Day24:潮目の先を見る
「……ドリス。ああ、ドリス。お前は駄目よ。レウコトエみたいになっては駄目」
幼い頃から何度も何度も、何度も聞かされてきた言葉だった。
続く言葉も知っている。
「あの女王は、国は、愚かだわ。それをちゃんと、心に留めて。カイリの家のために。メルゴモルスの種のために。あなたのその力、役立ててちょうだいね。ドリス、ねえドリス、お願いよ」
いい加減に聞き飽きたというのに、このヒトは分かってくれそうにない。
ドリスも、アルカールカという国やあの女王は嫌いだった。けれど同じくらい、カイリ家だって、ネーレーイスのメルゴモルスという種だって嫌いだった。
嫌いなもののために、誰が動くというのか。
***
「……あの、エリーさん……」
「……」
「嘘ついててすいませんでした」
こんなにキノイが萎れた声を発するのは聞いたことがないし、こんなにエリーが暗い顔をしているのも見たことがない。
要するに異常事態が生じているわけだが、当然だ。騙していたことがバレて、騙されていたことが分かったのだから、湿っぽい雰囲気にもなる。
「……ごめん。もう少し、時間をもらえないかな」
「……ハイ」
主に騙していたのはドリスだが、彼女はキノイも共犯者だと思っている。キノイは、自分の立場に嘘は吐いていないからなんてことでも思っているのだろうが、それはきっと甘い考えだ。エリーから見たら、ドリスもキノイも変わらない。
嘘を吐いていた二人の違う点は、それに罪悪感を抱いているかいないか、そのくらいだろう。
ドリスの様子が常と変わらないのは、つまりそういうことである。
「あ、あのっすね、エリーさん」
「……なに?」
「俺たち、もう隠すことないんで……隠してもしょうがないんで。なんか聞きたいこととかあったら、いつでも。……そうっすよねクソネーレーイス!!」
「そうね」
いつかこういうことになると思っていたし、その時、エリーは怒るとか、パーティを抜けるとか、そういうことをすると思っていた。そこはドリスの予想が外れたらしいが、まあ、エリーの性格を考えれば、この反応が妥当なのかもな、とも思う。
じゃあ、また明日。複雑そうな声を残して、エリーは陸の生き物用の部屋に上がっていった。
「……」
「ずいぶん暗い顔してるのね」
「だってお前、……クソ罪人……」
キノイがそれはもう、分かり易く落ち込んでいる。いつもの元気良さは欠片もなかった。
「今更じゃない。初めから分かっていたことでしょう」
「ッスけど」
「それとも。こうなる時の覚悟、できてなかったのかしら」
この状況は、予期できていただろうに。何故そんなに心を痛めているのか、ドリスにはよく分からない――いや、これもまあ、分かる。彼の性格からして、こういう反応をするだろう。開き直っていたら、逆に驚く。
自分はいつの間に、不本意な同行者たちの性格を把握しているんだか。
けれど慰めるような気はドリスに一切なかった。被害者でもあるけれど、この事態は彼の一種の自業自得だと彼女は思っている。
ドリスはキノイから視線を外して、何となく、ひびの入った手枷を見た。
「私を捕まえてる理由、なくなっちゃったわね」
「……ッスね」
キノイは、アビス・ペカトル912番――ドリスを捕まえるために派遣されていた騎士団のひとりだ。けれど、この間突きつけられた書簡を信用するならば、どうやら自分は国外追放となったらしいし、キノイは騎士団から除名された。キノイがドリスを捕まえる理由なんて、どこにも無い。
なぜキノイが騎士団を除名されたのかは、分からなかった。アルカールカの内情はある程度知っているものの、向こうでは半年以上経っているらしい。考えるだけ無駄だと思って、ドリスはその思考を打ち切っている。
ドリスの気になることは一つだった。
「アナタ、これからどうするつもりなのかしら」
「どうするって何がッスか」
「あんなこと言われたら、帰ったってしょうがないんじゃない?」
「……」
キノイは黙ったままだ。
あの日からまだそう経っていない。まだ彼自身も理解が追い付いていないのだろうと思うけれど、それを気にするようなドリスでもなかった。
「アナタはどうしたいの? って聞いてるのよ」
「俺が?」
「そうよ」
何より、考えなくては、動かなくてはいけないのだ。彼自身が。
だってこれは、キノイ自身のことなのだから。
「何も考えないで、騎士団の言いなりになる。それって随分、楽な生き方だったんでしょうね」
「そりゃ楽でしたよ」
「ねえ、アナタはどうして私を罪人だと思うの? 考えたことはある?」
「……はあ?なんでって、みんながそう言う――」
キノイの言葉が止まった。
ドリスは言葉を続ける。
「悪いとは言わないわ。アルカールカでは、そういうヒトが大半よ。私はそれを愚かだと思うけれど、でも、それは私の考え方」
現状に満足して、知ろうとしないことは愚かだ。だからドリスは、あのアルカールカという国が嫌いである。
それはそれで、別にいいと思う。人に、自分の考えを押し付けることは趣味じゃない。ただ愚かだ、と思うだけ。
でも、今はそんなことも言ってられないのだ。状況が変わり過ぎた。
「けれどね、それはもうできない。アナタが一番、分かっているでしょう」
「……」
ドリスの知りたいことは一つだった。
「キノイ。アナタは、これからどうしたいの?」
「……俺が。俺がこれから、どうしたいか」
もったいない、と思うのだ。自分で選んだのならともかく、彼が何も考えず、潮の流れに乗って大勢に与するのは。
もったいないと思う。
そう思うくらいには、ドリスはキノイのことを買っていた。
「それって、アナタ自身が考えることだわ」
そこまで言って、ドリスはにやりと口元を釣り上げた。
「あら、もしかして群れてないと泳げないの? だとしたら、イワシみたいね」
「うるせえっすよ!! 一緒にすんなっす。……どうすっかはもうちょい考えるッスけど……どうせここにいるんなら探索者として振る舞ってたほうが賢いんスよ」
そこはキノイの言う通りだ。協会の庇護を受けている方が、この海ではやり易い。
それに、探索を続ける理由がなくなったわけではない。ドリスとキノイを繋ぐ魔術的リンクは、未だ解かれないままだ。仮にキノイがアルカールカに戻るという選択をしたとして、この繋がりは枷となる。
今、彼がそこまで考えているかは分からない。それより重要なことがあった。
「それに。……それに、エリーさんにも……謝らないと」
「せいぜい考えなさいな、時間は無限にあるわけじゃないのよ」
返ってきたのは頷きだった。まあ、珍しく素直なものだとドリスは思う。
ここまで言うとお節介なのだろう。柄にもないが、そんなことを言い始めたらこの会話の最初から最後までがそうだから、気にするのを止めた。
「その限られた時間の中で、アナタが善いと思うことをしなさい。それはエリーさんのためじゃなくて、アナタのために、よ」
ドリスは自分のために動いてきた。それが善いと思うのは、この状況になった今でも変わらない。
自分の人生なのだ。自分のために使わないで、果たして何になるか――そんな風に思っているし、それが正しいと思っている。
キノイは少しだけ黙っていた。それから、何かを振り切るように叫んだ。
「あっそうだ!! あったりまえですけど謝る時はあんたも一緒っすからね!!」
「アナタが行くなら私は一緒に行かなきゃいけないってこと、忘れたのかしら」
「うるっせえ!!」
「喧しいのはアナタの方じゃなくて?」
「はーん、俺はうるさくてなんぼなんで〜諦めてくれっす〜」
空元気も無いよりはマシだろう。その方がキノイらしい。
彼に適当な返事をしつつ、ドリスはちらりと陸の生き物用の部屋に続く扉を見た。