Day22:通告
探索が順調ということは、変わり映えがしなくてつまらないということだ。最初は物珍しかった海の中に浮く島という光景も、いい加減に見飽きてきた。
「そろそろなんか来るでしょう、いくらなんでも。セルリアンと同じノリですよきっと」
「そうだといいね。次は、どんなところに出るのかな……」
前回――セルリアンを探索していた時――と一つ違うことは、奇襲への警戒心が皆高まっているということだ。ドリスの前を泳ぐキノイとエリーも、話をしながらも気を抜いた様子はない。もちろん、ドリスだって同じだ。
恐らく、この先にもあのガーゴイルやイフリートのような、次の海域への門番らしい存在が現れるだろう。どちらにしても、実際に戦ってみるとそう梃子摺ったわけではないが、奇襲されるのは宜しくない。そういうことである。
次の海域。七つ存在すると言われている海の内、まだ誰の到達も聞いたことがないのは、太陽の海《サンセットオーシャン》、月の海《シルバームーン》、星の海《ディーププラネット》。果たしてこの先が、その内のどれかに繋がっているのだろうか。
「熱いところがあるんだったらクソ寒いところがあって然るべきだと思うんスよ〜。熱いとこよりはまだマシだと思うんスけど」
「さ、寒いところかぁ……この格好で行って、大丈夫かな」
「また買い物行けばいいっすよ! ドリスもそう思うッスよね」
キノイが肩越しにドリスを見て言った。
違うことがもう一つあった。彼が風邪を引いて以来、たまに名前を呼ばれるようになったのだ。以前だったら、二人きりの時はクソ罪人だの何だのと呼ばれていたが、エリーの前でもクソネーレーイスとしか呼ばなかったというのに。
はてさて、これはどういう心境の変化か。こちらから指摘するのも何だし、考えてみれば些細な変化でもある。結局、言わず仕舞いだった。
それはともかく、話を振られて無視するほど愛想が悪いわけでもないのだ。少なくとも、エリーの前では。
ドリスは水を蹴って、足を止めた。
「そうねェ――キノイ。止まりなさい」
けれども、ドリスがそうしたのは、キノイに話を振られたから――それが理由ではなかった。
高速詠唱。目を丸くしたキノイを尻目に、指先に魔力を灯す。
――来る!
「エッ何すか……ッ!!」
「エレノアさんも――下がって!」
魔力の矢が、ドリスの頬を掠めるように飛んできた。刹那、魔力が爆ぜる音。恐らくキノイが杖で矢を受け止めたのだろう。
そう理解するよりも早く、ドリスは矢の飛んできた方へと躊躇いなく熱波を放った。
「くっ……。野放しの罪人に名乗ってやる義理もないが――我らはアルカールカ海底騎士団である! 国命により通達を持って参った!」
「……」
知らない顔が二つ。けれど、ドリスは知っていた。その服装は、嫌と言うほど見慣れている。
彩の海底国アルカールカ、その騎士の姿だった。
ベラベラと喧しく喋っているマグロの型の深海人が、魔力の矢を放ってきたのだろう。隣の……あれはクリオネだろうか、恐らくそれに類する型の深海人は、対照的に隣で黙りこくってる。
どちらにせよ、アルカールカからの追手だ。どうやって殺そうか。
後ろ手に隠した指先で魔力を編みながら、ドリスは嗤う。
「躾がなってないのねェ、出会い頭に攻撃してくるなんて。親の顔が見たいわ」
「フン。罪人風情が……彩の海底国アルカールカより、アビス・ペカトル912番へ通告する!」
深海人は突きつけるような声と共に、仰々しく書簡を開いた。
「ドリスルーブラ・カイリ・メルゴモルス! 国法に準じアルカールカからの永久追放とする! これより先一歩でも足を踏み入れることがあらば、即刻貴様の首が飛ぶと思え!」
ドリスは表情こそ変えなかったが、この通告は全くの予想外れのものだった。
脱獄して行方知れずになっている犯罪者の処遇としては、有り得るものだ。しかし、脱獄してからまだ一ヶ月も経ってないはずだった。騎士団が捜索に音を上げるにしては、早過ぎるのではないだろうか。
一つの推測が頭の中に浮かんで、彼女はにたりと笑った。
「ふぅん――そう来るの。好都合ね」
閉じられた書簡が、ドリスの方に放り投げられてくる。それを受け取る気はなかったし、いっそ燃やしてもよかったが、今はいざという時、あの騎士を殺すために魔力を練り上げるべきだ。
ただ、その必要も無さそうに思えた。腹いせとしてはありかもしれないが、もうこの深海人どもは自分の追手ではないのだ。
「愚かな……隊長に伝えておきなさい。頼まれても、アナタの国には二度と行くものですか」
あの愚鈍な女王はこんな手法を取らないだろう。きっとこれは、"騎士団"が勝手に動いている。だからこそドリスは"隊長"と言った。
その声音は、心の底から馬鹿にするような、そんなものだった。
マグロの型の深海人はドリスの言葉を意に介した様子もなく、キノイの方を見る。
呑気なものだと思う。自分が気まぐれを起こせば、いつだって殺せるのに。
「それからお前だ。キノイーグレンス・リーガレッセリー」
「何すか突然。というか第八小隊のくせにわざわざ遠征とかご苦労様です?」
「所詮下っ端……実に礼儀のなってないクソ魚だ」
「伝令隊もどきのくせに突然攻撃してくるクソ魚に言われたくねえっすね〜」
キノイとマグロの型の方の深海人は知り合いではないらしい。それもそのはずだ。どう考えてもあの魔力の矢はキノイを狙っていたし、彼自身、いささか警戒しているように見える。もう片方はキノイを気にするような素振りを見せているから、知り合いなのかもしれない。
それにしても態度がデカいのは性根なのか何なのか、その辺りを差っ引いても、同じ騎士団に所属する仲間に取る態度には見えないのは――恐らく、彼らは、"信じているもの"が違う。
続いた言葉は、その証左とも言える。
「第一小隊隊長よりの命である。長期間所在不明であるキノイーグレンス・リーガレッセリーを、騎士団から除名するとのことだ」
「……は?」
ドリスは眉を顰めた。同時に、推測――テリメインとアルカールカでは、時間の流れが違うということ――が当たっているのを確信する。そうでもなければ、罪人といえど永久追放になるはずがない。
しかし、キノイの方まで騎士団から除名にする理屈が読めない。その方が、何か都合が良いのだろうか。
ドリスはまだ冷静だった。
この状況を呑み込めていないのは、当然、キノイの方だ。一瞬失った言葉を取り返すかのように、彼は叫ぶ。
「通達が雑すぎやしねえっすか!?」
「末端の末端らしい終わりじゃないか! 通達があっただけ感謝しろ!」
「第一なんすか長期間所在不明って! まだ一月も経ってねえ!!」
痛々しくも聞こえる叫びだった。こんな彼は見たことがなかった。
「……キノイ。あとで話すけど、……こことアルカールカじゃ時間の流れが、違うんだ、……もう半年、それよりもっと、キノイは行方不明ってことになってる」
「……ッ!!」
彼に告げられた言葉は、事実は追い討ちだった。
けれど、もういいだろう。
「だからって何だよ――そもそもなんで伝令隊を差し置いて第八小隊が!!」
「キノイ。これ以上話したって無駄よ」
鬱陶しい、とドリスは思った。このやり取り総てが。
身内のゴタゴタにこれ以上巻き込まないでほしい。ドリスには何も関係ないし、もう用は済んだだろう。
先ほど編んでいた魔力は無駄にならずに済みそうだ。ドリスは一歩前に出て、マグロの型の深海人へと指先を掲げる。
その指先に灯ったのは、強烈な熱源。魔力を収束させ、細く狙い撃つように――確実に当てて殺すために。
「とっとと私の目の前から消えなさい、アナタ。いい加減目障りだわ。あと五秒待ってあげる――殺されたいの?」
「ヒッ……!?」
「早く」
海の底よりも遥かに深い、底知れない声だった。
急かすよりも早く、深海人は豪快に泡を立てて逃げていく。さっきの威勢はどこに行ったのやら、つまらない魚だ。
「……いや、……ウッソだろ……こんなところで……?ていうか何で……」
キノイは茫然と呟いていた。今までずっと、当たり前のように信じていたものが打ち砕かれたのだ。無理もない。
けれど、それもドリスに関係ない。関係は、無いのだ。
「キノイ、ドリス、ねえ、今の、……どういうこと、なの?」
さて、これからどうしようか。
最も状況を理解できていないであろうエリーの言葉は揺れている。
返事は、誰からも無かった。