Day11:一人と一匹だけの海


 今この場に、エレノア・エヴァンジェリスタ・アルマスは、いない。

「……」
「……」

 先日、イフリートがいるという遺跡への同行者の募集があった。
 レッドバロンへ続く門を守るイフリートは、強力なスキルストーンとマジックアイテムを持っているらしい。もしかしたら、枷を壊すことや、キノイとの魔術的リンクを断つ助けとなる可能性がある。キノイにしても、騎士団章を探しに行ける場所が増えるのは都合が良いし、エリーにとってもレッドバロンの海は興味深いらしかった。
 満場一致でその募集に乗ることにしたが、ここで一つ問題が浮上する――単独行動できるのが、エリーしかいないのだ。ドリスはキノイと一定距離以上は離れられない、逆もまた然り。本命は未開の地域探索の方であるし、二人で応募するのはどう考えても効率的でなかった。それに、エリーに単独行動を強いるのも不安が大きい。
 解決策は一つしかなかった。エリーに頼んで遺跡に行ってもらい、そしてドリスとキノイの冷え切った重苦しい探索が始まった。深海ですらここまで冷たくはないだろう。

「……」

 二人きりで探索するのが吐くほど嫌です、とでも言わんばかりに嫌そうな顔をしている深海人が隣にいるのは、まあ単純に気分が悪かった。
 それはそれとて。二人きりであるからこそ、突いておきたいことがある。
 にたりとドリスが笑った。当然のごとく、キノイは顔をしかめている。

「何すか」
「順調なの?」
「ハァ? 見りゃ分かるじゃないすかそんなん。迷いもしないで昨日の到達地点まで来たの、どこからどう見て逆立ちしたって順調ですよ」
「そうね、順調に来てるけど」
「それでいいじゃないっすか」
「別の方は?」

 探索は順調だ。けれども、ドリスが問うたのは調査の進捗についてではない。
 何を訊かれているのか察したらしく、キノイの表情が変わった。

「返事はもらえたのかしら」
「ア?」

 ドリスは知っている。キノイがアルカールカと連絡を取ろうとして、ボトルシップメッセージをこの海に流しているということを。
 知っていながらも、彼女は止めることをしなかった。そうしたとしても、この騎士はどうせ他の手段を取るだけだ。ドリスはキノイのことをポンコツだと思っているが、同時にある程度の評価もしていた。
 さて。そのボトルシップメッセージ、返事は貰えているのだろうか。連絡がついているとしても、どのくらいか。様子を見る限り、頻繁にやり取りができるレベルではなさそうだと推測しているが、この機会に探っておきたかった。

「人のプライバシーにずけずけ踏み込んでこないでほしいんスけど。あんた子供がいたら届いた箱勝手に開けて嫌われるタイプの親になるんじゃないっすか」
「アナタ、面白いこと考えるのね。逆に感心しちゃうくらい」
「ア〜お気遣いどうも。ミジンコほども嬉しくない。むしろミジンコに失礼っすね」

 ドリスは感心すると同時に呆れていた。よくまあペラペラと喋るものだ。
 しかし、キノイは意外と口が堅い。というか、口数が多く話題を逸らすのが上手いのだ。

「ここに来てから、もう何日経ったかしら」

 今日で十一日目。そんなことはドリスも覚えている。これは単に揺さぶりをかけているだけだ。
 珍しく、キノイからの返事に一瞬の間があった。少しの違和感は、渦のように吐き出される言葉に流される。

「ハア〜? ボケてんすか? あんたが脱走しやがってから今日でぴったり十一日! クソみたいな試験を受けたのが二日目!部屋が決まったのが六日目で飯がうまくてサイコーの探索ライフが保証され始めてから五日!! あぁ〜あ俺海藻食べ放題に行く予定立ててたのに……クソ……」
「あら可哀想。誰のせいかしらね」
「同意もクソも何も求めてねえ!! バーカ!! クソネーレーイス!! あんたみたいなクソ野郎はそれこそほんとエターナルに深海牢にいるべきだったんスよ!!」

 ドリスにとって実のない言葉を大体聞き流し、彼女は口角を釣り上げて笑った。

「アルカールカ海底騎士団も、大したことないのねェ」
「……ハア?」
「そもそも、罪人に逃げられてるくらいだもの。今更だったかしら」

 明確な挑発。怒りにかまけて情報の一つでも引き出せれば儲けもの。

「騎士たちもあんな女王の言いなりになって大変でしょうねェ」
「――ハッ。よく言うッス、アビス・ペカトルのくせして女王の何を知ってるんすか?」
「少なくとも、アナタより知ってるわ。無知って愚かだこと」

 ドリスはぴしゃりと言い切る。これは、決して挑発ではない。
 彼女は知っているのだ。あの海のことを。あの女王のことを。
 全てとは言わないけれど、キノイよりは知っているという確信がある。
 だからこそドリスはあの海が嫌いだった。

「何にせよいい加減そろそろ調子乗ってんじゃねえッスよ! お前俺がいなかったら簡ッ単に吹き飛ぶくせして! それ即ち俺がつついても簡単に吹き飛ぶんスからね!! ハア〜腹立つ」
「今日は随分よく喋るのね、喧しいわ」
「誰のせいだよ!!」

 そもそもこんなことになったのは誰のせいなんだか。そう言いたくなったが、これ以上話しても情報は得られなさそうだと判断して、ドリスは話を切り上げる。

「まァ、いいけれど」
「――ッ。静かにするっす」

 不意に、キノイが鋭く声をあげた。こちら向きに掲げられた杖の先端が、淡く発光している――敵を見つけたという合図だ。
 後方には気配がないことを確認して、海中の先をじっと見つめる。魔物は恐らく二体。その時はエリーがいたが、どちらも一度相手取ったことがある敵だ。

「……まあ、見たことのあるやつ……行けますか?」
「当然じゃない。アナタこそヘマしないでよ」
「あんたみたいなひよひよペラペラクソ野郎に言われる筋合いもねえっす……行きます!」

 エリーがいなくても、ドリスのやることは変わらない。魔力を収束させ、ただ敵を穿つだけだ。
 先行するキノイをゆるりと追いながら、ドリスは魔の言葉を唱え始めた。