28:もうひとりのアルプトラ

「答えから言うとね」
「うん」

終わった戦場のデータを眺めながら、ニーユは生返事を返した。
生存率九割超え。ティタンフォートという【盾】が二人もいればまあ当然だろう、という気持ちと、僚機に防衛戦果が抜かれていることに頭を抱えたくはなるが、上出来だろう。当たらなければどうということはない。

「あんたが人間……真っ当な人間じゃないのは、もう分かってるだろうけど、嫌んなるくらい確か」
「……だろうな」

お前が怪我したときだって、病院には連れ込まなかっただろう、と淡々と言われる。それは確かにそうだったし、行く必要がなかった、とも言える。あれだけ深々と電磁ブレードを差し込まれ傷をつけられたのにも関わらず、次の日には意識を取り戻したし、傷が塞がるのも早かった。何も手を入れていないのに、だ。されたことはただ、申し訳程度に傷を閉じて、ガーゼを当てられて、包帯できつく巻かれただけ。

「あのクソ女から聞いただろうけどさ」
「うん」

クソ女。スーがそう呼ぶのは、クラトカヤ・レーヴァンテイン。
ニーユのいた研究所を破壊し尽くし、殺戮の限りを尽くし、――そしてニーユを助け出した女。もはやそう呼んでもいい存在で、今ここに存在しているニーユ=ニヒト・アルプトラという男は、彼女があの日、あの研究所を破壊し尽くさなければ、きっと人間としては存在していない。
きっと。

「あんたは“まだ”人間だよ。かろうじて」

リーンクラフト研究所は、何らかの目的を持って生体兵器を作っていた研究所だ、と。クラトカヤは言い切った。それはおそらく彼女が見聞きしたことで裏付けられているのだろうと思ったが、スーは首を横に振る。

「あんたの右手の行き先とか、いい例だ。あれが一番成功したキメラ……」
「……ノナティア」
「そう。九番目の獣」

それはそれは、ひどい継ぎ接ぎだらけの獣がいたのを覚えている。ニーユの右手もその一部になったが、あの事件以降その獣がどうしているかは知らない。きっと彼女が殺したと思っている。
素直で言うことをよく聞く獣。何故かニーユによく懐いていた(直接触れ合ったことは結局一度もなかったが)、人の手を欲しがった獣。

「子供をね。何人も何人も連れてきて、選んでた。それはあんたも知ってるだろ」
「……いや、選んでたまでは、さすがに」
「選んでたんだよ。よく言うことを聞いて、実験にも耐えられて、っていうのをさ。あんたが面倒見てた子らも全部その候補だし、いただろ。突然いなくなったやつとか……」

さすがに手が止まって、目が伏せられる。ニーユはあの事件の当時研究所にいた“子供たち”の中では最年長だったし、最年長だった時期も長い。それ故連れて来られた子供たちの相手をし、お兄ちゃんと頼られていた。どれだけ疲れていてもそうしていた。自分の心を殺してでも、子供たちに接していた。
子供たちの数は減ったり増えたりしていた。一度だけ理由を聞こうとして、悪い子ですか?と一蹴されてしまって、結局知らないままでいた。
そしてふと思う。どうしてスーは、あの研究所のことにそんなに詳しいのか。

「スーはさ」
「ん」
「何でそんなにあそこに詳しいんだ。……何でそんなに知ってるんだ?俺のこともそうだけど」
「それは簡単。俺はあんたより長くあそこにいたから。あんたは九番目……俺は二番目」
「二番目……」

再び手が動き出す。
同じティタンフォートの相手とログを見比べながら、首をひねる。やはり旋回速度の差か、と思いながら、他人のデータも眺めようとして、また手が止まった。
死亡者がいる。

「……」
「俺は二番目の子供たちだった。けれど残念ながら、あいつらのお眼鏡には叶わなかったみたいで、そのままさよなら」

データを見るのを一旦切り上げる。これ以上見ていると多分気が狂うと思ったし、スーの話のほうが大事だろうと思った。

「全身溶かされてスライムの材料にされちゃったねえ。だが何故か意思は残った。そういう狙いだったのかもしれないけど、俺はその時決めたんだ」

パイロットスーツがぐにゃりと歪んだ。サイズの合わなくなったスーツから脱皮でもするかのように、細い手足が抜かれる。同じ紫だった髪が見たことのある空色に変わって、伸びて落ちた。
知っている顔だった。どうして突然いなくなったんだろうとずっと思っていて、彼がいてくれれば自分が“お兄ちゃん”であり続ける必要はなかったのにと、少しだけ恨んでいて、けれど彼が“いい子にしていれば大丈夫”と教えてくれたので、いつかお礼が言えればと思っていた人。

「絶対こいつらを、皆殺しにしてやるって」
「な、」
「どうした?ニーユ。驚いたか?そりゃそうだよな。いなくなったと思ったやつと、ずっと一緒にいたって思わ――」

自分の知る子供の姿ではなかったけれど、その姿は確かに彼だと確信できた。エルア=ローア。エルア=ローア・アルプトラ。ニーユに名前を与えたうちのひとり。

「エルア!!」
「うわっタンマ!ニーユ!俺に体重掛けないで!崩れる!お前重いの!無理!」

飛びついたのを制されて、努めて冷静であろうとした。無理だ。できない。
自分が唯一心を許していた子供。自分を選び、いろいろなことを教えてくれた“お兄ちゃん”。いつの間にかいなくなっていて、そしてどういうわけかここにいる。ずっと一緒にいたって言われても、まるで信じられない。

「え、エルアだ……エルアお兄ちゃんだ……」
「ごめん気持ち悪いからスーって呼んでほしい」
「あっはい。すいません。ていうかひどいな!?俺は普通に……えっ何……エルアお兄ちゃん……」
「スー!!それかもうエルアだけにして!!」

空色の髪と赤い目は、記憶にあるそのままだった。
苛烈な性格と言葉遣いもそのまま。スーに話し方がそっくり……というか、彼が“スー”だと言うのだから、それは当たり前。
一人じゃなかったんだ、という安心感で、ここまで伏せ続けていた不安と嫌悪と悲しみが一気に吹き出してくる。再会(と言っていいのか)の喜びでは押さえきれない、気づかずにいられればよかったこと。

「わか、わかった、える……、……やっぱスーにする……、……」
「好きにしろよ。で、何?なんかあった?」

いつかみたいだ。
あのとき確かにあまりにも狭すぎる世界で受けていた、誰かからの気遣い。

「……お、俺のせいで」
「うん」
「俺のせいで、ひとが、死んだかもしれない……、俺のせいで」

だから確かめなきゃって思っていたんだ。
覚えのある登録番号。先週作った操縦棺の注文者一覧に、あったような気がしている。あったらどうする。アセンブルを確かめないといけない。
自分の操縦棺が、本当に最期の場所にされていたら。――どうする?

「何で?」
「なん、なんでって……」
「それはそいつのせいだ」

断言された。
脱ぎ捨てられてぐちゃぐちゃになっていたパイロットスーツを拾い上げながら、スーは続ける。

「他人の命まで背負い込もうとするな。僚機ならまあともかく――たかが同戦場で?人が死んだって?だから何だよ。知り合いでもないのに?」

それは本当にそうだと思うし、正しいことを言っていると思う。けど、けど。

「お前のそう言うところが、“戦いに向いてない”って言われ続けてたんだよ……」

画面に目を戻した。死亡者リストに掲示されているナンバーは、やはり見覚えがあった。
電子防御に特化した操縦棺を買っていった相手だ。誰に殺されたのか、までは、流石に怖くて確認できない。
公開されているアセンブルを見るかどうか、ずっと迷い続けている。自分はまた操縦棺を作った。ある少女に頼まれて。
きっと売れるだろうと思っている。自信の作にはなった。買われるということは、――その分だけ。

「……」

何を言っても、泣き言にしかならない理解はした。
どこに吐き出せばいいのかわからなかった。