32-1:生まれ変わりて翅を広げよ

無惨な姿にされて横たわる少女と、全く瓜二つの少女が立っている。手足をもがれ、胴体をずたずたにされた少女は、ぴくりともしなければ、その身体から血を流しているようなこともない。はらはらと零れ落ちていくのは、0と1の羅列だった。

「あたしはね、一度死んだのよ」

何もない空間だった。そこら中に散るノイズと、時折駆け抜けていく数字の羅列が、ここが現実の空間ではないことを鮮明に告げている。
独り言のように立っている少女の口から紡がれる言葉を、拾い上げる男がいた。同じ世界を歩くもの。コルヴス・コラクスという機体の中に生きる、パロットという男。

「そっか。じゃあ俺様と一緒だな」
「軽率に一緒にしないで。殺すわよ」
「エッ何で!?」

ため息。ベルベットは、この男は間違いなく『戦って死んだ』のだと思っている。それが故に記録されている自分の出自と死因に、軽率に擦り寄ってくるような真似はしてほしくなかった。
生まれてから死ぬまで、一度も外に出たことはない。最初から最期までベッドの上。
――何もできなかった矮小な存在だ。生まれ落ち、そして何もすることなく死んでいった。

「でもそれは、あたしであってあたしではないわ。あたしはもう、元のベルベット・リーンクラフトとは、かけ離れすぎた存在なのよ。そのくらいわかるのだわ」

生体制御AI、ベルベット・リーンクラフト。
リーンクラフト研究所に存在していた『生体兵器』たちをコントロールするためのシステムだ。生体兵器たちには皆等しくそのためのチップが埋め込まれていて、作戦行動時、あるいは反逆行動時に、ベルベット・リーンクラフトの手により、全ての生体兵器を自由に操ることができる。理論上はそのようなシステムだった。
何人もの『ベルベット・リーンクラフト』がシステム負荷に耐えきれずにバグを吐き、破棄され、何度も書き直されたベルベットは、もはやモデルとなった人間の人格を残してはいなかった。そもそも人格があるからバグを吐くのだ、と消されていった『あたし』は、何十人、何百人もいる。もっとかもしれない。

「お父様は『あたし』を治したくて、いろんな研究を始めた。けれどあたしは死んで、あとには数多の研究材料と、人と、気が狂ったお父様だけが残ったの」

他人事のように話している。実際、何人目のベルベットかも分からないし、何故取り残されていたのだろうとも思うし、その『あたしのお父様』に対して、なんの感情もない。

「それで、お父様は今度は奇跡に縋ろうとしたり、聖遺物を求めようとしたり、し始めたらしいのだけど」
「……その過程で、いろいろな人が、被害にあったってことか」
「その通りなのだわ。バカな鳥だと思っていたけれど、賢いときは賢いのね。まぐれ当たりかしら?」
「いちいち俺様扱き下ろすのほんとやめて俺様傷ついちゃう」

たとえば、ローア・アルプトラ。
たとえば、ニヒト・セラシオン。
彼らは『自分たち』の被害者の子どもたち。リーンクラフトの子どもたちと呼ばれた、複数の人体改造や戦闘訓練を受けた子どもたち。耐えきれずに亡くなる子供もいた中の生き残り、残渣、あるいはほぼ完璧に成功した実験体。

「かわいそうでしょう。何もなければ、こんなところにもいなかったろうし、まっとうな人間として何処かで暮らしていただろうにね」
「……あんたは、そう思ってんの?」
「まさか?だって他人のことだもの。あたしには関係ないのよ。あたしは初めっからひとでなしよ!」

誰かの平穏な生活を破壊した。誰かの行く道の先を破壊した。その罪の重さたるや、一人の命ではとても足りないだろう。
クラトカヤ・レーヴァンテインがリーンクラフト研究所に現れ、全てを破壊して帰っていったのは、これまでの破壊が綺麗に返されてきただけだ。そう思っている。そう思っているが、それだけだ。ここにいるベルベット・リーンクラフトとて、もはや被害者の一人だ。無限に生み出されては殺された可哀想な娘の生き残りだ。人間ですらない。ただのデータ上の意思持つ存在。ひとつ操作を誤ればかんたんに消えるようなもの。

「そう……それでも少しね、申し訳ないと思っているのよ。これはいわゆる絆されたっていうやつだし、あなたがここに来た理由も分かるのだわ」

そんな簡単に消えるようなものであっても。
意思持つものとして、これまで協力してきて、彼に思うところがないわけではない。むしろ大ありなくらいだし、申し訳ないとも思う。

「何だ。分かってんのか……じゃあ話は早い」

それでも彼がそういうのなら、だ。
続けられた言葉は、ベルベットの予想していた通りのものだった。

「ニーユ=ニヒト・アルプトラが呼んでるぜ。あんたの力が俺には必要だ、ってな」
「ふふ」

データごと消されてもいいと思っていたのだけどね、と言って、もはや原型を留めていない少女だったものを抱え直した。0と1の塊になって消え行くそれが、立っているベルベットの中に取り込まれていく。
どうしようもないお人好し。自分の、自分たちのことを恨んでいたっておかしくはないのに。

「あの人もきっと限界の先に行こうとする。あたしもそうしたいと思う。ならね、手を取らない理由はないわ」
「そっか。じゃあ行こうぜ」
「あなたに言われなくても行くわ!ちょっと、ちょっとだけ、女の子らしくスネたっていいと思っただけだわ」

差し出してきた手を跳ね除ける。彼の手を掴みたくないと思う理由は、複数あった。
ひとつはそう、彼を同じものとして見たくないから。一緒にされたくないから。

「そんな強がんなくたっていいのになあ」
「うるさいわ」

そしてもうひとつ。かつて壁に大穴を開けて、大目玉を食らったときのことを思い出す。

「……そう、それとね、行く前にやることがあるのよ」
「ん?何すんの?」

――ベルベットは変態が嫌いだ。

「エロ動画にホイホイ釣られて来ただろうあなたをね、捻り潰して処してから戻るわ!」
「ゲエーッなんでそれを!?」
「そんなの予想できるに決まってるじゃない!ここは【あたし】の中だから逃げられると思わないことね!」

電子の断末魔は、どこにも拾われなければ残りもしない。
胸ぐらを捕まれ股間を蹴り上げられて蹲る鸚鵡を自分のデータ領域から蹴り飛ばして追い出し、ベルベットは“上”を見る。こんなところに上下もクソもないのだが。

『……ベルベット?』
「ええ、ええ!心配しないでいいわ。あたしはもう、何もかもが平気」

通信として打たれた文字列が、声となり降ってくる。
かけようとしている言葉は、もう分かりきっていた。【あたし】の身体を、把握できないほどバカではない。
限界駆動時の機体の負担を減らすために、密に組まれていた装甲には力の逃げ道が生まれている。長く繋がっていた配線は、換えが効きやすいように短いものをいくつか繋げる形に変更されている。

「あなたはやる気なのでしょう」
『ああ』
「それならあたしも共に行く。それだけよ、ほんとうにそれだけ」

限界駆動どころではないことをしようとしている。だからこそ、直しやすい形にものを組んでいる。『あたし』が尽く配線を焼き切ったのは、ちょうどよかったとすら言えた。
――生まれ変わるのだ。今までの全てを投げ捨てるのではない。凝り固まった考えを脱ぎ捨てていく。

「あたしはモノよ。モノとして持ち主に従うの」
『……俺はそんなつもりはない。いいから早く上がってこい、行くところがある』
「あら、あらあら!ねえ、まだ整備途中だったんじゃないのかしら、ゼービシェフ」
『いいから早くしてくれ。だから急ぎで行きたいんだ』

――『あたし』は死んだ。【あたし】は焼ききれてのち生まれ変わった。ではあたしは?
何ら変わることはない。いつか使う機会がまたあるかもしれない機能を飲み込んだくらいで、何も変わっていない。本質も言い分も立ち居振る舞いも、存在できる場所も。
あたしの存在それそのものを許容し使い倒してくれるというのなら、望むところだ。ベルベットはそう思った。そう思う時点で人間だったなんて面影はないし、そもそも元の人間がどういう人間で――どういう性格をしていて、どういう立ち居振る舞いをしていたのか、そういうことは何も知らないのだ。

「変なの!けどいいわよ、だってあたしも変わったもの。あたしは成長する。成長するの。ムカデはどうやって大きくなるのかしら?」
『脱皮だよ。節足動物はみんなそうだ……』
「うふふ!脱皮、脱皮ね!【あたし】は本当に脱皮したのね!全身まるっと換えられてしまったものね」
『ベルベット!早く頭を降ろしてくれないか。よじ登るぞ』
「運動になるわよ、どう?って思ったけれど、あなた別に太ったりとかしてないものね。いいわ、いつものようにするから、おとなしく待っていなさい」

周りの世界が目まぐるしく変わっていく。あるいは自分が高速で上昇している。
次の瞬間目に入ってくるのは、新しくなったベルベット・ミリアピードの操縦棺の中だ。
新しくした、と言う割に、どうにも簡素に見えるのは――考えが当たっていれば、限界の先に向かうための、備え。

『今降ろすわ』

新しい【あたし】は、前よりずっとスムーズに動くような気がした。