36-1:エルア=ローアの献身、あるいは欺瞞

二度目だ。それを念頭に入れて、通信回線を開けた。

「キャットフィッシュ、応答せよ。こちらリーンクラフトミリアサービス、ベルベット・ミリアピードの……“ニーユ=ニヒト・アルプトラ”」

そう、エイビィというハイドラライダーの母艦に立ち入るのが、二度目であるということを。今回は以前と違い事前にアポを取り、そしてお見舞いなどと言った甘えたものではなく、戦場の打ち合わせをしに来ているのだということを。
――そして自分は今から、その男に一泡吹かせてやろうとしているのだということを。

『――『ベルベット・ミリアピード』、こちら、『キャットフィッシュ』、時間通りね』
「連絡していたとおりだ。相変わらずのデカブツで悪いが、どっかに接地してもらえないか」

もうすでに、連絡していたとおりではない。
もうすでに、一つ嘘をついている。

『了解したわ。……Se=Bass、『キャットフィッシュ』を下ろしてちょうだい。ミリアピードは案内に従って』
「分かった。悪いな」

コンソールの電子の少女と目が合う。薄く笑った顔を指さされて、一言言われた。

『最高に悪趣味な顔をしてるわ、エルア=ローア!』


キャットフィッシュに降り立ったニーユ……の格好をしたスー……もといエルアは、ニーユであることを取り繕おうともしなかった。この格好が必要なのはベルベット・ミリアピードに乗るときだけだ。ニーユのライセンスを騙り乗り回すために、このかたちをしているだけなのだ。
一室まで案内されて、開口一番、エイビィは当然の言葉を吐く。

「それで、あなたは誰? あたしにアポを取っていたのは、ニーユ=ニヒトのはずだけれど」

細く息を吐きながら、机に端末を置いた。そこから身を乗り出すように少女のホログラムが現れ、そして頬杖をつく。

「……。……エルア=ローア・アルプトラ。あれの兄貴とでも思っといてくれればいい」
『あなたの連れてるちっちゃい子がクソほどぷにぷにしてたあのクソスライムよ!どう?すごいでしょ!』

ニーユがエイビィとの打ち合わせに向かうのに出した条件が、このクソうるさいAIを喋ることができる状態にして連れ込むことだった。何故そうさせたのかなんて知っている。保護者枠をAIにさせているからだ。ここ最近は、自分のことをあまり信用されていないらしい。それもそうか、と思っている。

「ああ――スー、だったかしら? そうやって人の姿にもなれるのね。そういえば、ニーユ=ニヒトの腕にも、スライムが使われているのだったかしら」
『そうよ!それとほぼ似たようなものだわ。な・か・よ・し、ってやつね、うふふ!』

ベルベットの機嫌がいいのは、目の前にイケメン(とベルベットは言って聞かないのだ)がいるからだ。エルアは彼をイケメンと捉えるには少し抵抗があった。

「……やっぱお前連れてくるんじゃなかったよ!おとなしく引っ込んでろ!」
『嫌ね!あんたよりあたしの方が一万倍ぐらいずっと、この人のこと知ってなきゃいけないんだから、こうやって話するのは当然なのだわ!ねえエイビィさん、そうよね?』
「ええ、そうね。『ベルベット・ミリアピード』はあたしの――『ライズラック』の僚機になるのだもの、あなたにはあたしを知ってもらう必要がある」
『そうあとね、こいつブラコンなの!これでもう分かったでしょう?だってエイビィさんかっこいいですものね!』

案の定、エイビィは微妙な顔をしていた。まさかあの機体の中身がこんなにうるさいやつだとは思っていなかっただろうし、20mのウォーハイドラ(の中身)からイケメン認定を受けたところで困るだけなのではないか。エルアはそう思っている。

「……それで、ニーユ=ニヒトはどうしたの?」

埒が明かないと思ったのだろう。当然の疑問を吐き出された。

「『ライズラック』の僚機は『ベルベット・ミリアピード』――あたしと組むのは、その搭乗者であるニーユ=ニヒトのはずよ。彼はどうしたの?……やっぱり、まだ立ち直れていないのかしら」
「ああ、ニーユなら元気だよ、思ってたよりは……」

思っていたよりは。ずっと。
そういうところで、エルアは自分の手から彼が離れつつあるのを感じていた。保護者としてはそれはもう喜ばしいことなのだろうが、あまり納得はいっていない。
庇護されるべき存在である。そうあるべきはずだ。それは今関係ないことなので、軽く頭を振った。

『ええ元気よ。俗に言う無理をしているタイプの元気ね!具体的に言うと』
「言わなくて結構。お前なあ、人の情報を勝手にボロボロ話すなよ」
『これは必要な情報じゃないかしら!ねえ、』

制するように男の手が挙げられる。

「――悪いけれど、あなたたちのお喋りを聞くために約束を取ってもらったわけではないの。次のミッションの話をしに来たんじゃないのなら、帰ってもらっていいのよ」
『あらあら、ごめんなさい!あたしお喋りなの。普段クソ野郎とばかりだから、どうしてもテンション上がっちゃうのだわ、許してほしいのよ!』

まるで悪びれた様子のないベルベットの声に、双方揃ってため息を吐いた。


  †


ある男は言った。ご丁寧に広域通信でその言葉を吐いた。
何を思ってか知らないが、彼はそれに手を挙げた。

「腕前と積極性に覚えがある者を募り、禁忌の集中する主攻正面を強襲突破、以って新体制によるハイドラ大隊殲滅を頓挫させイオノスフェア攻略を円滑ならしめる……ねえ、くっだらねえ」
『あたしはこういうの好きよ!正当に暴れる理由、最高に最高じゃない!誰が死んだって誰も文句を言わないのだわ、だってどいつもこいつも死にに来てるんだから!』

多くのハイドラライダーを巻き込んだひとつの作戦。
そしてその言い出しっぺたる男はその戦場にいないというのだから、実に滑稽だ、本当に滑稽だと思った。そこで出るだろう死の責任は、誰が取るつもりなのだろう?
記憶が正しければその男は、散々ニーユが嫌っていた男のはずだった。何故挙手をしたのか、エルアには未だに分かりかねている。

「……〈彼ら〉がしようとしているのは、この残像領域を取り巻いている仕組みに対する挑戦よ。ハイドラ大隊は、ある指向性を持って突き進んでいる。取るに足らない傭兵部隊が、この残像領域の行く末さえ決める存在になるなんて、誰が想像していたのかしら?」

薄く笑みを浮かべた男が語っていることには、まるで興味がなかった。
全てがどうでもいいことに聞こえた。楽しそうにしているのは、ホログラムの少女のほうだった。

「ふふ、それでは足らないのでしょうね。ハイドラ大隊がこうして砦を攻めることさえ、〈どこか〉からの要請に過ぎない。自分たちで何かを〈してやろう〉という意志そのものが、ああした宣言をさせたのでしょう」

自発的な挑戦。あるいは意志の現れ。
それらにはいずれも、苦い思い出しかなかった。ない舌を噛み切りたくなる。

「自己顕示欲、権力欲?気に入らないってことを全身で示したいだけかも。要はお祭り騒ぎだわ。くだらないと言えばくだらないのでしょう。でも、くだらないと吐き捨てるだけの男よりはマシだわ。そうじゃなくって?」
『アハハ!ごもっともだわ、やっぱりあたし、あなたを推して良かったって今最高に思ってるわよ!だって少なくとも、あたしはあなたと気が合うわって思ってるもの!』

男は楽しそうにくすくすと笑っていた。やはりこのAI、自分を制御するために派遣されてきたのではないかと疑ってしまう。――ニーユの考えていることがわからない。

「――それで、あなたはどうしてここへ来たの? 何をしに来たのかしら。まさか、弟の僚機になる男の顔を見に来ただけじゃあないでしょう?」
「バカにすんなよ。そのくっだらねえ意思表示、何を思ったか知らねえけどあいつがやるって言ったんだ……」
「それは私も聞いているわ。だからこそ、この場には彼が来ると思っていた」

必要のない息継ぎを挟む。沈んだ顔の人間に来てほしいか、と言ってやりたくなった。あるいは突然打ち合わせ中に泣き出しかねないようなやつに。
そんな面倒は厭だろう。だからこそわざわざ来てやっているんだ、という気持ちは飲み込んだ。

「言ったろうさ。打ち合わせに参加できるような状態じゃないから情報の中継してほしいってよ。それだよ」
「……」
「次の作戦に合わせて、ベルベット・ミリアピードの軽量化をする。あいつは軽量機に乗るのに向いてないから、代わりに俺が出る」

男は無言だった。今初めて言ったことがいくつかあるから、それも当然かと思った。

「そうじゃなくてもあんな弱り切った人間を戦場に出せるかよ。俺のやり方が気になるっていうんなら、前のデータなら出す」
『あとでニーユからも連絡は行くと思うけれどね!あたしは急ぎで知りたかったし伝えたかった。そうなると行く方が早い場合ってあるじゃない、このクソはただの運転手だと思ってもらって良くってよ!あと口の代わりね!』

まだ気に食わないか。そう思って、畳み掛けるように言う。
自分とベルベットの組み合わせだと、実に恐ろしく言葉で殴り掛かるような組み合わせだなあと、遠くで思っている。納得させるより早く畳み掛けてこいということだろうか。それともこの男のペースに持ち込ませるなということだったのだろうか。

「どのみち今回あんたを選んだのは俺たちだ。最低限その分の仕事はしてもらうし、俺たちだってそうする」
『そう、それが所有物たるあたしの役目よ。でもあたしはもう十分、貴方でよかったと思ってるけれど……もうご一緒したデータもあるから、今更合わせに行く必要がなくて楽なのよ。それってとても合理的でしょう?』

ベルベット・リーンクラフトは、限りなく人間に近い思考をするAIだ。それでいて五月蝿いし、そして何よりAIである以上、データとの紐付けは当たり前のように行うし、即座にそれを提示することができる。以前この男にミリアサービスに来てもらった時――そのときは別の機体で出撃していたが、それでもデータは持っている。
驚くほど素早く、そして余計な理由まで付けて、しかし的確に、現在僚機のいないライダーを見つけてきたのは彼女だ。
そうでなくとも次の戦いは、普段とは違う立ち回りをする。ギリギリまで出力を調整して組み合わせたアセンブルの案を提示し、普段積まない火器を積んだデータを見せて、立ち回りについても説明した。盾にはならない、補助的な立ち回り。

「あたしを僚機に選定したのはあなたたちだったの。……道理で随分すぐに決めて来たと思ったわ」
「ゼービシェフはライズラックと戦果を食い合う立場だった。逆に言えばあんただって、戦場で暴れまわるのに十分なサポートを受けられるようになるんだぜ?悪いことなんかどこにもないだろう」

ゼービシェフの枠に収めさせようとしているのは自分たちだ。ニーユはそれをどう思うかは知らないが、少なくとも悪くはない。

「……そうね、ミリアピードと組むのは、お守りのためではない。こちらに益があると踏んだから。本来ならね。今のニーユ=ニヒトが僚機に足るのかは、あたしには分からないわ。だからこそ、彼に会いたかったのだけれど、まさか保護者にしゃしゃり出てこられるとは思わなかった」
『あらあら!保護者が来るのはご不満かしら?あたしはついでにイケメンの貴方が見れて最高の気分ですけれど!』

相手の思考を勢いで叩き潰していくベルベットを見ていると、少しだけ同情したくもなった。
じゃあ自分が同じことをできたか、と言われれば、きっとできない。向こうのペースに乗せられて激昂していたまで十分にあり得るな、と。今更ながらに思っている。無言のエイビィに、ベルベットは更に畳み掛けていく。

『いいじゃないそういうのでも。それにあなた、ミオよりよっぽどヒヤヒヤしなくて済みそうですもの。違うかしら?』
「あなたたちは、ミオという子を悼まないのね。あたしに気を使っている?それとも……」

悼む。
正直なところ、この男からそんな単語が出てくるとは思っていなかったし、こちらもそんな感情は持ち合わせていない。
――特にエルアは。呆然とした顔で帰ってきたニーユを出迎えた時、どんな顔をしていたかなんて、言うまでもない。

「……さあな」
『悼むのは少なくとも、あたしの仕事ではないもの。あたし生憎AIだから、そういうのって分からないのだわ』

どう思われたかなんて知らないし、知る予定もなかった。

「まあ、いいわ……中身が違うのは想定外だけれど、休暇を取られるよりはマシね。僚機として登録された以上、ミリアピードと『ライズラック』は同じ戦場で出撃する。パートナーを継続するかどうかはそれからまた考えるわ」
『うふふ。あたしなしじゃいられなくさせてあげるわよ!また戦場で会いましょう、エイビィさん』

あたしのサポートででろでろにさせてあげるわよ、などと宣い始めた端末の電源を落とした。話は終わった。これ以上喋らせている必要はない。

「それじゃあ、次は戦場でね、ミリアピード」
「……じゃあな、エイビィ。よろしく頼む」

ぺたぺたと軽い足音を立てて、エルアは“ニーユ=ニヒト・アルプトラ”に戻っていく。HCSの認証を通り抜けるのに、そうしなければならないのだ。
そうしながら最後に、誰にも見えないところで口角を釣り上げる。

「やってやる」


  †


『エイビィさん。エイビィさん、いいかしら?“保護者”のお話、聞いてくださる?』

先程までやかましく騒ぎてていた少女の声は、実にそれらしく勢いを抑えられていた。

『……あのひとはもちろん攻撃手にも回れるけれどね、本質は奉仕者なの。あたしはこれまで一緒に戦ってきたから――いえ、もっと前からそれが分かっているの。けれど全てに手を差し伸べられるほどの慈愛には満ちきれない哀れな子!なら誰か受け手を選定しに行くのは、あの子の所有物たるあたしの正当な責務』
「あなたたちは、自分の幼さを隠そうともしないのね。永遠に子供のようだわ」
『アハハ!だってあたしたち、“子どもたち”だものね。ニーユはともかく、あたしとあのクソは全くもってその通りだわ』

逃れられなかった、哀れなリーンクラフトの子どもたちだ。
そして永遠にその先に進めなくなった、哀れな被害者たちが自分だ。かと言ってベルベットは、それを悲しくもなんとも思っていない。
もうあまりにも遠すぎる。かけ離れすぎてしまって、さっぱり何とも思わない。

「子供に育てられたから、ニーユ=ニヒトもああなのかしら?」
『さあ?それはあいにく、あたしの知るところではないわ。けどね、光栄に思ってほしいくらいよ、『偽りの幸運』エイビィ!貴方があたしに認められたことをね!』
「……割れた器に水を注ぎ続けることに耐えられる男ならばいいのだけれど」

言いたいことを言い尽くしたベルベットは、男の言葉を拾うだけ拾って、返事もせずに通信を切った。
大百足の歩き去る音が遠くに聞こえていた。