05-1:怒れるベルベットとニゲラ会館

ベルベット・ミリアピードはお怒りである。とにかくお怒りである。

『いや……気持ちは超わかるけど。わかるけど』
『ならあたしに付き合いなさいって言ってんのよ』
『いやボク知らねーよマジで。あとでめっちゃ怒られるって』
『怒られる?そんなの全然怖くないわ。それよりもずっとあんなのが野放しになっている方が許せないわ!』

形ばかりの説得を試みたスーだったが、あっこれは駄目だと思った。止まりそうにない。そうじゃなくてもこのベルベットとかいうAI(――ということにしておく)、基本理念が過激派なのだ。スーよりもずっと。スーはまだ自分の中にストッパーがあると思っているが、ベルベットには基本的にアクセルしかない。踏んだら踏みっぱなしで一直線、よくそんな性格でハイドラコントロールシステムに組み込まれているなあとも思う。そこはニーユが優秀なのだと思うことにした。

『そっすね……はい……』
『クソ鸚鵡を締め上げたから、あれがどこに今いるのかは知っているのよ!』
『いつの間に』
『ちょっと胸ぐら掴んで揺すったらすぐだったわ!』
『同じ電子の世界の住人だからなの?何それこっわ……よかったまだ現実に現界してて……』
『何か言った?』
『イイエナニモ』

哀れな鸚鵡のことを思うと涙が止まらない。あとで指差して全力で笑ってやろう。
スーはいそいそとベルベット・ミリアピードの頭部まで登っていくと、ほんの少しだけ操縦棺入口部分の装甲を持ち上げて中に入り込んだ。
ベルベット・ミリアピードの操縦は、作ったニーユにとにかく最適化されている。それは本人(――ニーユではなくベルベットが)も認めるところだしよく口にしているが、スーも同様にミリアピードへの適性は相当高い。
ニーユ曰く『自分にもし何かあったら』らしいのだけど、用心深いにも程があると言うか、既にスーは生身(?)で戦場に出ているのに。ウォーハイドラなんか乗らなくても余裕でパンチパンチ!敵ハイドラドーン!……まあニーユが心配性なのだし、ニーユがウォーハイドラに乗れない時は、“近いうちに絶対訪れる”。そのときはスーが、如何にもニーユが操っている振りをして、ベルベット・ミリアピードを駆るだけである。僚機を心配させたくないのだろう――と思ったが、よくよく考えてみたら普通に出撃する時にバレるのでは?まあいいか。知ったこっちゃない。それはもうニーユが全部悪いことにする。あいつは周りに隠し事をしすぎている。

『というわけでねスー!今から“ニゲラ会館”に行くわよ!』
『イッテラッシャイ。っていうかあなた一人で普通に動けますわよねなんでボク呼んだの』
『コルヴス・コラクス以外の人間に危害を加える予定は今のところないから、あなたの会話能力に全てがかかってるのよ』
『待ってなんで!?ハア?巻き込むのやめてマジボクもう外出ッア゛ア゛ア゛ーーーーーーーーーーてめえーーーーーーーーーーーロック掛けやがったぶっ殺す』
『じゃあ行きましょう!地図が分からなくても、クソ鸚鵡の居場所に向かえば瞬殺よ!』

外見に見合わず実に静かに、ベルベット・ミリアピードが動き出す。すでにこの時点でニーユには気づかれているのではないか。いくら奴が仕事中はめちゃくちゃ真面目で、それこそ本当にサービスと気遣いが重量過積載ダメかも状態であっても、自分のウォーハイドラ(20m)が動き出したら気づくに決まっているだろう!気づいてくれ!っていうか止めろ!

『今丁度ね、装甲全取替のウォーハイドラがいるからね、きっと音で気づかないのよ!』
『ニーーーーーーーーーーーーユ!!このAIクソポンコツです!!早く入れ替えろマジで!!くそったれ!!』

そう、このベルベット・ミリアピード――体躯に見合わず、というか操縦者がビビりなので、霧の中に紛れて敵の目を欺くのだ。駆動音も例外なく、対策がなされていた。普段使いはそうそうされない機能だが――そうですね。きっと彼女にとってはこれから大事な大事な戦場に出向くのだ。そうじゃない。もうどうにでもなりやがれ。スーは全てを諦めることにした。

――ニゲラ会館。ハイドラライダー専門の下宿。
全てを諦めて情報を検索した結果分かったことは、名も分からぬ老婆が大家の、今も何名かのハイドラライダーが寝泊まりをしているはずの、下宿だということだった。一日二食つき。メシのうまさは個人的主観でニーユの勝ちということにする。なんてったって身内だからね。

『そんでその、コルヴス・コラクスってやつは、白い方だっけ』
『そうよ。無闇矢鱈に白くて存在感のないやつよ』
『でも股間は』
『あんたから殺す』
『アッハイスイマセンデシタ』

それこそベルベットが本気で暴れでもしたら、あっという間にぺしゃんこになりそうな場所だった。なんてったって20mある重量級だ。
立ち止まったベルベット・ミリアピードが霧を吐く。彼女のカメラが、見下ろす下に誰かがいるのを捉えている。

『誰かしら』
『わかんね。ここの人じゃね』
『そうよ、そういうときのためのあなたなの!あたしは基本的に通信しかできないから、誰か出てきたら話してもらうのよ』
『あっはいはいワカリマシタソッスネハイ。平和的解決をしよう!』

乗ったときと同じように、僅かな隙間から外の世界へ這い出ていく。
煙草に火をつけようとしていたのか、火のついていない煙草をくわえ、ライターを片手にした男は、どこか焦点の合わないような危なげな目で、“ベルベット・ミリアピード”を見つめていた。

「やっぱり……やっぱりデケェハイドラだなぁ!!お前よお!!」
『おっと?なんか明らかに存じ上げられている方っぽいけど?実は変態ってこいつではなく?』
『違うわよ。用はないわ』

降りるよりもずっと落ちるほうが早いのだが、なんとなく嫌な予感がしたので、スーは慎重にベルベット・ミリアピードの身体を伝って降りていった。
一方で男はライターをポケットにしまうと、突然の来訪者に驚くこともなければ恐れることもなく、――近寄ってきて、体節の一つに手を置いた。そしてそっと撫で始めた。嫌な予感大的中である。
――こいつもコルヴス・コラクスの“同類”だ!!

「全体が丁寧に手入れされてツヤツヤだし、百足型っていうのがイカしてる……培養装置やエンジンを節ごとに繋いでいる、って言う発想も滅茶苦茶良い。外見と発想が見事に一致してる。何せ格好いいしな、こりゃあ作ったやつは相当の愛着持ってるだろうなぁ、愛情を感じる機体だ。お前愛されてるな。こんな手間暇かかかる機体、好きじゃないと絶対組み立てられねーしここまで手入れできねーわ」
『ベルベット。ちょっと。ベルベット。ここあかんわ。あかんやつや。帰りません?帰ってからプラズマ砲とか積んでこない?』
『何?何で?』

さながら小首を傾げるように動かされた頭部。そうかまだ“褒められている”としか思っていないのか。幸せなことだ。
どうかその口を閉じて欲しい。というか閉じてもらうために話しかけるべきだ。スーがそう思ったのは、――あまりにも遅すぎたのである。

「あー……外装開いて配線の一本一本超見てぇ。ネジの一本まで舐めるように眺めたいわー。培養装置ばらしてまた組み立てたりしたいわー。マジで。良い?」
『……ハア?』

この流れちょっと前にも見た。それこそまさに今日の殴り込みの原因を作ったあいつに向かって、全く同じようにベルベットは吐き捨てたのだ。このあとのことは予想するまでもない。
そして、どれだけベルベットが呪詛や暴言を吐こうと、普通の人間には何も聞こえないのだ。霊障に秀でた人間や、通信機器を経由しなければ、その叫びは全く聞こえないのだ。

『――ふっっっっざけないで!!ベタベタ触ってんじゃないわよこの……変態がッ!!』

幸いしたのは、ベルベット・ミリアピードが重量級で、――その動きが、とにかく鈍重だったことである。
それかあるいは、相手とてウォーハイドラのことを知らないわけではないだろう。駆動音ひとつあれば、ベルベット・ミリアピードがその脚の一本を振り上げ、男を殴ろうと(実際殴ったら顔が腫れるどころではすまないと思うが)していたことに、気づくのは容易かったのかもしれない。
それはそれとして。

『……もうだめだこれ』

とにかくそれである。

「うおッ……いいぞ、そういうタイプは嫌いじゃねぇ!むしろ好きだ!!」
『余計なこと言わんといてマジほんと黙ってすっこんで欲しいんですけどっていうか変態って群れるの?マジ?はーつら』

そして、相手に言葉が届かないのは、ベルベットだけではなかった。スーも同様にそうなのだ。
霊障を用いて発声することは可能ではある。可能ではあるが、フリップボードに何か書く方がずっと早いし疲れないので、スーはもっぱら筆談でコミュニケーションを取る。今はもう書く暇もない。

『死んで』

そしてベルベットは。
自分の叫びが伝わらないことなど、絶対に頭(?)の中にない。

「おお……なんかよく知らねえけど俺は歓迎するぜ!ミリアサービスのウォーハイドラをこんなに近くで見れるなんてよぉ……しかもこっちに出向いてきてくれてるんだぜ……」
『何だ何だ騒がしいな!何か――ゲッ!!ベルベット!!』

本当に余計な口を叩かないで欲しかった。だがそもそも殴り込みをしているのはこちらなのだ。でもまさか変態がもう一人いるとは思わなかったし、やはり類は友を呼ぶとかそういうやつなのか。何にせよこの状況、どうにかしたすぎる。
そんな中、今回の目的(あるいはターゲット)の相方とも呼べるAIの声がした。どう考えても火に油を通り越して火にガソリンだ。大炎上待ったなし。火炎防御の準備はいいか?こちらはよくない。

『あーーーーーーっ!!パロット!!今すぐコルヴス・コラクスを呼びなさい!あたしが直々に殺してあげるから早く表に出ろって!!』
『ベルベーーーーーーーーーーット!!あのね!!君も変態の扱い方がなってない!!もっと粛々と殺さないと喜ぶだけ!!』
『そうなの!?どうでもいいわ!早く呼びなさい!!でないと殴るわ!!』
『えっ俺様また殴られるの!?やだよ!!最近いろんなところからの扱いがひどいよ!!俺様をもっと優しく扱ってほしい!人権を得たい!!』

20mのウォーハイドラが大騒ぎ(一般の人間には駆動音しか聞こえていないだろうが)している。ちらほらと野次馬が集まってきて、野次を飛ばしている中に見知った顔すら認めて、スーは頭が痛くなってきた。あのおっさんいつか霊障腹パンチだ。
そしてその野次馬の中に、いつの間にか哀れな(本当に哀れか?)ターゲットが立っている。あの男、そう言えばいやに存在感が無かったのだ。なんならよく知るミリアサービスの常連のおっさんと気さくに話すらしていた。スーは気づいていないふりをした。存在感がないので気づかなかったことにすればセーフ!

『うう……どうなっても知らないからな!!コルヴス!!お前にお客さん』
「ボクならここにいますよ。そう焦らなくてもレディ、ボクはいつでも“あなた”となら踊って差し上げ――」

発射音。

「……フフ。それとも今すぐがご所望ですか?」
『次はその頭をぶち抜くわ』

ミリアピードはちょうどメンテナンスのためにレーダーを取り外されていたのだが、それに一切構わず、彼女の勘だけで狙撃砲をぶっ放したらしい。
人にこそ当たらなかったが、砲弾はニゲラ会館の塀に無事着弾し、そして塀に大穴を開けた。死人が出なくてよかったことをまず喜ぶべきなのか、もうスーには分からなかった。

『あんたの尊厳を可能な限りで捩じ切ってから殺すわ!それが一番あたしの――ハイドラコントロールシステム、シャットダウンします……強制終了まで残り5秒……2……1』

ぶつん。
パイルを構えようとしていたミリアピードの大柄な身体が、一切の動作を止めた。中途半端に装甲の下からはみ出したパイルの上にごつごつした左手が置かれて、それを装甲の下に押し込める。
揺れる紫の短い髪、どこまでも冷えた紫の瞳。

『……に ニーユ!!』
「スー。話は後で聞く。全権限を預けるから、ミリアサービスに持って帰れ」

めちゃくちゃ怒っている。それだけはよく分かった。
ニーユは怒鳴り散らしたりすることはまずないけれど、怒ると実にわかりやすく声の調子が変わるのだ。普段の様子からは全く想像し得ないような、冷たい声で喋っている時は、めちゃくちゃ怒っているときだ。

『……ッス……分かったッス……』
「あとで見てろよ」
『ヒュッ』

いそいそとミリアピードに飛び乗る。地面がずっと下になった辺りで、変態二人と、見知らぬ老婆に頭を下げ続けているニーユの姿を認めて、胃が痛くなった。ないので架空の胃が。