36-2:ゼービシェフの開かずの蓋

――俺はゼービシェフを持ち帰ってきた。
彼、あるいは彼女にはまだできることがあると思っていて、俺はそのためになら手を尽くさないという選択肢は無かったからだ。
死んだ僚機の機体が、いくら修繕可能だからと言って、自分がいつか乗るために持ち帰ってきたなんて、誰にも言えない。そのいつかが本当に来るのかすらわからないのに。
それでも俺はそうしたくて、そうするべきだと思って、連れて帰ってきた。
それができるのかすら分からない。分からないけれど、わからないなりに足掻く権利くらいはあってもいいと思っている。
“海”。
ミオの目指していた場所。
――そして彼女が、往くべきだった場所。
例えば俺が彼女を引き止めることがなかったら、彼女はひたすら海に向かって進んでいくだけでも良かったかもしれないのだ。この戦いに巻き込まれることもなく、命を落とすこともなかったのかもしれない。
未だに悩み続けている。
俺は、俺があの時やったことは、本当に正しかったのか。
いやそもそも、彼女が目指している“海”が、ここの海かどうかなんて保証は全く無い。そもそもここに海があるのかどうか、俺は知らない。それでも俺には、あの時あの子を引き止め、自分の手元に留め置いた以上、――そして死なせてしまった以上、やらなければならないと思っている。俺が。いや、俺にしかできないし、他の誰にもさせたくない。
自分勝手だとは思っている。
永遠にしがみつくつもりはない。これ以上しがみつくつもりもない。帰ってこないものは帰ってこない。

「……」

知らないことが多すぎる。この世界が広いのか狭いのか、そもそも海があるのかどうか、――彼女の行き先はそれで合っているのか。
何も聞いてこなかった。自分が何か話しかけて、それに答えてもらって、確かに会話はしていたし、やりとりもあったけれど。
大事なことをたくさん、たくさん聞き損ねている。
手が止まる。

「……ん、……ん?」

何の汚れもない操縦棺を取り外して気づいた。むしろよく今まで気づかなかったなとすら思っている。思えば彼女の機体は、あまりパーツの入れ替えがなかった。

「……操縦棺?」

見間違えようがない。形式としては相当古いものだが、ルシオラを外した後ろに確かにもうひとつ、操縦棺が存在している。もうすっかり全身を取り替えてしまっているゼービシェフの外部装甲と見比べればすぐに分かるくらいに、古いものが。

「(いつからここに?いや、――ずっとあったのか?)」

操縦棺の蓋は開かなかった。劣化を疑ってかかってみたが、よくよく見ればぴったりと溶接されて塞がれている。何のために、と思った。中に何か入っているのか?

「……ベルベット。ベルベット?」

通信端末を起動させながら呼びかける。すぐに返事はあった。

『お呼びかしら』
「ゼービシェフのHCSに接続してくれ。機体の構成を改めて探りたい」
『よくてよ。今更こんなボロ機体調べて何になるのかしら?いえ、だからこそ今なのかしら?少し待って』

正直に言って、これは逃避だ。そう分かっている。
俺が本来今やるべきことは、ゼービシェフと向き合うことではない。やることが何も思いつかなくて、飛び込んできていた呼びかけにふらりと手を挙げて、今だ。
新しく組み直した僚機と、まだ話をきちんとしていない。

『――何これ?』

怪訝そうな文字列が並んだ。

「……何?」
『アハハ。あたしはちょっと、いやかなり、びっくりしてるところよ。……ミオ、とんでもないものに乗ってたのね』

何でもない事のように並ぶ文字列を、俺は怪訝そうに見つめることしかできない。
古い機体だった。古い機体だったし、あまり頻繁にパーツを入れ替えてもこなかった。砕いた装甲を変えるのは、俺がやるほうがずっと早いからそうしていたけれど、ゼービシェフを深く覗いたことは、ないといって等しい。

『複座よ。複座だけど、複座じゃない。一応言っておいてあげるけど、その操縦棺の中には何もないわ、それは安心なさい』
「……そう……」

ミオが乗っていたのは、間違いなくルシオラだった。
それはこの目で確かめた。
――では、これは何のために?

「……それは、開けられるのか?いや、俺の見立てだと開かないけれど……」
『それはあたしも同意見ね。その蓋、完全にただの飾りだわ』
「……。素材面」
『古い以外の説明が必要?あなたが最初の方にいじっていた装甲と、おおよそ同じように思えるわよ』

蓄積されていた今までのデータを画面上に出され、俺は細く息を吐いた。
どのみち俺のやろうとしていることに、まだ支障は出るように思えなかったからだ。

「そう……なら、いけるな……」
『あらあら。もしかして何か企んでいるのかしら?』
「そんな、企んでいるなんてもんじゃないよ……俺の願望だよ。ほんとうにちょっとした……」
『ふうん。聞いても良くて?』

ずっとしまっておこうと思っていた。その時が来るまで誰にも言わずに、ずっと。
ある日突然店を閉じてしまって、――そうでもしないと足を踏み出せないことだとも思っていたからだ。

「……海に。海に行きたい。ゼービシェフで」

海に。
彼女を連れて。
そこが正しく彼女の求めていた海でなかったとしても。

「複座なら二人で乗れるだろう。ルシオラはもう使わないから、小型化すれば良いし……」
『……そう。あたしはそういう目標があるの、いいことだと思うわよ。けれど意外だわ、意外も何も、今こうしてピンピンしていることが意外だわ。だって、ねえ』

俺は何だと思われているのだろう。
いや、それは分かりきっていた。子供だ。どうしようもない子供だと思われているのだ。図体だけ立派に育った可哀想な子だ。

「……何だよ」
『もっと情けなくぴいぴい泣くかと思っていたのに、全然そんなことないのだもの!ちょっとつまらないくらいだわ』
「俺をなんだと……」

端末の電源を切ろうとして指を動かした瞬間に、真剣な顔が画面に浮かんでくる。
そして“言う”。

『――それでいいの。それでいいのよ。あなたはそうやって、“リーンクラフトの子どもたち”でなくなっていくべきなの』

そうあるべき、そうしなければならない、と言ったような、力強い言葉だった。
俺は、俺が変わっていかないといけないのは分かっている。分かっていた。ずっと目を背け続けていたところに、先に進まざるをえない機会がやってきた。
世界の存亡。あるいはミオの死。あるいは――

『生まれ変わって翅を広げなさい?それがあなたの成すべきこと』
「ああ、うん。うん、そうありたい……だからこそ、やりたいと思ってるんだ」
『ならそれでいいじゃない。で、あとあたしのやることは何かある?』
「……じゃあ、解析……頼んでもいいか。俺はガレージ片付けるよ……」

思っていたよりずっと落ち着いているのは本当で、けれどなにかがずっと引っかかっている。それが何かわからない。
わかったらきっと、先に進める。そう信じている。

『そう、そうね。それがいいわ。今ほんっと汚いものね』
「余計なお世話だ」

いろいろなものが散乱しているガレージを見て、俺はため息を吐いた。
次回必要なものと、普段使いのものが違いすぎるせいで、いろいろなものが散らばっていた。素材の置き場もあるか怪しかった。





『――残念ね。あたし、もちろんあなたの味方ですけれど、あなたじゃない方の味方でもあるのよ、うふふ』