35-1:不可解な生死の概念

アーサー・メイズ・アルフェッカは思っている。
ニーユは彼女のことを“幽霊”だと称していたのだ。幽霊が“死ぬ”ということは、すなわちどういうことなのだろうか。

「……」

彼女はそもそも最初から、残像だったのではないか。そう指摘したところで、今のニーユが激昂するのは目に見えている。仮に殴りかかられた場合、こちらの命の保証はない。あれはただの人間ではないのだ。
考えている。幽霊の死とは、果たして何を以て定義されるのか。
そもそも彼女は本当に幽霊だったのか?

――ガコン。ガン。ガシャン。

残像。この領域の中で、生者のように振る舞う死者。
いつどこで生まれ消えていくのかもわからない何か。いつかどこかで死んだ誰か。
例えば彼女の残像が生まれ出たのなら、それで彼女は“死んだ”と言い切れるかもしれない。それは単純に、撃墜された機体が、何らかの意思で――この領域の解明されない不思議な力で――動かされているだけに過ぎないのかもしれない。
残像機の研究は進んでいないし、少なくともアーサーの所属している会社では、そのようなことをする予定は全く立っていない。死者に寄与するくらいなら、生者に寄与するほうがずっといい。だからこそこの残像領域で、よその世界とのパイブを確保していることを活かして、ハイドラのパーツ用に細かい部品を卸しているのだ。

――ガシャン。

ニーユは言った。確かに自分の僚機が撃墜されて、そして死んだのだと言った。確かに大隊の死亡者リストにも、その名前は刻まれていたけれども。
アーサー・メイズ・アルフェッカは、少なからず“ふしぎ”の存在する世界の生まれであり、それが故に思うのだ。まだ、そうやって決めつけるのは早いのではないかと。
変なことを言ってしまえば、彼が彼女に与えたのだという肉体――ヒューマノイドが動かないと言うだけで、その意思を示さないと言うだけで、何故そんなにも決定的に、『死んだ』と断言するのか。それが不思議でならないのだ。
肉体のある人間が、無様に血潮と内臓を散らして死んだわけではないのだ。だから、このゼービシェフというハイドラは、操縦棺をそのままにしておいたって、何の問題もない。使えるのだ。搭載されている操縦棺は、なんてったってミリアサービス製の――そう、この男が自ら手がけた操縦棺。

「……おい、クソ野郎」

反応はない。
深い溜め息。

「お前、本当に“それ”を、牽引して持って帰る気があんのか。あるんだったらとっととしてくれないか」
「……あるよ……あるから、メリディアナを、借りてるんじゃないか……」

――ガコン。

「あっそ……じゃあ聞くけど、なんで操縦棺を出そうとしてるわけ?」
「違う……出したいわけじゃない、確認したいんだ、それ、だけ……それだけだ」

血の海が広がっているわけでもないのに。
焼けた身体が出てくるわけでもないのに。

「……好きにしろよ。でもいいかお前、メリディアナとミリアピードだけじゃあ、どっかの群れに襲われた時にどうにもならないんだからな。早くしろ」
「……焼夷機関砲積んできてあるから……」
「そういう問題じゃねえんだよクソ」

しばらく終わりそうにない。装甲を剥がす音が、また聞こえてきた。今この場に工具の持ち込みはほぼないから、ニーユが素手(と言っていいのだろうか)で剥がしているのだ。
アーサーは、ただぼんやりと、コロナ・メリディアナとベルベット・ミリアピードが定期的に送信してくる周辺情報を眺めている。今のところ、何もない。

そう、何も動くものはない。
彼らが撃ち落とした兵器の残骸が、そこら中に転がっている。

「……」

夜中にだ。夜中に突然呼び出しで叩き起こされ、今からコロナ・メリディアナで来いと言われたのだ。おかげで寝不足だし、何ならまともな飯もまだ食べていない。携帯食料をかじった程度だ。
突っぱねてやろうかと思った。けれども、積載のある運搬機が必要な理由を明確に並べ立てられ、そして金は積むと言われた以上、アーサーに断る択はほぼ無かった。
何より、あんな悲痛な声で叫ぶように言うのを、初めて聞いたのだ。それに対して興味があったことも、否定はできない。

――あの男が異常なまでに執着し、世話を焼いていたものが失われた。失われたのだと言い張っている。
仮にもひとつの取引先であり、仮にも友人である以上、“見てやらないわけには行かなかった”。
そしてきっと、自分が彼を言いくるめられていたところで、第二波と第三波の襲来があったのだ。そのほうが厄介だ。執着と嫉妬と執念と憤怒と復讐をまぜこぜにして固体にしたような存在を相手にするより、まだこちらの方がいい。

「……う、うう……」

――ガコン。

「……ミオ、……ミオ……、……起きてくれ、起きてくれよ……」

アーサーはそっと、首にかけていたヘッドホンを付け直した。
この方が通信に集中できるから。この方が索敵情報を見ていられるから。それはもう、建前の理由でしかない。