15:セラシオンの来訪

右腕を取り戻した、というと、何かで封印をされていたかのような言い振りだが、それも間違っていないような気がした。精度にかなり難があるのは、動かして勘を取り戻していかなければならない。それは自分も、右腕もだ。

「どう?」
「何とかなりそう。長くかかっちまったな……」
「そらそうだよおめー……むしろ早い方だと思うよ?」

細かい動きはまだできないだろう。利き手が無事でよかったと思った。とりあえず利き手がいつものように動いて、最低限支えたり押さえたりができれば整備はなんとかなるし、梅がかなりいい仕事をしてくれるのだ。ニーユのあまり得意ではない軽量機の整備はすっかり任せてしまっている。
ようやく改めてスタートラインに立てたというわけだ。戦線を退くつもりは、ない。

「……それで、えっと」
「脚なら発注済みだ。マーケット経由じゃねえから、個人的に届く。代わりにうちからエンジンを出す」
「それは、問題ない……あとは」
「砲か。焼夷じゃなくて狙撃でいいのか。戦果取るんなら焼夷だと思うが」
「俺は戦果を上げたいわけじゃないから」

スーは可能な限りでベルベット・ミリアピードを軽量化し、素早く動いて攻撃することを選んだ。それでもやはり装甲の分を削ることは難しく、なんでこんな重い機体組んでんだよとは何度も言われた。それがこだわりというか、それよりも譲れないポイントだったのでもはや諦めてほしい。
ニーユの手に戻ってくるということは、また重量級に戻るということだ。それが一番落ち着くし、そしてそれでいて前に出ない、という選択をするのであれば――砲を積む、というのが、ニーユの至った結論だった。
そのための準備は着々と進んでいる。すでに一本狙撃砲も押さえてあるし、新しい脚の発注も済ませている。脚の換装はどうしても一日がかりになるので、ミリアサービスの休業日もセット済みだ。

「なんかな」
「ん?」
「やっぱり変な感じだ。絶対もう乗らないって言うと思ってた」

揃いの紫の瞳に、時折赤がちらつく方がスー。そうでなくとも、いつもパイロットスーツを着ているほうがスーだ。ごもっとも、ニーユもパイロットスーツを着て隣に並んだことがないのでわからない。きっと似ていると言われるのだろう、双子みたいに。けれど、スーはニーユのことをよく知っていても、ニーユはスーのことをあまりよく知らない。人の姿になれるのだって残像領域に来てから知ったし、それで自分のライセンスで、自分のハイドラを乗り回される日がくるなんて、まるで思っていなかった。

「……スーは俺のこと一体何だと」
「前も言ったよ。ビビりで図体だけ立派な野郎だ」

散々な言われようだと思ったが、それを否定はできなかった。
何か言い返そうか思案しているうちに、ガレージで作業をしていたはずのウメが休憩室に現れる。

「店主さんいるー?」
「あ、はい。いますよ」
「なんか客が来てる。いや、店の客じゃなくて、個人的な感じっぽい?」
「個人的な……?」

まるで心当たりがない。とはいえ自分を訪ねてきているのは確かであるのなら、応対しない択はニーユの中にはない。
外で待っているというから、一旦機体の話はおしまいにして、外へ出ていく。

「……?」

外で待っていたのは、見知らぬ男だった。
どれだけ記憶を辿っても覚えがない。客として会った記憶もない。

「あ、あのう」
「はい」
「ニヒトさん、ですか」

恐る恐る呼ばれた名前に、ぐっと警戒値が上がる。何故わざわざそちらで呼ぶのか。名乗りをあげる時に、基本的にニーユは“ニーユ”と呼ばれることを好んでいる。自分の名前がニーユ=ニヒト・アルプトラで、そのうち研究所にいたころにもらった名前が“ニーユ”と“アルプトラ”だ。それより前、生まれた時に親からもらったのだろう名前がニヒトだということを、ニーユは実にぼんやりとした記憶でしか認識していない。

「……。……確かに私は、そう名乗ることもありますが……どちら様ですか?」
「あ、わ、私は」

言葉は続かなかった。
男が膝を折って、泣き崩れてしまったからだった。

休憩室でわんわん泣かせておくわけにもいかず、ニーユは結局男を自室まで案内している。まさか名乗りだけで泣かれるとは思わなかったし、そうなると何か、自分が忘れているかもしれないような気がしてきたからだ。
けれども、本当に、心当たりはまるでない。人違いではないのか。

「……あの、大丈夫ですか?」
「ふぁい……大丈夫れす……すびばせん……私の……私のしてきたことがようやく……」

不思議な人だった。心当たりはまるでないのに、初めて会った気がしない。

「え、えっとですね」
「あの、ほんと、すいません、混乱させているのは私がとてもよく分かっていますから」

お互いに混乱している。それが手に取るように分かった。ベッドの上に腰掛けたニーユは、特にこちらから何か聞こうとはせず、彼が話すのを待った。
目元を拭いながら、ぽつりぽつりと話し出すのを、聞き逃すまいとする。

「……あなたの、あなたのことを、ずっと探していたのです。生きていてよかった……」
「えっと、あの。それは何故ですか、私は……私には、探されるような理由が思いつきません」

もしニーユを探しに来る人がいるなら、あの研究所の生き残りだろうかと思う。しかし研究所にいた人間の顔くらいは把握しているし、それとは一致しない顔が目の前にある。
――もし研究所からだったら。そう思うと何故か途端にすっと背筋が冷えて、気持ち身構える。

「そもそもあの、……お会いしたこと、あります?」
「ああ、あの!えっと、これは、その……ちょっとかなり諸般の事情で……あの……姿は……気にしないでほしいんですけど……あのう……」
「は、はあ……」

言い淀んでしまったのを追求する厳しさは、ニーユにはなかった。今はむしろ困惑しかない。
少なくとも研究所の関係者ではなさそうで、安堵する。――何故安堵した?

「えっと、ですねえ、私……今は、ミリアム・スノトライエと名乗っています、この身体で行動するときの……仮の名前ですが、そのようにお呼びください」

そして、落ち着いて聞いてほしいのですが、と前置きして、一拍置く。
何を言われるのかと身構えていたニーユの耳に届いたのは、にわかには信じられない言葉だった。

「私の本当の名前は……ミリア・セラシオン。ニヒト、あなたの、――姉です」
「……はあ?」

姉がいた記憶などない。そもそも何故男が姉を自称して、今ここに現れているのか。信じられないと言ったような声を放って、ニーユは凍りつく他無かった。