23:たまに時には姉らしく

ミリアムは迷っていた。
ニーユにどう声を掛けるべきか、それはもちろんそうだ。目下一番の悩み事はほぼそれに収束するし、どうやら彼には避けられているらしい。それもそうだろう、突然やってきた男に姉ですなんて名乗られても、困るだけだ。困らせている自覚はある。
幸いにしてミリアサービスから追い出される気配はないものの(それどころか自分用に部屋も用意してもらった)、彼から話しかけてくることはほぼほぼ無い。スーや彼の僚機だという幽霊の少女は、よく話しかけてきてくれたが。

「……こ、困りました」

今困っていることは、それではない。
ミリアムとて、何もせずただいるだけ、というのは避けたかったのである。無論、簡単な手伝い――例えば皿洗いだとか、事務作業だとか、そういう手伝いは進んでやっていた。そういうことじゃなくてもっと、彼に直接何かできるようなことがしたかったのだ、そのためだったらこのミリア・セラシオン、自分の身体を投げ打つくらいしてしまうし、実際投げ打った……わけではないけれど、取引に乗った結果が今の姿なのだ。行動力の高さには自信があるし、なので行き先も告げずに店を出てきた。が。

「ここは……どこでしょう……」

ミリア・セラシオンに致命的に足りていないものがある。
それは、残像領域の道の知識と、――方向感覚だった。

妙な連絡が入ったのは数刻前で、随分切実そう……というか、呆れたような声に、チカも何も言うことができず、時間もあったのでその頼みを引き受けることにした。
さすがは頭角を現してきた整備屋だけあって、“そんなこと”をする時間は取れないのだと。そもそもそういうことをされるのが想定外で、今日は夜まで時間が空きそうにないので。ということ、らしい。

「お姉さん、ですか……」

そう言って渡された画像データに写る姿は、どう見ても男の姿だったのだが。
今まで聞いたことのないようなレベルの複雑そうな声に、いろいろ聞くことは躊躇われた。なんならこれから探しに行く、本人に聞けばいいだけである。
ニーユの準備は実によく、その“姉”には位置の逆探知が可能な端末を持たせてあるとのことだった。それ用の端末を取りに行ったら、整備中のニーユと目が合ったけど、びっくりするほど申し訳無さそうな顔をしていた。そりゃそうだ、身内(だろう相手)を探すのを、長い付き合いがあるとは言え他人に任せるのだ。それも勝手に出ていった相手を。
これで本当に何もないところからだったら、さすがに彼を引きずり出していたところだった。準備がいいのは良いことである。

「……」

曰く筋金入りの方向音痴で、一度一緒に出かけた時にあっという間に姿が見えなくなったので、対策をしたのだと。手を繋いで歩けばいいのでは、と言ったら、苦虫を噛み潰したような声でそんな歳じゃないです……と返された。
手の中の端末に表示されている点が、タカムラ整備工場にそう遠くないところだったのもあって、すぐ用事は済みそうだった。なんならそのまま帰れるようなルートだ。あっちへ行きこっちへ行き、とフラフラしている点を見ながら、チカは確実に距離を詰めていった。

案の定、見つかるまでにそう時間はかからなかった。

「あら、えっと」
「すいません。少しよろしいですか」

受け取った画像通りの、亜麻色の髪と、少し淀んだような空の色の目。背丈はニーユとさして変わらないが、体格はニーユのほうがずっと立派だ。

「はい、いいですよ。というか、あの……チカさんですよね?チカ・タカムラさん」
「……そうですけれど。何でしょう?」
「ああいえ、あの。ニ……ニーユから話は聞かせてもらっていまして、ですね。私、今ちょうど、タカムラ整備工場に向かっていたのです!」

見つかって良かったです、とふわふわした調子で話しかけられ、チカは面食らった。というか目的地がそこだとは思わなかったし、ニーユもきっと想定していなかったろう。同じような調子で続けられた声は、さらに想定していないものだった。

「何も言わずに行くのもどうかと思ったのですけれど、ニーユにバレるのもどうかと思いましたので……あのですね、チカさん!あなたに相談したいことがあって、来ました!いやまだついてませんけど、もう実質ついたようなものでしょう」
「は、はあ……」

話を聞かないところとか、放っておくとよく話すところとか、よく似ている。
見た目はまるで違うし、姉と言うには身体の性別すら違う。そこには何かあるのだろう、以上のことを踏み込んでも仕方ないし、言葉に嘘はないと思った。

「とりあえず分かりました。ここで話すのも何ですから、ひとまずうちまで来てください。帰りは送っていきますから」
「ああ、助かります。ひとりで帰れる気がしなかったので、とても……とても助かりました!」

笑う姿は、女性らしい所作だった。

――結局のところ、姉は心配だったのだ、という話だ。
チカだって、ニーユがハイドラライダーになったと聞いて、随分と驚いたのだ。大破したハイドラから、血の跡の残る操縦棺から目を背けていた頃を知っている。そういうものだとどれだけ言い聞かせても、俺は嫌です、の一点張りで、部屋に籠もって泣いていた頃を知っているのだ。
人が死ぬ世界だ。それこそ紙切れよりも簡単に、ハイドラの火器は人間を、人間ごとハイドラを両断する。ハイドラライダーとして戦場に出れば、嫌でも命のやり取りの場に出る。例えるなら虫も殺せなさそうな彼が、ハイドラライダーなんて――そう、思っていた。
戦果のランキングで、リーンクラフトミリアサービスの名前を見ない日の方が、少なくなっている。ここ最近はずっと、彼か、その僚機、あるいはどちらも。ランキングの種類は違えど名前が乗っていて、活躍ぶりは目を見張るものがあった。
それとは別に、ニーユは整備士として仕事もしているのだ。リーンクラフトミリアサービスは、もうすっかり有名な整備屋になっている。ニーユが、彼の僚機が、戦場で活躍するたび。高い戦果を残すたび。彼らは有名になっていく。

「私ごときが、口を出していいかも迷うのですけれど」

姉はそう言って俯いた。
チカは、はっきりと口を開いて言う。それ以外の択はない。

「いえ。むしろ血の繋がりがあるからこそ、話を聞いてくれるかもしれませんよ」
「――血の繋がりしかないんです。チカさんもきっと、姉がいたなんて話、聞いたことが無いでしょう……だから私は躊躇っているし、けれど、このままではいけないとも思いました。ですのでこうして、今日」

ニーユ=ニヒト・アルプトラ。
リーンクラフトミリアサービスの整備士。そしてハイドラライダー。人当たりもよく、丁寧で穏やかな物腰で、整備の腕もいい。ハイドラライダーとしては半人前を自称こそするが、最近では戦果ランキングの常連。
怖がりで臆病で、――そして何より、人の話を聞かない。頑なに無理を押し通す男。

「ここにいたときからそうでした。あの人は人の話を聞きません、自分一人で全てやらなければいけないと思っているんだろうし、誰も助けてくれないと思っている」

話を聞かないというのは、全く相手にしないということではないのだ。むしろ人の話には素直に耳を傾けるし、指摘に言い訳をすることも少ない。
それでも彼の振る舞いが改善されたことはほとんどない。無理を押し通し続け、ある日突然倒れたりする。あるいは、取り返しがつかなくなって、自分でどうしようもできなくなって初めて、誰かのところに恐る恐る相談をしにくる。そういう人なのだ。

「そんなことないんです、って何回言っても、変わらないんです。あるいは変えられないのかも分かりませんけれど」
「……。なら、私が――変えてみせます」

言葉を遮って力強く宣言してくる、真っ直ぐな目は見たことがあった。
かつてその目を見せてきた男は、立派な整備士になっている。

「……よく、似てますね」
「え?」
「いえ。あなたならきっと大丈夫な気がしました、というだけです」

ひとつ息を吐く。

「私は、私の行動力に、確かに自信がありますから!そうして私は無事ニーユに会えたわけですし、――きっと何とかできるのです。私はずっとそうやって生きてきたし、だからこれからも、大丈夫だと思っています。なので、大丈夫です」

根拠など、きっとどこにもないのだろう。そのまま立ち上がって、今日はありがとうございました!と言って立ち去ろうとするのを慌てて引き止めた。