03:霧の向こうのアルフェッカ

ミリアサービスのガレージには、現在常駐しているゲート探査車両「ひらくも」の他、もう一機のウォーハイドラが駐留していることがある。
アルフェッカ・インダストリー製ウォーハイドラ、コロナ・メリディアナだ。
かつて残像領域を駆けていた軽量機体、コロナ・ボレアリスを参考に、独自開発を経た移動用ならびに運搬用のウォーハイドラである。戦闘能力は高く設定されていない“らしい”が、有事の際は搭載された粒子ブレードや電子ブレードが容赦なく火を噴く。軽量高性能のエンジンは、コロナ・ボレアリスが残像領域から持ち帰ってきたミストエンジンを参考に、さらなる改良がなされた珠玉の逸品だ。

「ああ〜ほんと何度見ても惚れ惚れするね、メリディアナ」
「そりゃどうも。サンドイッチもらうよ」
「ええ、どうぞ!なんでじゃがいもだったんで?」
「ヤトリに言って。ここ用の仕入れ全部あいつがやってるの」

どちらかというとトカゲに近い格好だったコロナ・ボレアリスの後継機とも言えるコロナ・メリディアナは、ニーユに言わせれば“惚れ惚れするような”大型の猛禽類に似た形状をしている。飛行ユニットを搭載し、陸路にも空路にも対応した、曰くコロナ・ボレアリスよりも大型になった(それでもベルベット・ミリアピードと比較すると三分の一以下である)ウォーハイドラは、リーンクラフトミリアサービスを「取引相手」とする異世界の大企業と、残像領域を繋ぐほぼ唯一の架け橋である。
ライダーはアーサー・メイズ・アルフェッカ。月に一度から二度、直接残像領域に乗り付ける。無論それは、ニーユたちリーンクラフトミリアサービスとの取引だけが目的ではない。むしろミリアサービスのほうが“おまけ”で、残像領域に存在する各企業との取引が、アーサーの所属する企業であるアルフェッカ・インダストリーの主目的だ。

「はあ……通りでこう、“全く読めない”……」
「俺がルーチン組んでやってるのあいつが見てて、お兄ちゃんのは全ッ然面白くないですねえ!!って言われた俺の気持ちを……こう……」
「お察し致します」

まだニーユが残像領域に何のつながりもなかった頃、彼らが生きていく手助けをしたのがアーサーの前任者だ。ニーユが一番最初に整備したウォーハイドラは、当時まだ戦場に健在だったコロナ・ボレアリスで、それが乗り回されたことで一気にミリアサービスの知名度は広がった。
ミリアサービスは、残像領域にも進出したアルフェッカ・インダストリー(――残像領域での会社名は暁科学工業である)から、主なハイドラパーツや部品を仕入れている。暁科学工業所属のウォーハイドラは、ミリアサービスでは社員証の提示で無料で整備が受けられる。専属契約を結んでいる整備屋のひとつで、ニーユの主な収入源はこれなのだが、支払いを実費ではなく一部現物でやり始めたのが、コロナ・ボレアリスの二代目ライダーになったアーサーだった。整備の予定が立て込むとほとんど買い物に出れないニーユにとっては逆に都合がよく、それがアーサーが担当から外れ、残像領域を離れてからも続いている。

「あれやってんの?」
「水耕栽培ならいい感じ。サンドイッチのレタスはそこから」
「ワーオ。培養装置すっげーな」

比較的ニーユと歳の近かったアーサーは、ニーユがそれなりに心を許して話せる人間の一人だ。誰に対しても穏やかな姿勢を崩さないニーユの、敬語が取れるタイミングはそうそうない。

「畑……じゃあないか。なんか育てるにしたってさ、もっとまともな場所行くって選択肢もあるわけじゃん」
「街だとミリアピードが置くに置けなくて。場所代も馬鹿にならないし……」

ミリアピードは大きい、というよりは長い。身体を丸めることもできなくはないが、関節パーツへの負担が大きいのであまりそういう動作はさせたくないのだ。ほぼいつも身を起こした体制になるミリアピードの上半身の関節パーツは、ニーユがミリアサービスを休みにして丸一日潰してでも入念にチェックする部位だった。
そうでなくても、ニーユはこの“開けた場所”での生活が気に入っているのだという。

「まあ金はなあ。ここじゃあるだけあっても安心を買い切れない」

残像領域は、奪い合いの領域だ。
物資は貴重なものだ。アサメの所属するアルフェッカ・インダストリー、あるいは暁科学工業だって、他の世界とのパイプがあったからこそ、今この残像領域で成り上がっていると言っても過言ではない。この世界では、資源の安定供給はそれだけで勝ち組足りうるのだから。

「……そう、ですね」
「気軽に行こうぜ。俺はあんたのやり方嫌いじゃないよ」

その奪い合いの領域で、敢えて施す側に立つことを選んでいる人。
それが、ニーユ=ニヒト・アルプトラだ。
理由を聞いても、そういう性格ですから、以外のことを言わない。本当に気持ち程度に相場より割高な整備費(――と言っても、彼が追加料金を取ることはほぼないので、場合によってはマイナスになることもままある)と、ついでの食事。

「お人好しだよなあ」
「よく言われます」
「すごい今更なこと聞いていい?」
「うん?うん」

昔いた研究所でも、食事当番を定期的に引き受けていたのだと聞いた。だから、一人分の量の感覚が全く分からないのだという。最初こそアルフェッカ・インダストリーの支払いは一人分を基準に行われていたが、今はそうではなくなった。暁科学工業の社員にも、そうでないハイドラライダーにも、等しく施されるニーユの食事は、総じて評判がいい。

「なんで水耕栽培始めたの?」
「ああ、……いや、俺、何かを育てるのとか、何かの世話をするの、好きなんだ。昔からずっとそうで……それが俺の“仕事”だった。そうしているのが一番落ち着く」

あとは単純な思いつき、と。そう言ってニーユは笑った。

「でも俺知ってるからね。裏にビニールハウス建てようとしてんだろ、農家かよ」
「いやっ……ちょっと来る人が増えてるから……食費……」
「金取れよ!!」
「そうだけど!面白そうだったから!外で何かするのって、こんなに楽しいんだって……俺は……」

裏手に山ほど積んであったのは、ジャンクパーツから引剥してきた大量の長細い金属パーツと、それを結びつけるための紐と、透明な……というにはちょっと一声足りないビニールだ。この霧の満ちる大地でよくやろうと思ったな、と言う気持ちもあるし、そのチャレンジャー精神は分からないこともない。
それ以上に気になった言葉の端を掴んで持ち上げるかアーサーはやや思案したが、そうするべきではないと思った。

「……やるならかけるビニールはまともなやつにしてもいいんじゃねえの?こっちで探してもいいよ」
「そうだな……そうするよ。なんなら一緒に組むか?」
「やーです。それこそ普段メシ食ってんだからちょっと手伝って下さいとかで人手集めればいいじゃん」
「あっそれだ」
「気づいてなかったの!?」

ニーユは結構抜けているところがあると思う。アーサーはこの瞬間確かにそう思った。
ガレージの隅を借りている、最近増えたらしい一行に軽く一礼してから、コロナ・メリディアナの整備が行われているのをぼんやりと眺めている。
大柄な体格とそれに見合った手だが、ニーユの手先は器用だ。器用だし、“本当の腕ではない”右手も、細かい作業は問題なくこなしていく。曰く利き手は左だそうだが。
とんとん、とニーユが自分の右手を小突いた。手のひらからどろりとスライムが垂れたかと思うとあっという間に体積を増して三十センチほどの大きさになり、ヒトの小走りほどの速さで動いていく。そのうちそれが工具箱を持って戻ってきた。

「(何度見てもよく分かんねえシステムだよな、あいつの右手)」

聞いても何も教えてくれないのだ。
ニーユ=ニヒト・アルプトラは、自分のことを話したがらない。