01:ベルベット残像狂双

それはある意味での災害とも言えたし、今までの行いが返ってきただけとも言えた。けれども、そこにいたひとたちの多くは――何も、何も分からなかったのである。
何も分からないまま、ある日突然家が焼かれた。今まで守ってきたものが無に返され、自分の命さえ失うものもいた。

『問おう。お前はどうする?わたしの前に立つか?』

悪魔を担いだ狂戦士が嘲笑っていた。
立ち向かうような勇気はなかったし、これはある意味でチャンスだとも思っていた。ほとんど見たことのない外に、あわよくば出ていくための!
だから、あのとき、首を横に振ったのだ――

『――では往け。覚えておけよ、貴様らの行い、決して許されるものではないことを!』

鋼鉄製の壁が紙切れのように割かれていく後ろを、最低限抱えられるものを持って飛び出して。タンパク質だのなんだのの焼け焦げる不快な匂い、そこらに散った血肉と混じって余計得も言われぬものになっていた中を駆け抜け、無我夢中で走った。誰も追っては来なかった。誰も引き留めようとはしなかった。

――そうしてその日、リーンクラフト研究所は潰えた。



ウォーハイドラのガラクタとジャンクパーツを寄せ集め、なんとかそれらしく建物のような――というか、異様な外見を保持しているプレハブ小屋には、【Reinclat-Millia Service】という看板が掛けられている。
ウォーハイドラの整備、エンジントラブルはリーンクラフトミリアサービスまで――などと宣伝をしたのはごくごく初期の頃。あとは自分の腕で、なんとかかんとか食いつないできた。
ニーユ=ニヒト・アルプトラは、残像領域に流れてきたひとりの研究者である。多くは語らないがその整備の腕は確かで、ハイドラライダーの間の口コミを頼りに、慎ましやかに整備屋として働いてきている。
プレハブ小屋よりもずっと大きい、野ざらしに横たわる百足型ウォーハイドラ【ミリアピード】を目印に、ライダーたちはここまでやってくる。
数年前に残像領域にやってきたニーユは、しばらくライセンスを持っていなかった。彼のもとにライセンスが突如届けられたのは、半年ほど前のことである。ただ横たわるだけのウォーハイドラ以下のパーツ群は、その日やっとウォーハイドラになった。培養装置に電源を与えるだけだったミストエンジンは、その巨体を簡単に持ち上げて動かし、霧を吐いて店の看板を吹き飛ばした。
半年かけて、ニーユはミリアピードを組み上げたのだ。整備屋として稼いだ金を注ぎ込み、ミリアピードを自分好みの――大型で頑丈なウォーハイドラに。

「……」

ウォーハイドラの起動を見守る間、ニーユの足元に擦り寄ってきたのは薄青のスライムだった。
ここに来る時に連れてきた“培養兵器”。それがこのスライムだ。古いパーツの培養装置の中でぬくぬくと育ち、今ではニーユの“右手”として働いている。

「スー?」

スライムなのでスー。ど安直な呼び名である。

「どうかしましたか」

ぷるぷる。
彼か彼女かも定かでないスーは、言葉を発したり鳴いたりすることができない。なんとなくの勘でふんわりとした理解をしたニーユは、目の前のウォーハイドラを見た。なんか変だ。なんかって一体何がだ。

「……うーん?とりあえず搭乗テストしてみましょうか……えっなに?店ぶっ飛ばさないように?分かってますよ」

操縦棺は、これまた安直に頭部に設置してある。搭載したカメラが上手く動くなら、頭部に置く必要もないと分かってこそいるものの、やはりそこは譲れないロマンである。
かしゃかしゃと歩脚が動いて、胴体にぶつかる音がしていた。横たわる頭の中へ滑り込んで、操縦棺の中に収まる。耳元に流れる水音。ハイドラコントロールシステムが機動する。

『――っと。……ちょっと。何よ。何よこれ、どうなってるの!?』
「……はあ?」

甲高い女の声が――いや、子供の声が、ニーユの耳に飛び込んできた。

「えっ?……えっ!?」
『ああもう訳わかんない!!誰!?そこにいるあんた誰!?』

思い出せニーユ。この声の主は誰だ。しかし心当たりは一つしかないのだ。

「お、おまっ……お前もしかして、あのAI」
『えーあい。えーあい?――そういえばそうだわ、お父様がそんなことを言ってた気がするのよ!あたしの第二の人生、それは電脳世界で華々しく!』
「あっごめん全然華々しくもクソもって感じだけど、じゃなくて!」

あの時持ち出してきたもののひとつ、生体制御AI『ベルベット』。持ち出すだけ持ち出して、使わないのも可哀想だろうと思って――ライセンス認証をする前に、ミリアピードに搭載したのだ。まさか女だとは欠片も思っていなかったし、子供だなんてとても――とても想像がつかなかった。
進んで持ち出してきたわけではないので、中身にあまり興味がなかったのが完全に失敗だった。一度くらいパソコンで確認しておくべきだったのだ。

「え、えっと、ベルベット?君はベルベットで合っているかい?」
『そうよ!あたしはベルベット!ベルベット・リーンクラフトよ!あなたは?』
「――。私はニーユ。ニーユ=ニヒト・アルプトラ。ここはリーンクラフト研究所じゃなくて、もっとぜんぜん違う所――そう、残像領域」
『ざんぞうりょういき』

数年間放置していたことが、なおのこと申し訳なくなる。思わず操縦棺の中で背筋を伸ばして、ニーユは名乗りを挙げた。
ニーユ=ニヒト・アルプトラ。研究所で貰った方の名前が、ニーユ。基本的にその名前を名乗るように言われてきたが、もう教わってきた場所はない。

「君は今ウォーハイドラ――簡単に言えば人を乗せて動くロボット、それに搭載されているんだ」
『ロボット!そうなのね、すごいわ!だからあたしこんなに大きくなったのね!びっくりしたわ!』
「あっ理解が早くて助かる……助かるよ。申し訳ないんだけど、私はこのウォーハイドラ……ミリアピードに乗って、戦場に出る、んだ、……今度から……」

ベルベットは飲み込みが早かった。子供の人格とはいえ制御AIなら当然だろうか、しかし子供を戦場に連れ出すのは如何なものか。そう恐る恐る問いかけた言葉に、ベルベットは何てこともないように答えた。
戦場に出るようになるのは一月後。それまでに操作に慣れたり、彼女にも慣れる必要がある。

『大丈夫よ!生体制御も、ウォーハイドラもたぶんそう変わらないでしょう!それで、どう?新しいあたし、かわいい?』
「私はかわいいと思うんだけど、女の子だとどうなのかな……」
『何の形をしてるのかしら?大きすぎてあたし分からないの』

きらきらしたベルベットの声に、答えていいものか迷った。
ちょっと一般的に、苦手な人が多いものをモチーフにして組んだので。誤魔化したところでどうにもならないし、正直に言うことにした。

「……。……百足です」
『むかで』
「むかで……」
『イヤーーーーーーーーーーーーッふざけないでよ!!馬鹿!!サイテー!!あたし虫嫌いなのに!!最悪!!』

百足の巨体が揺れている。
地響きでぷるぷる揺れながら、スーは中で何が起こっているのか、きっとあとでくたびれたニーユが出てくるのだろう……ということくらいしかわからなかった。かわいそうなので、お茶を準備して待つことにしながら。