
 俺が本当に途方に暮れていた、その時だった。

「……ユーエ? お前何やってんの?」
「へ?」

 見渡す限り青と白の世界に飛び込んできた、薄緑。
 こんな髪色はそう見なくて、思わず顔を上げたら、ずいぶん懐かしい顔があった。

「ダグラス?」
「お、おう。そうだけど。ユーエ、だよな」
「そうね。わたしよ、咲良乃ユーエね」

 彼女、咲良乃ユーエは本の世界で出会った……まあ何というか、そう、親友だ。それで良いと思う。あの世界が閉じてからは会ってない(というか会う方法がなかった)から、こうして顔を会わせるのは2年ぶりくらいだろうか。いや、何でこんなところで再会してるのか全く分からねぇけど。
 とりあえず、一人より二人の方が良い。まだ安心できる。あとユーエは結構たくましいから、心強い気がした。

「すげぇ見覚えのある髪色が通ったから、まさかと思ったけどまさかだった……」
「そう。ダグラスみたいな髪色じゃなくてよかったと思ってほしいのね」
「あっはい」

 なんかナチュラルにディスられた気がする。何でだ、茶髪で何が悪い。確かに目立ちはしねぇけど。
 俺のささやかな疑問を他所に、ユーエは向こうの方に視線を向けた。

「あっ。ねえ、ダグラスねえ、あれ」
「どれだよ」
「あれ! アド!!」
「はぁ? いやまさか見間違……」

 俺とユーエの間で"アド"って言えば、アデル――若干形容し難いが、確か本の化身と言っていた――しかいない。
 こんな訳の分からんところで立て続けに知り合いに会うのだろうか。けどユーエがぶんぶんと手を振る先には、紛れもなく白い髪が見えた。

「アドー!! わたし!! わたしね、覚えてるー!?」
「おや……もしかしなくとも、君、ユーエかい?」
「えっマジでアドじゃん……何この偶然……」
「そう! ダグラスもいるのね」

 マジでマジに俺らが知ってるアドだった。どういうことだよこれは。訳の分からんところだから、訳の分からん再会でもするんだろうか。
 まあそれはともかく二人より三人の方がいいし、どうも全員期せずしてここに来たらしい。ならさっさと力を合わせて、帰る方法を探そう。
 俺はそう思っていた。そういう流れになると信じ切っていた。

「あっねえ。ダグラス、何でいるかもわからないならもうこれね、闘技大会」
「はい?」
「三人いないと駄目なの! 今三人いるのね、完璧じゃない」
「えっ待って闘技大会って戦うの? 俺らが? 何で??」

 俺は完全に困惑した。闘技大会という言葉にまず馴染みがない。闘技ってことは戦うのか? "討議"の間違いで議論大会とか、もうちょっと穏やかな感じじゃなくて? いやだからそもそも、何でそれに出なくちゃいけないんだ?

「そこの三人! 闘技の参加者なら受付はこっちだ!」
「はーい」
「えっちょっとユーエさん」
「まあ、何もしないより、面白そうではないかな?」
「アドまでちょっと ちょっと!!」

 待て、何でこんなに好戦的なんだこの二人。
 口元しか分からないが、アドは笑っているように見えた。

「いいだろう、ダグラス。本が閉じてから、また会えるとは思っていなかったからね。人はこういうことを、思い出作り、というのだろう」
「そっすね……いやそっすねじゃない。納得はするけど、いや、戦うの!? また!? 俺薬屋だし本の中でもほら薬投げるくらいしかしてねぇよ!? 見てませんでしたかねお二人とも!?」
「逆にちょうどいいくらいね! わたしが怪我したら、なんとかして!」

 言い出しっぺのユーエは当然、意気揚々としている。俺の知ってるユーエは何というかもうちょっと控えめだった気がする。歳月の流れは恐ろしい。
 俺が参加したら足を引っ張るのは間違いないし、そもそも生きて帰れるのか非常に心配になる。だって戦うんだろ? 無理じゃね?
 自分で言ってる通り、俺は本の世界で戦ったといってもほぼほぼ戦っていなかった。やっていたことといえば、なるべく素早く動き、強い仲間の後ろから薬を投げていたくらいだ。根っからの非戦闘員なのだ。だってただのしがない薬屋だぞ? しかもファンタジーな感じのやつじゃなくて、ごくごく普通の、一般庶民がお客さんのやつ。
 このままじゃまずい、どうにか参加を止める手立てはないのか――はっ、と頭に浮かんだのは二文字の人名。

「あああアルに怒られたらどうすんのマジで」
「だいじょうぶね!」
「根拠は!?」
「ないのね!」

 一刀両断。ユーエの夫の名前を出しても止まらないならこれもう無理だ。無理ですね。はい。ちなみに俺は妻がこんなことしようとしてたら全力で止めると思う。

「……何でこんなことになってんだろうな……」

 願わくば、もう少し平和的な再会がしたかった。この二人のことは別に嫌いじゃないっつーか、再会できたこと自体は喜ばしいわけだ。それ自体は。
 頭を抱えたい気持ちになっている間に、ユーエとアドは着々と準備を進めているらしい。

「あ。ダグラス、その格好で海入るの駄目ね。着衣水泳はオススメできない……ってお姉ちゃんが言ってた」
「お姉ちゃんが……ああ、アルムも元気そうで何よりです……」

 アルムが居たら止めてくれたのでは? と思った。いややっぱり無いな。何かそんな気がする。

「ダグラス泳いだことあるのね?」
「え? いや……俺そもそも海なんて初めて見たレベル……」
「……なんか急に心配になってきた」
「誘っといてそれ!?」
「とりあえず水着着るのね! 話はそれからよ!」

 というか海に入るとか水着とか、話が読めない。だって戦うんだから、それは当然地上では?
 ――そんな俺の(普通だと思いたい)想定は、すぐさまあっけなく打ち砕かれることとなる。



 ***



 申込用紙も不備なくオッケー、水着も準備良し。まさかの海の中で戦うらしいが、"スキルストーン"という便利アイテムで、何というか色々どうにかしてくれるらしい。
 だが待ってほしい。俺の気持ちは全くオッケーでも準備良しでも、どうにかなってもいなかった。
 最後の抵抗を試みる。あと、地味に心配していたことを、この際だから言う。

「つーかさ、海だしつまり水じゃん? アドって何かほら……えー、本じゃなかったっけ、あれだ、水大丈夫なのか?」
「ん? ああ。本体は別の場所に置いてある、呼び出さなければ問題ないさ」
「本体は別の場所に置いてある」

 えーとつまりどういうことだ。アド自身は良い奴だしまあ好きっちゃ好きな方だが、何というかいまいち生態のようなアレを把握できていない。
 アドに限った話じゃないが、本の世界で会った連中は、何というか割と存在がファンタジーだった。剣士に魔法使い、あと空賊とか竜とか骸骨とかおっかないクマ的な生き物とかブラストマンとか、うん、いたなあ。懐かしくなってきた。

「海に入ったことはないけれど、ちょうどいい機会だ。試してみたいから、問題ない」
「とりあえずアドも大丈夫ってことなのね、ほらダグラス早く」

 現実逃避をしていたら話がさくさく進んでいた。お願いだから待ってほしい。せっつかれてしょうがなく足を進めた。

「むしろダグラス、君の方こそ大丈夫かい? 何か、補助の魔術でも掛けようか?」
「……余裕があったら頼みたいっすね……」

 切実にそう思う。思うが、何と言うかそれはそれで迷惑な気がする。やはり人選ミスではないだろうか。

「そういえばダグラス、どうやって戦うのね」
「えっ?? ……いや……えっ……水中で薬投げるわけにも行かないし……いやそもそも俺薬担当でいいのほんとに? えっ?」

 水の中で物を投げたらどうなるんだ? 試したことないけどちゃんと飛んでくれるのか? それともスキルストーンとやらの不思議パワーで、どうにかしてくれるんだろうか。もう俺には何も分からなかった。

「ユーエはどうするんだい?」
「わたし? なんかその辺に錨が落ちてたからそれ使おうかと思って」
「落ちてたのを?? 勝手に使うの?? ユーエさん??」

 "錨"に、正直ぴんと来ない。何なんだ錨って。でもとりあえず落ちてたのを勝手に使うのはどうかと思う、というか落ちてる物なのかそれは。

「あ。銛が余る。貸してあげるのね」
「あっはい。……はい……銛……」

 押し付けられた"銛"も、また初めて見る物だった。矢……というか、槍に近いんだろうかこれは。つまり、銛での攻撃方法は敵に近づいて刺すと想像できる。どう考えても俺に扱える代物ではないのでは?

「晩御飯も確保できるかもしれないのね、頑張って」
「無理……絶対無理……」
「ユーエと君と一緒なら、大丈夫だろう。本の中での経験が生きるはずさ」
「アドが言うとなんか説得力ある気はするけど納得行かないんですけど!? 死んだらどーすんのこれ!?」

 そう、そうだよ。万が一、そんなこと考えたくもないが、死んだらどうするんだ。
 俺には家族もいるし店もある! マジで! 死んだらどうすんだよこれ!!

「大丈夫ね」
「大丈夫さ」
「大丈夫じゃねぇーーーーーーッ!!!」

 全く根拠がない(ように見える)くせして、自信に満ちた二人の言葉に、俺は叫ぶことしかできなかった。