08:レーヴァテイン一閃撃滅

年に一度か二度、それは実に唐突にやってくる。
無音で空間を割いて、何事もなかったかのようにニーユを勢い良く――蹴り飛ばすのだ!

「――うわッ!?」

ガレージの中にいたはずのニーユの身体が勢い良く霧の中に放り出され、そのままごろごろと荒野に転がった。
100kgをゆうに超す――と言っても、見た目からはそこまで重いと感じさせないのだが、その背中を蹴り飛ばして数メートルふっ飛ばしたのは。

「なんだ、情けないな。その体躯は飾りか?」

ひとりの小柄な少女だったのである。
ざんばらに切られたブロンドの髪がふわりと靡いた。その下の碧い目が、面白くもなさそうな色をして、吹き飛んだ紫色を見つめている。

「いや、あの、あのですね、あなたのほうが、おかしッ」
「今日の飯は何だ?」
「……。……カレーですけど」

――クラトカヤ・レーヴァンテイン。世界を渡り歩く絶対不敗の狂戦士。一言で言えば気が触れていて、けれどもまだ会話ができるタイプの狂戦士だ。真っ当な答えを出す保証はどこにもないし、返答が言葉である保証もまたどこにもない。
背負う大剣は、曰くベルベット・ミリアピードを“寸分狂わず縦に真っ二つにする”。ミリアピードですらそうなのだから、軽量機はそれこそ剣の錆にしてしまうのだろう。ニーユの考えのまるで及ばない世界の話だ。そもそもニーユは、なぜ彼女が定期的にここを訪れるのか、皆目見当がつかないでいた。彼女に何かした覚えはないし、彼女に聞いても、飯がうまいからだ、としか言わないのだ。

「米は固いほうが好みなんだ」
「そこまで言うなら自分で炊いてくださいよ……」

派手に蹴り飛ばしたニーユの元に歩み寄り、手を伸ばそうとして――クラトカヤはその碧眼を細めた。

「……お前」
「……は、い?」
「いいや。今日の言うことが増えたなと思っただけよ」

伸ばそうとした手は、そのまま担いでいる大剣の柄に回される。
クラトカヤがわざわざ定期的にこの地を、リーンクラフトミリアサービスを訪れる理由は複数あるが、そのうちのひとつが迫っている。

「今日“も”と言うものかと思っていたが、どうもそうではないらしい。戯れのあとの整備は頼んだ」
「……ああ、もう、また……、……用意ができたら、容赦なく撃ちますからね……」
「構わん。わたしに当てられるものなら当ててみろ、お前の右手を目印にして……」

迫るのは明確な殺意だ。
その正体を、クラトカヤはもちろん、ニーユもよく知っている。そっとニーユの肩を押し、蹴り飛ばしてきたのとは逆の方――ミリアサービスの建物の方に押しやれるくらいには余裕があった。あるいは、与えられていたのかもしれないが。

「来い。“リーンクラフト最後の復讐者”!」

大剣を構えるのと、拳を振りかぶった“男”が迫り、一撃を叩きつけるのはほぼ同時だった。
片手で構えられた大剣を押し返すことすらできない、紫の髪が揺れている。その中にぐにゃりと空色が混じって、そして散っていく。大剣が振り抜かれ、その勢いで数メートル吹っ飛んだ相手は、霧の向こうで体勢を立て直したらしい。

「手を抜いているのか?余裕があって何よりだ」
「――うっせえな!!」

簡単な挑発に乗った声は、ついぞさっき蹴り飛ばした相手とまるで同じだ。
迫る。迫る。霧の中から姿を現す、大柄で――紫の髪の男!

「毎度毎度元気のいいことだ。食前の運動にはちょうどいいさ」

半歩身体を引く。そのまま上体を逸らすと、まるでヒトの肌の色ではない色をした拳が、顔を掠めるように通過していく。
毎度毎度飽きないものだ、と思っている。来るたび喧嘩を売られる。理由は知っている。そしてその憂さ晴らしじみた(――相手は本気で殺しにかかっているつもりなのかもしれないが)“ちょっとした乱闘”に、クラトカヤがわざわざ付き合ってやるのも、彼らが“最後の生き残り”ということになっているからだ。
拳も、脚も、使えるものは全て使わんと言わんばかりに振りかざし、振り抜き、クラトカヤを捉えんとする。そのいずれもを捌くか大剣で受けるかして、軽く鼻で笑い飛ばした。一旦距離が取られる。追撃してやりたいところだが、慈悲を与えることにする。

「ウワッ……お前、獣くせえ……」
「そうか?」
「反吐の出る臭いがする」

明確な殺意。あるいはやり場のない怒り。戦場に向けるしかない無限の怒り。

「いつもいつもそうだ――ナメた口利きやがって……ボクは絶対にお前を許さないんだ――」
「そうありたければそうあればいい。だが実に可哀想だな、そうあり続けなければ存在意義が溶けてしまうのだろう、不定形なものをなんとか定形の箱の中に押し込めておきたいのだろう!嫌いではないよ」

霧が深い。
それでも視認できる距離に――けれども剣閃も拳も届かない距離に立っている男は、先程押しやった男と同じ顔をしている。違うことがあるなら、身体中そこいらが、いつもの“彼”の姿そのものの色をしていて、そして流動的であること、それくらいだった。
髪と揃いの紫のはずの両の目に、時折赤い色がちらつくのもそれだ。模倣しているにすぎないのだ。ニーユ=ニヒト・アルプトラを。

「ボクはあんたが嫌いだ」
「一向に構わん」
「……ボクは、あんたが、嫌いだ……あのときお前が来なければ……」
「……敢えてこう呼んでやろう、スー」

クラトカヤは、剣をその場に放り捨てた。
外套の下からどうやって剣を振り回していたのかという細腕が覗く。見ただけなら、ニーユの体躯で十分に制圧できそうな体で、クラトカヤはそこに立っている。
そして言う。ごく短く、一言。

「お前に何ができた?」

彼を――スーを激昂させるのは、その一言で十分だった。それだけ固執しているということ。それだけ心残りがあるということ。その怒りのやり場は最近ようやくできたこと。そしてクラトカヤの言葉に、何の間違いもないこと。
それら全てを一纏めにした、乱暴で無秩序な拳が、クラトカヤに迫る。模倣元には存在し得ないはずの、右の拳。その怒りは一瞬で受け止められ、碧眼が憐れむように見ている。

「お前に……何ができた?――エルア=ローア!
「っるせえ、お前に何が――

言葉は続かなかった。言葉ごとスーたちを薙いだのは、エネルギーの塊だった。

ハイドラ用のプラズマ砲を抱えて持てる上、その反動で吹き飛ばないような人間が果たしてどこにいるのだろう、という話である。ニーユは処分予定のミストエンジンに直接プラズマ砲を接続し、この際エンジンを壊すつもりで高速でエネルギーチャージ、そして荒野目掛けて放ったのだという。残念ながらエンジンは無事だったそうだ。
その結果見事に自分のかたちをしたスーを焼き払い(――彼の“本体”が自分の目につくところにあったからこその芸当とも言える)、ほんの少しクラトカヤの皮膚を焼いた。本人曰く完全に誤差だそうだ。

『おかしい。なんでボクこんな目に遭わなならんねん』
「自業自得だろうがよ」
『ついでにオメーも焼ければいいのによーヘタクソかよー』
「わたしがすごいのさ。ろくに避けられなかったお前とは違う」
『ウワッ腹立つ早急に死んでほしい』
「殺してくれるならいつだって歓迎するぞ。殺せるものならな」

そしてクラトカヤは、当然のようにミリアサービスに乗り込み、今はカレーを食っている、その隣で何事もなかったかのように、スーがぷるぷる揺れていた。

「……」
「ほら見ろ。ニーユがすごい顔をしている」
『なんでや!ええーボク別に悪くなくねえ!?ちょっと殺意に負けただけだし?それにほら?恒例行事だし?』
「……私の格好でやることですか?」
『アッスイマセン……でもデータ古くてさあ……ニーユのはいつも最新版だからさあ……』

スーのことはよく分からない。ニーユは前にいた研究所で、ひたすらスー(と他の――なにか、なんと説明していいかわからないものたち)を世話して過ごしていた。ニーユの記憶の限りで7〜8年はそうしていたし、残像領域に来るとき――否、研究所を抜け出さざるを得なくなったときから、ずっと一緒にいる。けれど、彼のことはさっぱり分からない。
スーを連れていかなければならない、と思ったのは、研究所を抜け出す一年ほど前に、自分の右腕を“あげてしまった”からだ。義手ではなく中空の籠手とスライム――スーの一部が与えられ、『あなたたちなら大丈夫でしょう』と言われたことは、今でも記憶に新しい。
ニーユの右腕のスーと、今さっきまで暴れていたスーは、もうほとんど別個体のような存在になっている。右腕には自我がないし、自分で栄養が確保できないので、ニーユにほとんどを頼り切っている。ニーユの指示の元にあるスーたちは、本当に“ニーユの右腕になった”スーたちだ。そうじゃない方のスーは、うるさいし、ああやって暴れるし、勝手に他人のところに殴り込みに行くし、口が悪い。

「……それで、クラトカヤさん。何か私に言うことがあるような素振りでしたけど」
「そうだ。今日は……本当に“今日に限っては”わたしはわざわざ飯をたかりに来たババアではないのさ。これは忠告であり、助言だ……」

珍しく、ミリアサービスの休憩所に人がいない。クラトカヤがそういう時間を選んできたのか、あるいは本当に偶然なのか、判別するすべはない。
それでもクラトカヤは、周囲を気にするような様子を見せてから、ニーユをまっすぐに見据えて言った。

「もう“あれら”と関わりたくないのなら、早急にリーンクラフトの名を降ろすべきだ」
「……!」

震える手を誤魔化すように、首元のタオルを握る。――わかっていたことではあった。いずれそうなる。近かれ遅かれそのときがくる。

「リーンクラフトミリアサービス。それなりに名が知れていると言うじゃないか」
「……おかげ、さまで」

残像領域において、リーンクラフトミリアサービスは、整備屋であったり、もしくは飯屋であったり、認識は人によって異なれど、それなりの知名度を持っている。人の集まるところだ。人の集まるところに、なってしまっている。

「覚悟があるのならそのままでいればいい……まさかとは思うが、単に思い入れがあるからと言って――他に思いつかなかったからと言って、その名を冠しているわけではあるまい?」
「……」
「ふん。早々に腹をくくれと言うことだ。どうするにしても」

空になったカレーの皿をテーブルの隅に押しやると、クラトカヤは立ち上がる。
棒立ちのまま、目も合わせられないニーユの横まで歩いてきて、そして囁くのだ。

「残党狩りは楽しいぞ……斬っても斬っても湧いてくる……わたしに目が向いているうちはいいだろう、わたしの目をかいくぐる“かしこい”やつがいたら、どうすると思う……そうでなくても、その名前を見つけた奴らは、どうすると思う?」

そこまで考えが及ばなかったわけではない。そうなるかもしれないことから、目を逸らしていただけだ。
ニーユの中の“リーンクラフト”は、彼にとっての唯一の居場所で、それ以上でも以下でもない。ある日突然居場所を蹂躙し叩き壊したのはクラトカヤで、彼女はそのときこう言ったのだ。

『――では往け。覚えておけよ、貴様らの行い、決して許されるものではないことを!』

結局ニーユは何も知らないままだ。研究所のことはまるで分からず、見つけてほしいのか、見つかりたくないのか、それすらも分からない。
あのときに戻りたいのか、戻りたくないのか、介入してほしいのか、ほしくないのか――背の向こうで扉が閉まる。