34-1:見ぬふりをする十一の道筋

指定された時間のきっかり十分前に指定の住所に訪れたベティ・ヴィーナスを待っていたのは、霧の向こうからでも存在感を放っている、巨大なウォーハイドラだった。

「うわっ。本当に言葉通りだな……」

かしゃかしゃと、……いや、そんなどころではない。一挙動毎に大地を揺らさんばかりの重い音が鳴り、頻繁にエンジンが霧を噴く音がする。
ぬらりと動いた首が女の姿を捉え、ほんのわずかに首を傾げた。思わずぎょっとした。今私の方を見たよな?
勝手に動き回っているようにしか見えない大百足を見ながら、しばらく立ち尽くしていた。

「……ここで、間違いはないはず」

ニーユ=ニヒト・アルプトラ、リーンクラフトミリアサービスの店主からの通信には、確かに『百足を目印に来てください』という一文が添えてあった。
それがまさかウォーハイドラだとは。いわゆる軽量機を乗り回し、素早く相手に接近して攻撃を叩き込むベティの機体とは、まるで違う戦い方をするのだろうことは見て明らかだ。

「……あっ。ベティ・ヴィーナスさんですか」

ガレージの方から、聞き覚えのある声がした。通信のときとは打って変わって、その声に威圧感はない。ただ穏やかそうな人間が、そこにひとりいた。

「はい。直接お会いするのは初めてですね、ニーユさん。今日は……よろしくお願いします」
「よろしくお願いします。すいません、ちょっと中で待っていていただけますか、すぐ終わるので……いや中じゃなくてもいいんですけど、寒いですから。中に椅子、あるので」

油と錆にまみれた手をわたわたと振り、男は建物の入り口を指した。
軽い一礼。ガレージに戻っていったニーユは、見知らぬウォーハイドラの整備に戻っていった。大型のエンジンが出しっぱなしになっていた。
改めて大百足を見上げる。目と言える部位は見当たらないが、やはりこちらを見てきているような気がしてならなかった。

「(誰か乗っている……あるいはAI?)」

吹き付ける風は、容赦なく冷たかった。建物に入る直前にも改めて見上げたが、やはり大百足の視線は自分に向いているような気がした。

建物の中には、簡素な椅子とテーブルが置いてある。恐らくはここに掛けて待てということなのだろう。
そう待たないうちに、ニーユが外から戻ってきた。開口一番、ベティに問う。

「コーヒーと紅茶、どちらがいいですか?」
「お任せします」
「じゃあ紅茶にしますね……うちにいる人が結構凝ってて、なんかいろいろあるんですよ」

ティーカップを準備する音が聞こえる。
湯を沸かす音。それに混じって、男の声。

「わざわざ来ていただいてありがとうございます、すいません。今日しか空いてなくて」
「お気になさらず。同じライダーでありながら、ニーユさんは整備士としてのお仕事も受け持っていますし、お忙しいのは承知の上です。そんな中お時間を割いていただき、こちらこそ感謝しております」

二人分のティーカップを持って戻ってきたニーユに、ベティは丁寧に一礼した。
一緒に置かれたスティックシュガーに即座に手を伸ばすニーユを見ながら、ストレートで一口。冷えた身体には有難かった。

「あはは……私はもうなんだか、整備士だけのままでいたかったような気さえ、するんですけどね」
「そう言われましても、事実整備に長けた方が作り出したパーツはマーケットでもかなりの需要があることは瞭然ですし」
「おかげさまで……ありがとうございます」
「操縦棺やエンジンはもちろん、各種装甲だったり、バイオ兵器に関するものそうですし、最近は噴霧機市場が熱いですね。霊障適性が高い方が作る噴霧機は噴き出す霧の量に長けていますが、私はニーユさんのような方が作った貯水量が多い噴霧機の方が好みですね」

ニーユが口を挟む暇はほぼなかった。
淡々とではあるが早口で紡がれる言葉は、彼女がよくマーケットのカタログを見ているだろうことが容易に理解できた。
少しばかり圧倒された気持ちがないわけではない。正直ニーユは自分の作る系統のパーツのことしか分からないので、格闘機乗りであるベティがここまで詳しいとは思っていなかったのだ。だが思えば必然か。自分の手掛けるパーツは、基本的に誰もが必要とする。

「でも最近は重さを増やさずに装甲を厚くできる、ピラミッド構造でしたっけ?そのようなパーツの需要もあると伺っています」
「ピラミッド構造はですねえ、構造を保つのに余計な消費がかかりますけど……エンジンも良くなってきてるともう誤差でしょうか。私はさほど積載気にしませんから、重くなってもいいや、ってなるんですけど……」

軽量化したがる人はしたがりますよねえ、と、他人事のように言った。思い出すのは、最近作った極限まで軽量化を突き詰めた操縦棺のことだ。

「ところで表にいたウォーハイドラのパーツも、全てニーユさんが手掛けていらっしゃるのでしょうか?」
「ああ……ミリアピード。私の機体は、そうですね。私が全て……見ての通り大きいですから、よそのパーツが合わないので、届いてから手を入れ直してるんです」
「なるほど……あれだけ巨大だと、やはり基本的には防衛戦果狙いですか?」
「はい。よく目立ちますからね。申し訳程度にレーダー積んで、一応支援もできるようにしています。申し訳程度にですけどね」

彼女が、ハイドラライダーとして優秀であり、そして他人のことも良く見ようとしている。あるいは今日呼ばれたので、調べてきたのかもしれない。いずれにしろ単なる付け焼き刃では、ここまでの受け答えはできまい。
そう思うと、あの男が言った“適任”という言葉にも、まあ頷けるような気がする。それはそれとして、そろそろ本題に入ることにした。

「そろそろ本題に……入りましょうか。ジルさんの……ジル・スチュアートのことなんですけど」
「……はい。」

ジル・スチュアート。
ハイドラ大隊登録番号534の小柄な少女。ニーユが一捻りすれば簡単に折れそうな手足で、逆関節のハイドラを操り、高い戦果を叩き出し続けている。

「……どうしてあの子は、あんなに前を向けているんでしょうか。どうして必ず帰ってきます、なんて、言えるんでしょうか」

その少女に、心を掻き乱され続けている。
呻くように漏れた言葉が、眼前の彼女の耳に拾われていないことを祈った。自分の操縦棺が、あの子の“棺”になって欲しくない。ずっと、ずっとずっとずっとそう思っていて、挙句に押しかけて怒鳴りつけたりもした。

「信じているって言われましたけど、……ルシオラもそのつもりであの子に送り出しましたけど、あの子が見つけた答えを証明したいって……証明してみせる、って」

“棺”ではないことを証明してみせる、と言ったのだ。
彼女は確かにそう言ったのだ。
俯いた顔をほんの少しだけ上げた。正面のベティの、眼鏡の向こうの目は、同じように伏せられていて、どこか悲しげにも見えた。

「……俺はあの子にひどいことを言ったんです。それでも……あんなに、前を向けるなんて、俺には……」

ベティは思っている。きっとジル・スチュアートは、自分の与り知らぬところで彼に何かを言って、その結果何らかの傷跡を残している。どうしてそこまで人を不安にさせるようなことをしてまで、彼女は。
滑らかに動いた男の作りものの右手が、ティーカップを手に取る。少し口をつけて、ふるふると頭を振ったのが見えた。

「……すいません。少しでも負担が減らせれば、と……思っているんですが……あんな子供に背負わせる荷としては重すぎる」
「ですよね。その負担をどう減らしていくかが、我々に課せられた問題だと思います」

深い溜め息が吐かれる。

「私はジルとは二回、同じブロックに振り分けられたことがあります。一回目は軽く会話しただけですが、二回目はコロッセオだったということもあり、他のライダーも含めじっくりと話し合いました」
「……コロッセオ、ですか」
「その際ジルは既にティタンフォートを請け負う方がいたにも関わらず、自分もティタンフォートをやりたいと宣言して。その時のツークンフト――ジルの機体は、耐えて受けるというよりクイックドライブに頼った回避型の構成になっていました」

二度目の溜め息が聞こえた。
後日ベティが理由を聞いてみれば、自分がやるのが適任だとか、回避し続けることで耐えてくれている方への負担を減らすのだとか、そんなことを言ったのだという。
握られた拳が、テーブルの端を微かに揺らした。

「あのような歳の子が口に出すようなことじゃないですよね!?」
「……はあ……、……」

今度の溜め息は、二人分のものが重なる。

「……失礼しました。そしてこれからも、敵の攻撃を避けて味方を守る戦い方をやめないだろう、と取れる言葉ももらっています」

ジルの決意や勇気を高く評価している。自分の心弱さを酷く痛感したことも、幾度かある。
ベティは正直にそう述べてから、中指で眼鏡の位置を直した。

「ですが私は、あの子の選んだ道を止めることはありません」

止められないのだ。
止めるよりも早く、ずっと遠くに行ってしまった。

「ジルの決意はとても硬く、決して揺らがないのであれば、これ以上否定し続けても意味がないと感じたので。あくまでもジルの意志を尊重し、明確に阻害しない形で支えていきたいと考えております」

笑顔の下や心の奥で潜んでいる考えまでは、流石に見通せませんけどね……と、苦笑いをしながら、再び眼鏡の位置が直される。
そもそも他人の心配までしている暇があるのか、という話にもなる。ニーユには僚機のこともある。だからこそ可能なら、話を知る人の手を広げたかったのだ。
できることはそれしかない。

「……分かりました。私も概ね異論はありません……一つお伺いしたいのですが、彼女の動向……具体的には、向かうミッションの先など。それについて何か知っていることはありますか?」
「いいえ。ジルが何を思ってミッションを選択しているのかは、私にも解りかねます。ただし私はある方から頼まれまして、ここ最近はジルが出向いた戦場の味方の戦力を強化する、といった理由であの子と同じミッションを選択しています」
「……ある方。……それは、もしかして」
「……お察しの通り、私はリー・インと協力関係にあります」

またあいつか。
それが顔に出てないかどうかを考える時間は、まるでない。ベティがミッションの配置表を出してきたからだ。

「ですので、もしニーユさんがジルと同じミッションを選択した場合、私あるいはリーさんと同じブロックになる、または増援で鉢合わせる可能性があります」

ベティ・ヴィーナス。リー・イン。そして、ジル・スチュアート。並ぶ名前を見て、やはりどうしても顔が歪んだ。
“安全地帯”とすら称されたミッションだ。場所自体にはなんの問題もない。

「……と、いうことです。つまり私と関わる行為には、貴方がリーさんとより近付いてしまう危険性をはらんでいます。それでも、よろしいのですか?」

あまりにも渋い顔をしていたらしく、ベティの言葉は矢継ぎ早だった。
あまり個人的な感情をひけらかしたくはなかったのだが、仕方あるまい。そもそもあの男が、彼女にもう何か言っていてもおかしくはないのだ。

「……不安に思われてしまったのなら謝ります。ですがこれはニーユさんの『貴方を見定めたい』、という言葉に従った上での情報開示であることは心に留めておいていただけると助かります」
「……いえ、逆にちょうど良かったです。私は彼女と同戦場になり得るかどうか、わかりませんから……ここ最近の行き先はミオに任せているので……」

致命的に普段の振る舞いやらなにやらが自分に合わないだけで、向いている先は同じなのだ。
それに、もはや人を選んでいる暇はない。そんな状況で、少なくともライダーとしては優秀な奴がついているのなら、十分なくらいではあった。

「ああ。ニーユさんとバディを組んでいるの、ミオさんでしたっけ」
「あ、えっと、はい。そうです、ずっと」

ふと僚機の名前を出されて、ニーユはついぞ身構えてしまった。
――今はその話をしたくはない。

「今回の攻撃戦果ランキングで私よりも上だったので驚きました。最近私の格闘機乗りとしての火力を出す力が鈍っているような気がしているので、ニーユさんの視点からミオさんの機体構成につ――」

自分がどんな顔をしていたのか、それを理解するよりもずっと早く、陶器がぶつかる音が聞こえた。
ぎょっとした様子のベティ・ヴィーナス。溢れた紅茶。

「あっ、大丈夫ですか!?」
「す、すいません。大丈夫です……」
「今布巾持ってきますね……服とか大丈夫ですか?」
「そこまでは……大丈夫です」

やってしまったらしい、という言葉に尽きる。
時々信じられないくらいに怖い顔をしているよ、と、最近指摘を受けるようになっていた。雑に言えば気が立っている。
その場を取り繕うようになんとか笑顔を作って、布巾を取りに行った。戻ってきた頃には、ベティもなんとも言えないような顔で笑っていた。

「あの子は……なんというか、前のめりなだけですよ。おとなしい子なんですけど、場に出ると人が変わったようになる」

ミオ。
捜し物をしている子。どこに突き進もうとしているのか、まるでわからない子。

「限界駆動で、いつも装甲をボロボロにして帰ってくるので、整備が結構大変なんです」
「わかります。私も何度か限界駆動を試してみましたけど、整備に疎い私でもこれは装甲と自分の心臓に良くないと感じて、すぐやめちゃったからなぁ」

最近やっと、手伝ってくれるようになりました、と付け加えて、ニーユは溢れた紅茶を拭いた布巾を丁寧に畳んだ。
限界駆動の心臓の悪さは、自分がよく知っている。ありえない勢いで弾け飛ぶ装甲は、いつも間近で見ている。

「私はあまりあの子に口出しなどはしてないので……やりたいようにやらせている、といいますか。私はそのサポートです」
「……いいですね、それ。私も、ジルとそう付き合えたらいいなと思ってるんですけどね」
「難しいですよね。止められないのならせめて、と言ったようなやつですけれど……」

外を見る。招いた頃にはまだ辛うじて日が差していたような気がしたが、もうすっかり暗くなっていた。
微妙な時間に呼びつけたこちらの責もあろう。そう思って、一つ提案をする。

「……結構遅くなってしまいましたねえ。もしよければ、晩御飯食べて行かれます?作りますよ」
「いいんですか?ではぜひお願いします」

そんなに凝ったものは今日は作れないんですけど、と苦笑いするニーユを見て、ベティは思う。
――彼もまた得体のしれない何かを抱えている人なのだ。
鶏肉のソテーを齧り、暖かく炊かれた米を口に掻き込んでいる間も、ふと脳裏に過ぎっていく、無感情な瞳が再び開かれる可能性を、ずっと否定できずにいた。