16:過去を語るスノトライエ

ニーユの姉だと名乗った男――ミリアム・スノトライエは、この残像領域に至るまで、ありとあらゆる世界を探し続けてきたのだという。その過程に置いて絶対に必要だったという姿が今の姿であり、実際は同じ髪と目の色をした女である――と、言われたところで、とてもじゃないが信じることはできない。
とはいえ彼(彼女と呼ぶべきなのか)を霧の中に放り出すこともできず、かと言ってどう接していいかも分からず、一週間が経過しようとしている。
ミリアサービスに集う面々には、「遠い親戚」で押し通している。

「ニーユさんはすごいですね」

そして一方のミリアムはと言うと、何事もないようにミリアサービスに溶け込んでいる。

「……。……そう、……そうでしょうか」
「私はとてもすごいと思います……たくさんの人に好かれているあなたを見ると、私まで嬉しくなる……」

珍しく人のいない時間帯だった。それでも自分のことをせめてニーユと呼んでくれと言ったのはニーユ本人で、ミリアムはそれを守り続けている。分かっているのだろう。外から見た時、自分が(実際にそうだとして)姉だと言い張り続けることは、あまりにも無理があるのだと。

「ミリアムさん」

実のところ、迷っている。
本当に姉なのだとしたら、自らの欠落した記憶を補ってくれるのではないか。本当に姉だとして、何故自分の育った場所に共にいなかったのか。浮かぶ疑問を、その言葉でかき消してくれるのではないか。
それは同時に、“知らなくてよかったこと”を知らされる可能性も孕んでいる。知らなければ心を乱されることもなかったことが果たしてどれだけあるのか、それをこの続く戦いの中で聞いていいのか。

「はい?」
「……いえ。ミリアさん」
「……はい」

一歩踏み出すための言葉が、喉奥に引っかかって出てこない。

「……。……あなたの話を、聞かせてもらえませんか。あなたの知ることを――あなたの知る、私のことを」

随分ゆっくりと言葉を吐いて、数度深呼吸をする。お茶を淹れます、と立ち上がったのは、きっとその場にいたくなかったからで、ミリアムは何も言わなかった。 自分に姉がいたなんて話は聞いたことが無いし、スーも知らないと言っていた。スーが知らなければ必然的にベルベットもそうなる。見知らぬ男からもたらされる家族の情報は、ニーユをひどく悩ませた。虚言。妄言。誰かの策略。その可能性を考えようとしている合間に戦場に出、そして何事もなく帰ってきた。
――可能性がないわけではない。ありとあらゆることについてそうで、戦いの場に出ている以上、一番考えたくない可能性を第一にして考えるべきで、そうなったとききっと、自分はまともに話を聞いていられる自信がない。最悪この男を霧の中に放り出すことすらしかねない。そうすると、聞くタイミングを先送りにして、結局聞き逃す方が痛手だと、ニーユはそう判断した。すっかり紅茶を入れるのも手慣れた。ストックを切らさないようにしてくれるひらくもの芦屋には感謝しかない。

「……」

ティーカップを二つ持って戻ると、ミリアムは穏やかな顔で座っていた。
カップを置いてから、向かい合うように椅子にかけた。やはり未だに信じられない。

「お待たせしました」
「いいえ。わざわざありがとうございますね、私のような得体の知れない輩に……」
「……。……あなたが妄言を吐いているというのなら、その時の処遇を考えさせていただくだけです」

牽制するように放った言葉に、ミリアムは目を伏せる。

「私は言葉でしか、あなたを納得させることができません。何も証明するものがない……姿も変えて歩んできてしまいましたし、写真だとかも、――何も残っていなかった。何もかも焼けてしまっていたから……けれど私は、確かにそうであると。強く自信を持って、私の知り得ることを話しましょう……ニヒト」

目を伏せた理由を話し切って、一息ついて、ティーカップに手を伸ばす。頭の片隅で炎がちらついた。
――あの日の。あの時の。

「……そのように。人が来たら切り上げさせてもらうかもしれませんが」
「ええ、それはもちろん。あなたの良いようにしてくださいませね」

数度深呼吸する。お互いにそうして、ニーユが伏せた目を上げた時、テーブルの向かいの相手の目は、とても真剣な色だった。自然とニーユの背筋も伸びる。

「私が五歳のときの話です。そのとき私の弟はまだ三歳でした」

名もないような小さな集落で。他にも僅かな人間しか住んでいない、よっぽど動物のほうが多いような場所で暮らしていたのだという。家族四人と、それから動物たちと、皆知り合いの他の家族たちと。
その日までは何事もなく、皆で平和に暮らしていたのだ。それがこの先もずっと続くと思っていた。

「その日は、よく晴れた日でした」

いつもと変わらない晴れた日だった。
集落の入り口に、見知らぬ白衣の男たちがやってくるまで。

「私は家で遊んでいたので、実際何が起こったのか、他人から聞いただけです。私の他の生き残りの大人が言うには、突然やってきた人間たちが――一揃いの白衣の人間が、まず大人から手当たり次第に殺していったと。リーンクラフトを名乗る人間たちが……」
「……!」

大人から殺したとか、揃いの白衣とか、それらよりも何よりも頭を埋め尽くす単語がある。――リーンクラフト。
かつていた研究所の名前。かつて破壊された研究所の、名前。

「それ以上のことは、そのときは分かりませんでした。あとから調べたところによりますと、リーンクラフトの名を冠する研究所があって、――そこはもう今はないのですね。それはごく最近知ったことです」
「……そう、ですか」

確証は持てない。けれど、そこに確かに繋がりが見いだせる。続きを聞いていいものか迷った。そうして迷っている間、ミリアムは続きを話すのを待ってくれているようだった。

「……大丈夫ですか?」
「あ、はい、すいません、……続けてくださって構いません……」
「……はい。それから、彼らは火を放ったようで……私達のいた家も例外なく火を放たれました。そして――」

今まで信じてきたものが崩れていこうとしている。
きっと次の一声で、決定的に崩れる。

「子供の力では、大人には勝てない、ということです。私は弟の手を確かに掴んでいましたけれど、彼らは私には目もくれず、私の弟だけを――ニヒトだけを連れて、そのまま去っていきました」

その後隣の集落の人間に助けられて今に至ります、と言った言葉が、恐ろしく遠い。自分は炎の中から助け出されたと思っていたのだ。今までずっと。あの研究所の誰かにそうされて、そして研究所で暮らすことになったのだと、ずっとそう思っていた。

「リーンクラフトという言葉と……あなたの名前と。それだけを頼りにして、私は……私は、ここまでやってきました。無論私の力のみではありませんけれど……!」

まっすぐ見つめてくる金の瞳を見返せない。何かどこかで齟齬を見出だせないか、どれだけ必死で考えても、何も出てこなかった。――この男が自分を虚言で誑かそうとしているのではないか。それは何度も考えたことだ。けれど、けれど。

「……だから私は、あなたが信じてくれなくとも、私の信じるニヒトに会えただけで、もうよくて、……生きていてくれたってそれだけで!それだけで……今までが報われたと思うので!」

こんなことを自分に向かって言う人が、全てを虚言として吐けるのだろうか。