05:アーカイブス第二の試練

「――イロワケイルカ。」
「別名パンダイルカとも呼ばれる。地味に飼育水族館が少ないことで有名で、まあ名前の由来は見ての通りの白黒模様がそれそのものというわけでそういうこと。見た目の形はよくいるイルカ系っていうよりなんかのぺっとしてて……なんか……ゴンドウ系っていうの?そんな感じでなんか丸くて可愛い。生息域も狭いからね、まあメジャーなイルカじゃないけど俺はこっちのほうが好きですフォルム的に」
「……カマイルカ。」
「ヒレがこうキュッとしてかるからカマイルカ。キュッ……てこう……そのものずばり鎌状なのでカマイルカ。バンドウイルカと違ってなんか体色が三色〜って感じがする。あとなんかめっちゃ泳ぐの速いんだよね。ビュンビュン飛ばしていく……あとそうなんか繁殖が意外とめんどいらしいと聞いた。よくショーでビュンビュン飛ばして泳いで飛んでたらだいたいいこいつら」
「オルカ」
「それはシャチ。よっぽどこっちの方がパンダみたいな見た目してない?って思うよね、俺もそう思う。学名が無限に厨二病って感じなことで俺の中で有名……でも冥界よりの魔物とかいうの突きつけられたらもうウワッ厨二病〜!!って思うし……ああそうそう、だいたいイルカって言うところのカテゴリの中では最大で、なんなら海においては天敵がいない。生態系の頂点ってやつだね。可愛い見た目してるけどバリッバリの肉食だし、……ペンギンをダイナミックに振り回してるのは違うやつだったかな。普通にアザラシとかもキメに行くし、飼育個体による人間の殺害例もあって」
「……話がなっがい……」

果たしてどうだろう、第一の試練で死んだような顔をしていた男は今、嬉々としてべらべらと喋っている。
スズヒコが提案した第二の試練は、一言で言えば『知識の試練』だった。スズヒコはこのために資料室の資料を総ざらいしたと聞くし、リンジーもリンジーで一歩も引かないというか、一言に対して口を開く量があまりに多すぎる。
ニーユは完全に置いて行かれていた。やっと知っている生き物の名前が出てきたかと思えば、情報の波が勢い良く襲い掛かってくるのだ。

「これそういうあれなんじゃないの?」
「そのつもりですが」
「俺はまだまだ行けますよ。超行ける。先週のに比べたら一晩これでもオッケーなくらい行ける」
「構いませんけど、赤縁の眼鏡が完全に死にそうなのでさすがに適当なところでやめますよ。そういう目的じゃないので」

所詮これらの試練は飾りだ。そう思ってニーユもスズヒコも、簡単だろうものを設定しているのだ。ニーユのそれは彼にとっては全く簡単ではなく、スズヒコのそれはスズヒコにめちゃくちゃな負担を強いたが。
それらを一切無視し、そしてそこで訪れるだろう脅威に対応してみせると言い切ったあの男の正気だけは疑いたくなる。協調性がない。

「あっはい!でも赤縁の眼鏡割と大丈夫ですよ!結構楽しいです!」
「ではせっかくなので、赤縁の眼鏡に質問を許可します。できればこう、あまり詳しくないのですがからの専門家殺し論法で」
「……なんですかそれ?」
「忘れてください。とにかく質問を許可します」

あまり大丈夫そうには見えないのは置いておこう。明らかに情報の洪水に押し流されている顔をしているし、何よりこの中で唯一『水族館』という概念に触れたことのない男だ。なんなら海を見たこともないと言ったし、その男にほぼほぼ一夜漬けのような状態で基本的な知識をこれでもかと詰め込んだ上、解説に合わせてフードコートのことはほぼ全てをやってくれているので、スズヒコはニーユのことを本当によくできた男だと思っている。あるいは致命的なお人好し。

「えー、えっとお……そしたらあの、さっきクジラの話もしてましたけど、両方とも同じ哺乳類なんですよね?」

この男は、海のことを知らないと言う割に、執拗に海棲哺乳類のことについて聞いてくる。けれども、魔女の下にいる限りで残念ながら、明確にその理由を思い出すことはできない。
だからと言ってこの題材にしたわけでは全くない。そこまでひとのことを配慮している理由も、そして暇もない。

「ああ。でもイルカとクジラって明確に違いってないよ」
「ないんですか!?」
「ないね」
「ないですね」

てっきり何か明確に区別されているのだとばかり……という声をかき消すように、リンジーが追い打ちを掛け始めた。容赦がないというか、他人のことを気にしないひとだ。全くもって。

「クジラ目マイルカ科とかだもん。ていうかシャチはもはやクジラの域だし」
「え、ええ……じゃあ何をもってクジラとイルカの差を」
「でかさ」
「えっ」
「でかさ。……まあ強いて言えばハクジラとヒゲクジラで分けてもいいけどマッコウってヒゲクジラじゃないよね?」
「そうですね。マッコウはハクジラですね」
「いやほんとにでかいかそうじゃないかで雑にイルカとクジラって分けてあってさあ〜ベルーガとか別名シロクジラだったりするしシロイルカとも呼ばれるしそんなもんだよ。そんなもんです」
「は、はい」

そんなもんです、と言えばそんなもんなのだ。生物の分類、あるいは命名には、時折ふざけた名前がついていることもあるし、スズヒコの知っている範囲だとショウジョウバエの変異体名には特にちょっとひねられた――と言えば聞こえがいいが、ふざけたものが多く存在している。

「まあだいたいショーをやってるのはバンドウとカマって覚えておくとたぶん水族館でネタができる。水族館と言えば俺ともう一人で相当鉄板にしてたネタがあるんだけどこれ話したらめっちゃ引かれそうなんだけど話したいから話していい?」
「好きにしてください。私の試練はもう終わりってことにしますんで」
「はーいじゃあ話します。これは相当大事なことですよ。バカウケ間違い無しだけど人は選ぶが、俺たちにとっては相当大事なことです」

息を呑んでやることにする。
そこまで言うのなら、というやつだったのは認めよう。

「サメとエイには……ちんちんが二本ある」
「……は?」

息を呑んだ分だけ、口から吐かれた言葉に心底失望することになった。
下調べ、というか【魔女】の言うところによると、この男は相当な堅物で気難しい性格だという話だったが、まるで話が違う。彼女の知らない部分が男三人という環境で暴露されているというのなら、それはちょっと。矯正していただきたいところだ。

「……」
「……あの、」
「言いたいことは分かる。俺の口から下ネタが出たことに心底失望しているタイプのあれだな?でもこれ大真面目に即座に見て判別できるところは相当かなり水族館デート力が高いよ。ちんこだけど。ちんこですけど」
「連呼しないでください!!」
「……ニーユさんそういうの苦手なタイプですか?」
「そ、そういうんじゃなくてあのここ一応かなりパーソナルなスペースじゃないですか!人間としてちょっと」

ふうんなるほど、と思ったところで、もう一つおまけが飛んでくる。
この男、自重する気がさらさらなさそうだ。好きなことの話が止まらないタイプの面倒なオタクだ。

「いやサメのちんこは正式に言うとクラスパーって言うんだけどほんっとに見たらすぐ分かるんだよ。分かる?絶対見たら他人に言いふらしたくなる。絶対にだ。俺はこの話をするためなら軽率に人間力も捨てるし実際数度捨てたし、俺の嫁はマジで馬鹿ウケして自分から探すようになった」
「は、はあ……」
「……既婚者だったんですか」
「えっはい。既婚者ですし子供もいました……このいましたというのは独り立ちしましたという意味で……」

嘆息。別段年齢的に全くおかしくはないし、スズヒコだって彼女がいるし、ニーユもそうらしい(恥ずかしいのか深いことに全く踏み込めていないのだが)し、むしろ一周回って安心すらした。この男ですら、社会的な生活ができている。

「でも、次の水槽シャチなんですよね……?」
「……よしじゃあシャチの話しようか……」
「何でサメの話したんですか!?」

すっと逸れていった緑の目は、どこを見ているのか分からなかった。


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深夢想水族館『トリエステ』は、大きなジンベイザメを模していた。そしてそれが自律飛行し、気が向いた時――あるいは勇者を招き入れて稼ぐとき、姉妹提携先の店の隣にやってくる。
その内部は全てが【魔王】の識るところになってしまうが、外殻はその限りではない。

「よう。来たな」
「来週には渡してしまおうかと思って。あなたの試練で……きっと、使いますよね」
「使ったら瞬殺だろうな。なんてったって全てを識る状態だものさ」

悠々と空を泳ぐジンベイザメの背に、男が二人立っている。

「あいつは?」
「あなたとは……極力顔を合わせたくないので、と言っていました」
「ハーン、まあだろうな。素直に協力してるだけまだマシか」

ニーユに大柄な杖を差し出し、男が帽子を被り直した。
ずしりと重い。けれどもそれは【魔女】が使用者を選ばせているからで、【魔王】の手に渡れば羽のように軽くなるだろうと言った。

「じゃあ次は二週間後だ。悪いがお前にも仕事があるだろうから、魔女のところに行っておけ」
「わ、私も巻き込まれるんですか。分かりました」
「だってあいつ極力顔を合わせたくないって言ったんだろ?じゃあしょうがないじゃん」
「……」

ゆらゆらと手を振りながら、白い影が尾を引いて消えた。
手元に残ったずしりと重い杖を引きずるようにして、ニーユは深夢想水族館の中へ戻っていく。