02:天ヶ瀬澪

ライセンスを手にしてから、マーケットに出入りするのは初めてだった。そこまで自分の足で出向かなくても、注文して取り寄せればいいだけの話なのである。
ミリアピードの機体はとにかく大きい(そうしたのはニーユだが)ので、パーツが持ち運びに向いていないのだ。カタログスペックとにらめっこし、サイズを調整して注文すれば、一週間もすれば手元に届く。それをああでもないこうでもないと組み上げていく時間は、とにかく楽しかった。
じゃあどうして今更マーケットに出向いているのかというと、戦場に出ることを決めたからだ。紙上、あるいはモニター上での睨み合いよりは、自分の目を信じたかった。
――とはいえ。

「さすがに人が多いですね」

ぷるぷる。ニーユの肩に掛かったタオルの下で、スライムが震えている。
ひとの絶対数が、とにかく多かった。見るものは決めきっていたので、そう歩き回ったわけでもないが、普段一人と一匹(――最近同居人(に数えていいのか?)が増えたのはまたあとで話すとする)と一AIで暮らしていて、やってくる客も多くて両手で収まるくらいのリーンクラフトミリアサービスと比較すると――あまりにも多い。
興味本位でついてきたスーは、肩の上で溶けていた。抱えて歩くわけにも行かないので、タオルの下(と小手の中)に収まってもらっている。
ミストエンジンを幾つか見て回って用はほぼ済んでしまった。とにかく大きいミリアピードを動かすためのエネルギーがいるし、培養装置だって馬鹿にならない。エンジン市場に目を配っていればよく、他のことは余裕があったら。領域殲滅兵器とか、だいぶ心が躍る言葉ではあったが、今手を出したところでうまく使える気は全くしなかった。
必要なものは頼んだ。そう長居していてもしょうがないのでとっとと帰ろうと思って、人混みを抜けていく。

目の端を掠める空色。

「……?」

何かがいた。人混みの中でも目を引かれたが、それ以上に至れない。
タオルの下で、スライムも不思議そうに首(にあたりそうな部分)を傾げていた。


結局“それ”がなんだったのか分からないまま、ニーユはミリアサービスのプレハブに帰ってきていた。動作テストも兼ねてミリアピードでマーケットの近くまで乗り付けた結果分かったことは、やはりこのウォーハイドラ、結構でかいということだった。
ベルベットの声は操縦棺の中にいなければ聞こえない。しかし彼女に呼びかける声は操縦棺の外からでも問題なく届くようで、今はベルベットの主導でその辺の荒野を走っている。多脚が動いて地面を踏みしめる音が、ひっきりなしに聞こえてきていた。
リーンクラフトミリアサービスは、残像領域の片隅の、ジャンク街や都市からは外れた荒野にある。人のいない場所を選んだのはいくつか理由があって、ひとつはベルベット・ミリアピードが規格外レベルに大きいこと――大きいことは男のロマンである。ウォーハイドラも例外なくそうで、とにかく大きい機体を組みたかったのだ。そのためにはスペースが必要だったから、何もない荒野にわざわざやってきたのだ。三十分ほど車を走らせれば街には辿り着けるし、ウォーハイドラならもっと早い。(ちなみにミリアピードと車はどっこいどっこいである)
もうひとつは、ニーユがジャンク街や都市の雰囲気に、どうしても馴染めなかったたらだ。元いた世界の研究所は森の中に隠れるように建っていたし、無機物の中で生活することに耐えかねたとも言う。今もどっこいどっこいなのでは、というのは、ミリアサービスの建物の裏を見れば解決する。
もうひとつ、これが最後の理由だが、元いた世界から連れてきたスーやベルベットが、誰かの手に渡ることを、ニーユはひどく恐れていた。ジャンク街でパーツ漁りをする人間全てがそうだとは言わないが、盗みを働くやつもいるかもしれない。街の人間が自分の右手を見て、何か言い出すかもしれない。自分という存在、スーやベルベット、それらに興味の矛先が向くことを恐れていた。早い話がこの残像領域に住まう人間を、当時のニーユは限りなく信用できなかったのである。
今じゃすっかり馴染みの顔もいるし、取引先というかパーツの融通をしてくれる整備屋もいる。それでも引っ越そうとは思っていない。

「ベルベットー、そろそろ戻ってきてください」

ガレージの裏のプランターに水を遣りながら呼びかけた。ベルベット・ミリアピードの定位置はガレージの後ろ側で、あまりにも大きい機体は、ミリアサービスの看板でもある。
多脚が乾いた大地を踏みしめて戻ってくる。多脚“だけ”が戻ってくるはずだった。

「……ンッ?」

ベルベット・ミリアピードの頭の上に、マーケットで見た覚えのある空色が乗っていた。


より正確に言うなら、乗っていたのではなく「近くにいた」であったが、それはどうでもよかった。少女をミリアサービスの店内に招き入れてお茶を出したところまではよかったが、椅子に座るわけでもなく、テーブルの上をじっと見ているだけだった。

「えっと」
「……」

流れでお茶を出してから気づいたのだが、目の前の少女、よくよく見ると透けているのだ。つまりそういうことだ。お茶を出してもあんまり意味がないタイプの子かもしれない。

「えーっと……君、名前は?」

幽霊とはいえ女の子を連れ込んでいるの完全に事案では?とか、誘拐の事案に当たらないか?とか、心配事は多々あった。その動揺を押し殺し、努めていつも通りに話しかける。
このニーユ=ニヒト・アルプトラ、大きいものとかっこいいものが好きなだけの一般(だと思いたい)男性である。一般男性はよその世界から逃げてこないとかそういうツッコミは禁止だ。

「……」
「……」

困った。青い髪の女の子、と呼んだって、ここには該当者はいないので分かってもらえるとは思うが、それはそれで悲しい。名前があるなら名前を呼ぶべきなのである。
とはいえそもそも、既に完全に怯えた目を向けられていて、ニーユはこれ以上どうもできなかった。もう既に事案じみている。

「……」
「い、いや、あのね、……名前があるなら、名前を呼びたいんだ。せっかくある名前が呼ばれないというのは、とても悲しいことだから」

気まずい。
しつこいようだが他意はないし、何か良からぬことをしようと思って連れ込んだわけでもない!
長らくの沈黙を経て、少女はようやく「ミオ」とだけ名乗った。

「……声がしたから……」
「……へあ?」
「……。……」

小さく零された言葉の意味を掴みきれず、ニーユは素っ頓狂な声で返事をすることしかできなかった。
ミオと名乗った少女は、窓の外を見ている。多脚が地面を揺らす音だけが聞こえている外を。

「……あっ。ベルベット?もしかしてベルベットか?……なんというか、こう、甲高くてきーきー言ってる感じの……わかりやすく言えばうるさい声……が、聞こえていた……?」

本人に聞かれていたら、おそらくこのプレハブごとぶっ飛ばされる。建物の中の声はさすがに拾わないようなのでセーフ。
少女はこくこくと頷いている。原理は分からないが彼女の声を拾って、ここまでついてきたのだろう。

「まあ、ええと……これも何かの縁だから、ミオ。どこにも行くところがないなら、いるといい。帰る場所がないならいるといい。俺はそういう場所になりたくて、ここにいるんだ」

失われた帰る場所。ひとつは引き離され、もうひとつは破壊された。
ないなら新たに組み立てろ、と、流れてきた世界でゼロから組み立てたのが、このミリアサービスだ。誰かの居場所になることに躊躇いはないし、出ていくのなら止めはしない。そうやって出ていった人たちが(――もう帰ってこないだろうことを分かっていても、)いずれまた荒野に立ち寄れるように。
ニーユはここに在り続けたいのだ。

「……」
「俺は裏にいますから、好きにしていてください」

ニーユが歩いて行く後ろを、ぷるぷるとスライムがついていく。プレハブの外にニーユが出たのを見届けてドアを閉めてから、スーはミオの方に向き直った。

『ね。あのひと変なひとでしょ?でも悪い人じゃないから、そこは安心してほしいな』
「……!」
『あ、聞こえてるっぽい。やった、ベルベットが聞こえるなら、ボクも大丈夫だと思ってたんだあ』

するするとテーブルの上に登ってきたスーは、冷えてきていたお茶の入ったマグカップを引っ掴むと、さながら浴びるように飲み干した。というか浴びていた。テーブルにもどこにもお茶は溢れなかった。

『ニヒトがいやなら、ボクとでもいいよ、お話しよう。内緒の内緒ね』
「……うん……」
『ミオ?って言ったっけ。ボクのことはスーって呼んで、ニヒトもそう呼ぶから』

マグカップが片付けられていく。
その間も、ミオは微動だにしなかった。ちょっとだけ、本当にちょっとだけ、微笑んだのかもしれないが。

『あーっあいつ自分の名前言ってないじゃん!バーカ!』

ニーユはまだ戻ってきそうにない。