10:スレイベルが貫く

怯え。あるいは油断。今まで知り得なかった構造上、あるいは素材上の不具合。もしくはそれら全て。少なくとも二番目はない――ないと、信じているけれど。

「よし、ベルベット!索敵情報を――」
『待って!敵機接近よ!――スレイベル!!』
「手痛い一撃になるかもしれないが……頑丈さには自信がある、そうだろう、望むところだ!」

敵の刃、あるいは砲弾を甘んじて受ける戦い方を始めてから、一月が経っている。ベルベット・ミリアピードの装甲に大きな傷をつけられたことは未だになく、そう金もかからなければ、自分の身に危険が及ぶこともなかった。なんせ20mの巨体は、戦場では悪目立ちする。ステルス機能を完全に切ったミリアピードは、節を狙って斬れと言わんばかりの的だった。
それはもちろん、元来からニーユが想定していたことでもある。その巨体を完全に霧の中に隠してしまうこともできる。敵に捕捉されることがまずないだろう。それでもだ。それでも彼は、ミリアピードの装甲に拘った。臆病だったからだ。
ミリアピードの装甲に守られている。ベルベットが種々のサポートをしてくれる。スーがバイオ兵器として場に出て、的になるか敵数を減らしてくれる。それら全てを支えにして、やっと戦場に出る覚悟がつくくらいには、ニーユ=ニヒト・アルプトラという男は、臆病者なのだ。
それでも戦場に出ると、まるで人が変わったような口振りでハイドラに乗る。旧型の二脚のウォーハイドラに目をやり続け、わざわざそちらの通信を優先するようプログラムを書き換え、――ともに戦場に出ている少女に、余計な心配をかけないように、それだけの気持ちで、場馴れしているように振る舞い続けるのだ。年長者として、庇護対象に執着し続けている。

自信はある。自信はあるけど、全くもって存在しない。
機体に絶対の自信はあっても、本人にまるでそれらは存在しない。

『頭!頭に来る!メインカメラを壊してでも受けるほうが得策だと判断するわ!』
「それでいい!直すのは俺だ!」

格闘機の速度には勝てない。射撃機にもいいように的にされる。であれば、防御を固めてしまうのが手っ取り早い。
迫る格闘DRの刃を、受け止めようとした。そのはずだった。

『! こいつ!』
「――ッ、ぐ……!」

衝撃。
ぶつかり合った機体のうち、大きい方が首を振って、刃を刺し入れて来た方を弾き飛ばす。追撃は許さない。複数の速射砲を起動して威嚇射撃で追い払うと、他のウォーハイドラがスレイベルを追いかけていった。

『損傷率40%!電流で中から配線がかなり焼かれたわ!右側の回線は保持のためにすべて遮断して以降全て左側のみで制御を――』

ベルベットが流れるような言葉を吐くのと同時に、メインモニタに同様の情報が表示され、機体の現況を確実に伝えていく。それに返答があるのを待とうとして――ベルベットははたと気づいた。
操縦棺内のニーユとの接続自体が切れている。それの意味するところに。

『ニーユ?……ニーユ!?』
「あッ……が、……ぅぁ……」

電流が灼いたのは、ミリアピードの配線だけではない。
ミリアピードと神経接続をしているニーユを、そのコネクタとも言える右手を経由して、電流が貫いている“はず”だ。操縦棺内の状況をベルベットが把握するすべは、ニーユの音声しかない。それでも、苦悶の声が聞こえてくる以上は、そう判断する以外の択が存在していない。

「ふ、ぐぅ……う、……回線……、……通信、回線を、切っ……ミオ、に、……ミオ……」

そっちは平気?という少女の声が、あまりにも、あまりにも残酷に刺さる。この期に及んでまだ平気なふりをしようとしているのがあまりにも滑稽で、かわいそうで、ベルベットは今までの通信ログから音声を切り出して、定形の返答を僚機に返した。平気なふりに加担した。でもきっと、彼の手が動いても、そうする。

『ニーユ。ニーユ!可能なら状況を説明して!以降のミリアピードの操作は全てあたしが引き受けるわ!だから心配しないで、――あなたがどうなっているのか教えて!』
「い……いた、い、……血が、……ぐ……ッ、みぎ……」

会話の間に、メインカメラが飛んでくる戦闘機の姿を捉えた。既存のデータがデボンレックスと呼ばれる戦闘機であることを告げ、飛んでくるミサイルの数も的確に告げる。四発放たれたミサイルのうち三発を迎撃して撃ち落とし、最後の一発は装甲で受け止める。まるで先程の電流とは比べ物にならない、ごく小さな衝撃のみで事足りた。爆発音。ミリアピードの巨体はびくともしない。

『――充分よ!あとはそう、耐えて、耐えてちょうだい、あたしたちがここを片付けるまで!』

返答はなかった。
通信にまた定形の言葉を、前に吐いただろう言葉を投げつけて、ベルベット・ミリアピードは体勢を低く取る。地を這う百足目掛けて放たれた二度目のミサイルは、どれも到達する前に迎撃された。


『男手!男手を貸してくれ、いやこの際何でもいいけど!ガキは離れてろ!整備できるやつも手を貸せ!ウメ!おめーもだよ!!ユリアは向こう行ってろ!エルシスの言うことやれ!』

ベルベット・ミリアピードが戦場から戻ってくる。
ミリアサービスに戻ってきたその巨体には、ついに深々と傷がつけられていた。ちょうど口の隙間から電磁ブレードを刺し込まれ、そのまま電流で内部配線の三割ほどを焼かれたのだ。
ゆっくりと顔を降ろし、ガレージの床に接地させたミリアピードの周りを、スーの指示で何人もが取り囲む。リーンクラフトミリアサービスが大規模ユニオンとして存在することに感謝しつつ、申し訳なくも感じていた。まさか、まさかこんな形で、世話をかけさせることになると、誰が予測できたか。

『頭も操縦棺もどうせ総取っ換えだ、外せ!壊してもいい!うるせーてめー茶々入れてる暇あったら言ったやつ準備してろや烏龍茶って呼ぶぞ!!』

騒がしさの向こう側に追いやられたうちの一人になってしまったミオは、同じように追いやられた何人かと、静かに待っていることを強いられている。
スーの霊障の声だけがびりびりと届く。難しいことは分からなくても、それらは不安を掻き立てるのにはあまりにも充分すぎた。
ミリアピードが戻ってきて、スーも戻ってきて、なのにニーユは未だに姿を見せない。

『ウワッやべ……血の苦手なやつは下がってもいい!力に自信のあるやつは力を貸せ!引き摺り出す!』

いてもたってもいられなくなる。声だけの情報では、どうやっても最悪の事態しか描けない。
共に追いやられていた――ミオをその場に留めるためにそこに置かれていた――ユリアの止める声を振り切って。

「にひと……!」

休憩室を最短ルートで飛び出してガレージへ、幽霊だからこそできる芸当だ。けれども幽霊であることで、彼女のやれることを、やりたいことを、生身ならできただろうことを、あまりにも縛るのだ。
目に入る赤。力なく投げ出された四肢と、血の気のない顔。

「……!!」

通信は?どうして?声を掛けてきたのは誰?
それらすべての疑問に、答えてくれる人はいない。その場に立ち尽くしているしかできない。何もできない。何も。何も――


『電磁ブレードの刺さりどころがとにかく悪かった、ってところね』
「あっそう」
『……随分興味がないみたいな口振りね。あなたって本当にニーユの相棒なの?』

100kg近い巨体を、狭い通路を通して部屋まで運んでくるのも大変だったし、病院に行かないという択に異議を唱えられたのを受け流すのも大変だったし、なんかもうとにかく大変だった。ベッドで眠っているニーユを見下ろすのは、――同じ顔の人型。

『あとはそうね。ちょっと素材の問題も進言したいわ』
「そう」
『話せって言ったのはあなたよ。なのに何?なんでそんなに興味がないみたいな口振りなのかしら!そもそもなんでその恰好なの』

病院に行かせるのを、医師に見せるのを拒んだのは他ならぬこの男だったが、本人も間違いなく同じことを言う。研究者を自称する割に(――それも、そうするのが一番怪しまれないことを知っているからだ。それでもその誤魔化しは破綻している)白衣の人間が苦手で、それだけでなく、調べられるとあまりにも不都合が出てくるのだ。
ニーユ=ニヒト・アルプトラが、ただの人間ではない証拠が、それこそ山ほど。この世界の技術で引っかかるのかどうかはさておき。
確信があった。次の日には、もう意識を取り戻して、なんなら起き上がって仕事をしようとするだろう。それは流石に阻止しなければならない。

「決まってんだろ。ライセンス誤魔化すためさ、あとはあんたと接続するならこのほうが都合がいい」
『それはそうよ。そうだけど、あなたが乗るの?私に?いいけれど。いいけれど、培養装置の中身が空になるわよ』
「ああ、だから今、どうするかを考えてた。降ろして空いたところに何を積むか、――あるいはもう捨てちまうか」

ハイドラライダーのニーユと同じ顔をしたもう一人――かつての培養装置の中身、スーは何てこともないようにそう言って、霊障で話しかけてきている外の相手を見やった。ベルベット・ミリアピード、“今は”重量級の、鈍重な機体。

「ベルベット・ミリアピード。速く動ける自信はあるか」
『私をもっと軽くしてくれるなら。培養装置が重すぎるの』

スーは正直言って、ニーユのやり方――というか、ベルベット・ミリアピードが遅すぎることが、好きではなかった。
自分が乗るのなら組み替えてしまえ。ごく気軽にパーツを組み替えられるウォーハイドラであることを、全力で活かしていけ。とはいえあまりにも大きい機体をどうこうするのは、たぶん一人じゃちょっと辛い。それは、ここにいる人間に頼んでしまえばどうにでもなるだろう。整備のできる人間は多い。

「よし。じゃあ決まりだ、――ボクがそこに入らないなら、あんたに積んでる意味は限りなくないからね」
『ニーユが何か言わないかしら』
「しばらく無理だろ。――それに、それこそ、そうだ、元に戻したきゃ自分でやれ、って話になる。ボクはボクのやりたいようにやる。別に元あるパーツ捨てないんだから、それでいいだろ」
『……まあいいけれど。今の状態は記憶しておいて、いつでも提示できるようにするわ』

いつものベッドで眠っている姿は、多少険しい顔をして、上半身に巻いた包帯が見えていることを除けば、大していつもと変わらないような気さえした。
特に身体の右側を手ひどくやられているのだ。けれど、きっと全く跡を残さない。多少の痛みも気にしないことにして、何事もなく振る舞おうとする。
それが何より気に食わなくなるだろうことは、今からもう、分かっていた。

「……それでいい。長々と悪かったな」
『いいわ。あたしに乗るんだから、ちゃんとしてほしいってことよ、“ニーユ”』
「……けっ」

声は聞こえなくなった。鈍重な足音がする。
それも、そのうち聞こえなくなって、寝息がひとつ聞こえているだけになった。