06:アイスキャンディ炬燵団欒

氷菓子を噛み砕く音が聞こえた。
安っぽいやつが一番いい、クリームみたいなやつは昔のことを思い出すからちょっと苦手、と【魔女】は言っていた。

「リンジーはねえ」

【水族館の魔女】ロールランジュメルフルールは、おおよそ十五〜六歳程度の見た目をしている。けれども実際には四十年ほどは生きている、という話だった。本人の言であるが、それを補強する情報はトリエステの資料室に山ほどある(らしい)。

「ちょっと真面目すぎて、生きるのが下手くそで、人生がハードモードで、けど話すととっても面白いやつ――って、タカミネが言ってたんだよねえ」

【魔女】は時折知らない名前を列挙する。列挙するし、何度も聞いているはずなのに、その名前を覚えられないのだ。誰かによって意図的に伏せられているはずだ。あの資料室の黒塗りの名前にしろ、それにしろ。

「わたしは好きだよ。もちろん!だって育ててもらった恩があるもんね。“みかん”はね、そうしないと生まれてなかったんだよね、きっと……」

もちろんその誰かが、【魔女】か【魔王】のどちらか――というのは、あまりにも自明だ。
少なくとも【魔女】と【魔王】は、知り合いどころではなく、どこかで生活を共にしていたことがあり、そして二人の種族は違うのだ。そこまでは、資料室の中身を全て漁ったスズヒコの助けを借りずとも、ニーユでも推測ができる。

「わたしは最近分かったんだけどね、みんなちょっとずつ間違えてって、その結果がオレなんだよね。けどさ、生き物が完璧に過ごすなんてできっこないじゃん」

髄まで吸い尽くされるような勢いで甘い汁を吸われたアイスの棒が、ゴミ箱に向かって放られた。そもそもいっぱいになっていたゴミ箱にアイスの棒は入らず、山盛りのゴミに弾かれて床に落ちた。

「……間違いが起こらなければ、今の俺がいないというのは確かに同意できます」
「でっしょ〜?」
「でもこれ人の家でする話じゃないですよね……」
「みかんちゃん様そういう難しいことちょっとわかんないわ」
「嘘をつくな!」

――そう、ここが他人のシェアハウス(家主不在)ということを除けば。実に真っ当な話をしていたし、聞かされていたように思う。
【水族館の魔女】ことロールランジュメルフルールは、【魔王】の力でトリエステを出禁になってから、姉妹提携先の男二人の家に勝手に上がり込んでは冷蔵庫を荒らし、ただでさえ男世帯で汚い部屋に何事もなく(――というわけではなさそうだが)馴染み、そして人の家のアイスを勝手にかじっている。と聞いたので、事あるごとにニーユは食事(とアイス)を持っていく係になってしまった。これが真に申し訳無さから来ているのか、これも【魔女】の力によるものなのか、まるで区別がつかない。
どんな無茶振りをされようとも、【魔女】には絶対服従なのだ。今のところ最強の無茶振りがこのアイス類だが、仮にそれ以上のこと――例えば自刃とか、それですら通ってしまう。……らしい、と聞いた。そこまでのことはする気はないよ、という言葉を、どこまで信じていいのかわからない。

「まあまあいいじゃ〜ん減るもんじゃないんだしさあ」
「アイスは減ってます……」
「……それはさておきさあ」
「今そこに気づいてしまったかみたいな顔しましたよねちょっと」

落ちたアイスの棒がふわりと浮き上がり、ゴミ箱の中に強引にねじ込まれた。

「――計画は順調かい?【魔術師】くん!」
「……はい。【狙撃手】とも会いました。帰ったら杖を渡します」

全てを識る杖だと言った。やたらと重い杖だった。海らしい装飾を施された杖は、この重さのままなら殴ったほうが強そうだ……と思ってしまったが、【魔王】の手に渡れば羽根のような軽さになると言うからどうなのだろう。本質的な質量がそのままなら、相当な武器になりそうなのに――と思ったのは置いておく。
この場は入念に仕組まれている。そのことを嫌というほど分からされ、そしてそのための駒でしかないことも改めて知った。
ここにいる全員が一人の人間の手の上で動かされており、そして一人の人間のために備えている。何もかもがそこに至るための流れるような道筋なのだ。水が綺麗に流れていくように、その路を整えている。

「よろしい!【諜報】くんにもよろしくねっ」
「はい。……あの。今更なんですけど、私たちは本当に、そこまでして備えないとならないんですか……?」
「うん」

どう足掻いても覆りはしないだろう水の流れを堰き止めるような問いは、当然ながら一言で跳ね除けられた。

「オレも詳しいことはよく知らないんだけど、そーとーヤバい奴が来るんだって……そんで、狙いはあの城だって」
「……何故そんなピンポイントに?」
「――都合がよかったんだろう、って言ってたよ。それは仕方ないんだ……オレが一番分かってる。……まあさあ、これも何かの縁だと思って、オレたちに協力してよ。ニーユ=ニヒト・セラシオン」

この【魔女】は、水の流れを止めるつもりはさらさらないということだ。
そしてそのためなら、何だってしてやろうという目をしていた。


  ▼  △  ▼


資料室に炬燵という文明の利器が持ち込まれたことにより、リンジーの怠惰さが加速していた。
ひどい寒がりだというから、見かねたスズヒコが炬燵の導入を提案した結果がこれだ。出てこない。なんなら炬燵で寝ようとするので、それをなんとかして阻止する仕事まで加わってしまった。

「……しかし何故そんなに寒がりなんですか?」
「わっかんない……俺が知りたいんだよね……なんか知らないけど全身寒いんだよなとにかく。体温計とかねーかな」
「……たぶんないと思うんですけど。あるとしても海獣向けのだと思うんですけど」
「……」
「今それでもいいか……とか思いませんでした?常識的に考えて駄目です」
「うんほんと常識的に考えて駄目ですよ分かる。分かるよ。俺だって飼育員ですからわかりますとも」

炬燵に全身を収めるには、背が高すぎるか炬燵が小さすぎるのだ。そもそもこの炬燵だって、リンジーのためだけに用意されたものではない。名目上は。
とはいえいる面子に炬燵に入りそうな者がいなさそうなのもまた事実で、何より置き場がなくて配置の仕方がギリギリだ。中身が崩れてきたら生き埋めになりそうな本棚を背にしてでも、炬燵に入りたいひとはいるのだろうか。

「す、すいません。リンジーさんはいますか」
「いませーん」
「いますよ。奥まで来れますか?」
「なんとか行きます!」

重そうなものを引きずる音を立てながらやってきたのはニーユだ。
パッと見ていかにも重そうで、そして随分とごつい造形の杖を抱えている。これは確かに、この男にしか持てそうにない。

「これを」
「……何これ?」
「杖です。……えっと、次の試練で絶対使うと思うので……それと」
「それと?」

見るからに重そうな杖を見て、リンジーは即座に嫌な顔をした。そりゃ持ちたくもないだろう。日頃から老体を労って欲しいと言って聞かない人だ。
渋り始めたリンジーに、ニーユが困った顔をして――そして言い放った。

「なんかこう……持ってたほうが魔王っぽくないですか!?」
「……」
「魔王っぽく」
「俺はそう思います!!」

大真面目な顔だったが、飲み物を口に含んでいなくてよかったと思う。とっさに帽子のつばを下げたが、たぶんこの笑いは殺しきれていない。無理だ。なんでそんな真面目な顔でそんなこと言えるんだ。

「お、おう。確かになんかこれでなんかそれっぽくなったらかっこいいかもしれない……?ほんとか?どう思うスズヒコ?」
「……それを俺に聞くの……炬燵に入りっぱなしよりは一万倍くらいマシだと思います」
「そう……」

気持ちはわかるよ、みたいな哀れみの目だった。リンジーの口元はほぼほぼマフラーで隠されているが、彼も今あの下は笑みが殺しきれていないに違いない。むしろ隠れていることをいいことに大笑いしているまであり得る。
杖をニーユから受け取ったリンジーが、軽々とそれを振り回す。狭いところで長物を振り回すんじゃない、と思った。

「……あっなんか見た目より全然軽いね。クソ重いかと思ってた。これならいいや」
「よ、よかった……それと、伝言です」
「伝言?誰から――」

資料室の床を、硬いものが突く音がした。杖が床を突いた音だった。

「――『第三の試練は、来週の開館時間にシャチ水槽の前で』」

帽子の眼鏡の下の目が、鋭く細められた。