12:整備士がふたり

「もう大丈夫です!ご心配おかけしました!!」

とてもとても本調子とは言い難いが、もはや寝ていたくもなかったのである。右腕だったものは殖やし直し中。二週間ほどしか経っていないが、大きい傷も塞がり始めている。動けばそれなりに痛いが、耐えられないほどではない。
要は無理をしなきゃいい、というところだけど、ミリアサービスに集う面々からは恐ろしいまでに心配されてしまった。あと、どうやらそのうちバーベキューをやるらしい。肉奉行をしたい心が早ったが、数人がかりで制されてしまった。医者の不養生ならぬ整備士の不具合。“整備”する側として、たまにはあなたが“整備”を受けてもいい。そういうわけで、飯屋の面はまだまだ休業。お茶は飲める休憩スペースとして相変わらず開放されたミリアサービスは、再び整備の依頼を受け始めることとなった。
今ここにいる整備士は、ニーユだけではないのだ。ひらくもの笛付は常駐しているし、最近(まかない付きで)雇われることとなった日高梅もいる。
――そして今、もうひとり。

「いや、でも、嬉しいけど、嬉しいけどさ……自分のところはいいのかって」
「許可は取ってあります」

チカ・タカムラ。残像領域に以前から存在する、タカムラ整備工場の娘にして整備士。

「ならいいんだけど……」
「あまり気にしないでください。やりたいからやっているだけなので」

ニーユは、タカムラ整備工場とバルトロイ・クルーガーには感謝してもしきれないと思っている。残像領域に放り出されてすぐのころ、その日食うにも困る有様で過ごしていたころ、まだあのすべてを管理された研究所のほうがずっとマシだったのではと思っていたころ。
何故生き延びようとしているのだろうとすら思っていた青年を捕まえた男は、何を思ったのかそのまま彼を知り合いの整備工場に放り込んだのだ。それがタカムラ整備工場だった。

「チカとガレージに立つのも久しぶりですね。五年ぶりぐらい?」
「だと思います。ニーユさんが出て行ってから、そんな機会ありませんでしたから」

残像領域での生き方を教わった。寝る場所があり、時間と規律にも縛られない場所で、ハイドラの整備を学んだ。
まるで分からなかったパーツの名前を覚え、組み立て方と解体の仕方を学び、手の入れ方を教わった。
何としてでも、ひとりで立って生きていく。そのためなら何だってする。そのつもりで必死で学び教わり、そして工場を出た。いくつかの整備工場を渡り歩いて、最終的に自分の場所――ミリアサービスを始めたのが、ざっと三年前のことだ。

「正直ちょっと、恥ずかしいというかなんというかで」
「何故です?……別に今利き手しか使えないのは不可抗力ですから、何も思いませんけれど」
「違う、違うって。それはもう自業自得というか、そうだから、別によくて……」

普段、呼吸するくらいに気軽に、右手のスライムを操って遠くのものを取ったり、部品を持ってくることのあるニーユにとって、右手が焼かれてしまったのは何をするにしても不便が多い。利き手が左なので食事や文字を書くことには何の影響も出ていないが、ハイドラの整備をするのには、本当に手が足りない。両手でも足りないと思うときがあるのにだ。
リハビリも兼ねて自分の機体(今は相棒が本当に好き勝手しているようなのだが)から見始めるのが今日。培養装置の中身が乗るのでもういらない、と下ろされたスペースには、代わりに大きめのエンジンが収まっていた。

「一応、ほら、先輩ですから……」
「そうですね」
「なんかその、先輩に見られてると思うと緊張しません?」
「そんなものですか?」
「そういうものなんです」

整備士として、というよりは、より早く整備士を志していた方。ニーユのほうが年上ではあるが、タカムラ整備工場にいたときは、確かにチカのほうが先輩だった。情けなくも、彼女の後ろを生まれたてのひよこよろしくついて回って、あらゆることを聞いた。十二歳だかそこらだった彼女に、ガレージにいるときは、ほんとうにずっとついて回っていた気がする。
無論自分の整備に自信がないわけではないが、今は腕が一本足りていないのだ。

「しかし、噂には聞いていましたけど、ちゃんとやれてるみたいでよかったです」
「えっ。ええと、ライダーのほうですか」
「……店の話です!」
「す、すいません」

少しばかり声を荒げたチカの隣で、ニーユの肩がびくりと竦んだ。男の左手が指差す先に、スパナを持った女の手が伸びる。

「結構有名になってるみたいですし。リーンクラフトミリアサービス」
「……飯屋として?」
「整備屋としても」
「……はい……」

他愛もない話ができるくらいにはなれた。それはきっと、喜んでもいい。
昔の自分がそれどころではなかった自覚はあるし、残像領域に来て、――助けてもらって、随分と変わったと思う。そうでなければきっと今頃――

「でもニーユさんのご飯おいしいですよ」
「あ、ありがとうございます……」

考えを振り払うように頭を振って、ため息をひとつ。飯が有名になっていることを喜んでいいのか分からないけれど、おいしいと言ってくれるのは純粋に嬉しい。片手で料理をするのも難しく、アルフェッカ・インダストリーに発注するものが食材から出来合いの品物になった。自分と滞在しているひらくもの二人のためのぶんだけの出来合いの食事は、とても少ないように思えた。

「そういえば」
「はい?」
「バルトが何か迷惑かけたりとかしませんでしたか」
「えっ?……あ、ああ、先週来た時の話……?」

先週バルトが来た時に、チカがてっきりついてきているのかと思っていたらそんなこともなかった。ぞろぞろ行ってもしょうがないでしょう、とは、それはそれで正しい。
先週のことを思い返して、すっと表紙の巨乳が頭をよぎっていった。いけない。

「ああ、別に何も……な、なにも。なにもなかった」
「……本当ですか?」
「ほんとに!なにも!ないです!!」

まさかエロ本持ってこられたとは言えまい。見舞いに来てくれたのは嬉しかったが、それはそれとして一度怒っておきたいような気がしてきた。とはいえ普通に好みの範疇だったので機会があれば使えるのが何とも――そういう問題ではない。

「何もありませんでしたから!ほんとですから!」
「はあ……」

とりあえずで布団の下に隠している本のことを思いながら、ニーユは首を横に振った。あの本の処遇は本当にどうしたらいいんだ。下手に本の置き場にしている物置に持っていくとミオに見つかりそうだし、かといって捨てるにしろタイミングを図らなければならない。難易度が高すぎる。なんてものを持ってきてくれたんだ。

「……はあー……」

どうせあの男にそれを言ったところで、男の部屋に一冊くらいエロ本はあるもんだろ!と言って聞きやしないのだ。彼は、そういう人間なので。