31:幸運は金で捕まえられるか?

ベルベット・ミリアピードは大破した。
それが今ニーユの分かっていることで、どうやらその間にタカムラ整備工場からなんらかの連絡が入っていたらしく、ガレージには見覚えのあるハイドラが二機いた。片方はひどく損傷していたし、もう片方は数か月前にも一度ここに来たハイドラだった。

「……」
「っていうわけなんだけど……聞いてる?」
「あ、ああうん、聞いてる。大丈夫」
「ほんとかよ」

前の戦場のことは全く覚えていない。ベルベット・ミリアピードと“ニーユ=ニヒト・アルプトラ”は、焼夷機関砲を振り回して暴れて、そしてこの戦いの場は何度もやり直されたらしいと聞く。
そんな過酷な戦場だったらしいのにもかかわらず、何も覚えていないのだ。

「……で、えっと、なんだっけ」
「ニゲル=テンペストの回収依頼が入ってたんだけど、あんたはなんかそのざまだしでクソスライムからメリディアナ乗ってこいって連絡があって、牽引して帰ってきたのでさすがの俺も金がほしいという話をしていた」
「あ、うん、それはうん……急な呼び出し扱いだし払うよ。払う。大丈夫」

というか、と一旦言葉を切り、ニーユはアーサーの方を見やった。曰く“暇だった”というので山ほど取られている機体のデータの紙の束の中には、不可解な動きでひどく損傷したベルベット・ミリアピードの機体状況も、ニゲル=テンペストも機体状況も、実にひどいものだ。どちらも何故動いたのかまるでわからないような状態でいて、何がどうなってこうなったのか、それはこれから見てみないとどうにもならない。

「あの。アーサー」
「はいな?」
「お願いがあります」

疲れの見える顔ではあった。けれどもそこには決意がありありと見えて、アーサーは細く息を吐く。続く言葉は予想ができていた。

「コロナ・メリディアナを貸してもらえませんか」

 †

アーサーが出した条件は複数あった。
この出撃で誰かが死んでも、自分に責任を負わせないこと。
コロナ・メリディアナを壁として運用するのは純粋に向いていないので避けること。
複座の機体なので一緒に出撃すること。
可能であれば、僚機ではない同戦場のライダーと打ち合わせの機会を設けること。
――それと、もうひとつ。

「……」

そのために見た次回の組み合わせリストに、苦虫を噛み潰したような顔をさせられた。この中で一番真っ当に話ができそうで、かつそれなりの面識があり、そして僚機ではない。その条件に全て合致するライダーは、ひとりしかいなかった。
今はその人の到着を待っている。

「こんにちは、ニーユ=ニヒト。待たせたかしら?」
「あ、いえ。大丈夫です、お待ちしておりました」
「いつもの目印がないけれど、整備中?」

降り立ったハイドラと、それから降りてくる男を出迎える。
『偽りの幸運』エイビィ。この店にも顔を出してきたことがあるし、ニーユは彼の母艦にも訪れたことがある。アーサーの出してきたありとあらゆる条件を満たしており、かつ連絡も取りやすく、それなりの信頼のある男。

「はい。久々にちょっと、全体的に手を入れなければならなくなったので……」
「あら、あの娘は大丈夫? あなたの腕がないのもその関係かしら」
「それもあって相談したいことがあったので、声を掛けさせていただきました。わざわざありがとうございます」
「あなたの僚機とはともかく、あなたとは『食い合わせ』はそれほど悪くないもの。相談なら受けるわよ」

男を建物の中に招き入れると、知らない先客がいたことに眉をひそめたようだった。打ち合わせを望んだのはそっちのほうなので、ニーユは彼に対応を任せることにする。
紙の束をまとめて横に退けながら、アーサーは努めて笑顔を保って立ち上がった。誰と打ち合わせをするか、というのを聞いてから洗えるだけの情報は洗ったが、どうもつかめない男だと思っている。

「どうも、初めまして。暁科学工業のアーサー・メイズ・アルフェッカと申します」
「どうぞよろしく――エイビィよ。『シルバーレルム』のハイドラライダー」

知らない顔がいるのだから、不思議そうな顔もされるだろう。それは確信していたので、可能な限りで丁寧に挨拶をする。慣れたものだ。
ニーユが三人分のティーカップを持って戻ってくる。

「エイビィさん」
「あら、ありがとう」
「今回お呼びしたのは、こちらの都合に依るところが大きいっていうか、その……私は普段と違うことをするので、っていうのが、あって」

それぞれの前に紅茶の入ったティーカップを置き、テーブルの中心にスティックシュガー数本とミルクを置いて、ニーユは即座にそのうちの一本を手に取った。
まずここに至るまでの状況に説明がいる。

「ずいぶん持って回った言い方をするのね、普段と違うことって?」
「……はい。あの、えっと、人の機体を借りるので……アーサーと一緒に打ち合わせができればと」
「俺が希望したのもありますけれどね。何せ戦場に出るのは久しぶりなもので」

呼びつけた男は怪訝な顔をしていた。ニーユは説明が下手くそだ。かといって、アーサーも説明を肩代わりしてやるつもりはあまりない。
人のハイドラを借りてまで出撃しようとしているのは、この男なのだから。

「……えっと、はい。私とアーサーは、コロナ・メリディアナっていう大型の逆関節機体に乗ります」
「元々輸送用のハイドラなんで、後ろに下がり気味で行こうかと思ってましてね。なので前は任せます」

ベルベット・ミリアピードまでとは行かないとは言え、コロナ・メリディアナも相当の積載量を持っている。そのスペースに大型のレーダーを乗せれば、あっという間に索敵特化機のできあがりだ。
普段のベルベット・ミリアピードとはまるで異なる動きをする。それはこの後彼の僚機にも伝えるが、それ以外の人間にも一人は教えておきたかったのだ。あのバカみたいに目立つ機体をあてにして、防御を疎かにされては困る。

「ああ、成る程。ようやく分かった。複座式で行くのね。後ろに下がるってことは……」
「……支援に回るつもりで……」
「ミリアピードはそんなにひどいの? 次の戦場に間に合わないなんて」
「ああそりゃ、ひどいもんですよ。あのサイズのを一度全解体しなきゃいけないくらいに……メカニックの端くれみたいな俺が見ても分かる」

ニーユはすっかり縮こまってしまっていた。こうなるとまるで駄目なのは、それなりに付き合いが長いので知っている。ニーユが呼びつけた男なのだし、別に今の状況を話しても咎められはしまいと思って、アーサーは口を挟んだ。横から止められることもなかったし、それでいいのだろう。
そもそも人を呼びつけておいて自分で説明できないのもどうなんだ、と思わなくはない。仮に自分がいなかったら、どれだけ時間がかかっていたのだろう。あるいはあのクソスライムが口を挟みに来ていたのだろうか。
とはいえ自分の機体を貸すにあたって、複座での出撃などの条件を付けたのはアーサーだ。

「ああ、あと。ニーユ」
「はい。うちから空挺攻撃と航空支援の要請を、出します」

財力にモノを言わせられるようになったのは、ここ最近の話だ。
苛烈になる相手の攻撃や『禁忌』に対して、ニーユが今回真っ先に提示してきた手段の一つだった。人のハイドラに乗るというのもあるが。

「ずいぶんと奮発するのね。戦場の見通しがよくなるのはいいけれど」
「使えるものは使い倒しますよ。まず俺が死にたくないので」
「そういう考えならいいわ。死にたい人間と一緒に戦いたいとは思わないもの」

でしょう?と一言言った横で、すっかり気を落としているニーユが、ゆっくりと言葉を発する。

「……よろしくお願いします。最低限、足手まといにはならないように立ち回りますから……」
「次も霧深い戦場だもの。支援に徹して足手まといということはないでしょう。あなたって、どうやったら自信がつけられるのかしらね。いつもの機体じゃなくて、不安に思うのは分かるけれど」

ニーユは何も言い返せずにいた。
冷えたティーカップの底には、混ぜ残った砂糖の粒が残っていた。

 †

「あ、そうだ、エイビィさん」

エイビィをこちらに呼んだのに、もう一つ目的があることをすっかり忘れていた。
操縦棺が余っているのだ。素材を融通してくれた相手は、もう積載には困らないから、軽い操縦棺は使わないのだと。
ニーユが片腕でも押してこれる程度には、その操縦棺は軽くできていた。三種類の操縦棺の中で最も重く堅牢なそれであるのにもかかわらず、素材を工夫すれば堅牢さを保ったまま軽量化が進められるようになっている。
『エフェメラ』を土台にして素材を継ぎ接ぎした結果、操縦棺の上半分と下半分で異なるカラーリングになったのが、新しい操縦棺の『ガイナード』だ。

「操縦棺もついでに持って帰ってもらえると、助かるんですけど」
「助かるのはこちらだわ。型落ちのレーダーと引き換えに、あなたの操縦棺が手配できるなんて。何か、取引のアテが外れでもした?」
「そんな感じです。脚を変えるから、もう軽い操縦棺じゃなくてもいいって話で……」

引き取り手がいて助かったところだ。エイビィは『エフェメラ』の購入者でもあったし、聞いてみればまだ『エフェメラ』を使うことすらあるという話だった。
以前依頼されて作ったものだが、それももうかなり前だ。
このままだとまた何かの素材にされるところだったものを、引き取ってもらって、使ってもらえるのなら、パーツ屋冥利に尽きる。そう思っていたときだった。

「……ところで、前の戦場で何があったか聞いてもいいかしら?」

覚悟はしていた問いかけだった。
いつもミリアサービスの目印になっている、あの馬鹿でかい機体がいないのだ。正確に言うといないわけではなく、ガレージの中にバラバラになった状態で置いてある。それが『ベルベット・ミリアピード』のものであるかは、元の形を知っていてもなかなか想像し難いだろう。

「ミリアピードの状態、戦場のこともあるでしょうけど、何か無茶をしたんじゃなくて?」

無茶をしたらしい。
自分はそれしか知らない。だから、それをそのまま伝えるしかない。

「……俺は覚えてなくて……けど機体見たら俺は嫌でも分かります、俺が何をしてたかくらい……けど俺はほんとに、そうしたかったんじゃないか、って、思って、――次だってそのままでもいいんじゃないかって思ったけど、……それは、……できたら俺は次の戦場に出たくない気持ちだってありますけどその」

言葉はまとまらなかった。けれども、抱いている気持ちはあまりにもはっきりとしている。

「俺は……俺にだって、守りたくないものくらいあります……」

ハイドラ大隊のブロック分けを、ここまで恨んだことはない。
まずい、と思ったことはある。その時は互いに無事で乗り切ることができた。そう言う次元の話ですらない。

「ごめんなさい。関係ない話、です」
「ええ、あなたがしたいようになさい。誰かに強制されて前に立っていたわけではないでしょう?」

個人的な話だ。話しすぎたと思って頭を垂れた。
男のしたいようになさい、という言葉はさながら救いにも思えたし、誰も次回の振る舞いを間違いだと咎める人間はいないだろう。働きぶりは数字で明確に現れてくるのだ。

「フフ……でも、その言い振り、次の区画に、死んで欲しい人間でもいるのかしら?」
「!」
「図星なの?」
「……」

的確に刺し込まれてきた刃に、言葉が詰まる。
けれども、頷くしかないのだ。

「あはは、成る程ね。そうねえ、こんな仕事をやっていたら、死んで欲しい奴の一人や二人いるものよね」

くすくす笑いながらこちらを覗き込んでくる顔に、ぼんやりと視線を合わせることしかできない。

「死ぬといいわね、そいつ」
「……はい」

男は知らないはずの人間だ。
むしろ誰もが、まさか自分がその人に明確に殺意――というにはまた違うが、そういった類の感情を抱いているとは思うまい。できたら自分のあずかり知らぬところで死んで欲しい。関係がないまま無様に死んで欲しい。数日前から、ずっとそう思っている。そう思い続けている。
自分のなかを不必要に掻き乱していったクソ野郎に、そうなってほしいと願い続けている。

「とにかく、了解よ。パーツも手に入ったし、あなたの次の戦闘システムも知ることができた。面白い話も聞けたから、今日は満足だわ。それじゃ、今日はこれで」

そう思っている自分にも、無限に嫌悪し続けているし、明確に戦闘スタイルを変えるという形で明るみにすら出しかけている。
この男に話してしまったのは失敗だったかもしれないと思いつつも、そう言いふらして回るような人間でもないだろうと、勝手に思っている。少なくとも次の戦場では、連絡の取れない誰かより、ずっと信用があった。

「……よろしくお願いします。エイビィさん」
「ええ、うまくいくといいわね、ニーユ=ニヒト。次は楽しい戦場で」

吐き出すように定形の言葉を吐いて、なんとか頭を下げた。