37-3:百足が笑いて霜を踏む

ベルベット・ミリアピードは帰投しなかった。
そもそも前回の戦闘で、傷一つ負ってすらいないのだ。それは俺にはとても都合が良くて、これで計画はほぼ完遂されると言って良いだろう。

『アッハハハ!!いい気味!そう、とてもいい気味よ!』
「違いねえや!俺は最高にいい気分だ」

あのエイビィという男、どうしているだろうか。僚機を解消しようとするだろうか。けれども残念ながら、少なくとも次の出撃が終わるまでは、その関係は解消できない。織り込み済みだ。
だからこそ出向いた。だからこそ勢いのままに喋らせたし、俺は何も考えていないように振る舞った。

『あなたってひとは、本当に最低な性格をしてるわ!はなまる付けてあげる』
「いらねえよ!」

必然的に出撃する機体は“あれ”になり、そしてあのままの出撃は止められるはずだろう。何を思ってニーユが好きにさせていたのかなんて、知る由もないし知りたくもないが、もう一歩踏み込んで見てやれば分かっただろうに、と思う。がむしゃらなだけの殺意の塊は、そうして影に撃ち抜かれて死んだ。

「……で。あのガキの残像、次はどこだ」
『11』

淀みなく、そして素早く読み上げられた番号は、ニーユたちの配置されているブロックとは距離がある。
彼らのいるブロックには名うてのランカーがいるから、何も心配することはないだろう。強いて言えば稼ぎの心配をしてやればいいくらいだろうが、そこまで気にしてやる必要は、今のあいつにはもうない。
名の知れた整備屋になっているのだから。

「チッ。ちょっと遠いな……まあいいか。行くぞ」
『あらあら?何をするつもりなの?まさかこの期に及んでお手伝い?いきなりあなたが僚機らしく始めるの、あまりにも滑稽だわ』
「……てめえわかって言ってんだろ。不愉快だ」

いくら不快の態度を示しても、このAIには暖簾に腕押しもいいところだ。
少なくとも俺が知っている頃の『ベルベット・リーンクラフト』より、ずっと不具合が溜まった結果が、これだ。穏やかで落ち着いた気質など、どこへ行ってしまったのやら。

『あらあら!まさかあなたにそんなこと、言われるだなんて思ってなくてよ。今頃あなたが不愉快だって思われてるに違いないのに』
「あんたも共犯だろうがよ。クソが……」

微かな歌声に似た嘲笑う声。

『そうね。あたしもあなたも同じ穴のなんとかってやつね』

音声のみでいた表示が即座に切り替わり、コンソールの全面に少女の顔が表示された。
さも当然と言わんばかりに、そして今すぐにでもお前の暴挙を外に曝け出せると、半笑いでこちらを見ていた。

『けどこれ、言い出しっぺはあなたじゃない……あたしは面白そうだからあなたに“も”付き合ってあげているのに、そんな言い振りはないんじゃなくって?』

そうだ。これは俺が始めたことだ。

『あたしを納得させられないんなら、今すぐあたしの場所を向こうに通知してやるけれど?エルア=ローア!』

これは俺の俺のためによる俺のどうしようもない感情を満たし処理するための行為であり、断じて他人のためではない。
俺は俺のためにこの手を振るいそして俺が俺たるためにこうして、ここに、

「チッ……うるせえよ。俺は気に食わない」

――気に食わなかった。
知っている。あの行動は、運命でもなんでもなく明確に記憶によって引き起こされそしてその結果あの少女がミリアサービスという場所に存在することになり結果今まで行き場を失っていた奉仕者の心が!

「天ヶ瀬澪っていうガキが気に食わない。それを拾ってきたあいつが気に食わない」

あいつさえいなければこんな思いもこんな気持ちにもならなくて済んだはずだ。

「――そしてしがみつく気はないとかなんとか言いながら、しがみつけるものを残しているのが気に食わねえ!」

不確定存在を確定させた上で残ったものに未だに縋り付いて助けを請おうとして挙句これからもまだそうやっていようとすることがとにかく俺は俺には理解し難く不愉快でこのどうにもならない何かを向ける矛先が何処にあるかと言えば、

「これは復讐だ。俺の天ヶ瀬澪に対する復讐だ!理不尽だとでも八つ当たりだとでも何とでも言えばいい!!」
『――っふふ、ふふふ、アッハハハハハハ!!』

もはや俺にはこれしかないのだ。そういう生き物にされてしまった。
行き場のない怒りと憎悪の在り処は誰かがめちゃくちゃに叩き潰して、残った先でこの戦いだ。幾らでも何処にでも銃口の向けようはあって、だがその機会はなかなか巡ってこなかった。

『いいわ。最高にいいわ。そういうくっだらねえクソみたいな感情を剥き出しにして、偽りの幸運すら言いくるめたの、最高ね!大好きよそういうの!!』
「……ハーン、俺からしたらあんただって同類にしか見えねえよ、カス」
『あらあら。だってあたしとあなたって“同じもの”じゃない!今更何を言ってるのかしら!』

復讐だとしか言いようがない、この無様な状況を笑えばいい。いくらでも笑えばいい!
俺はただ、今までずっと伺ってきた機会を得て、走り出しただけなのだ。
誰かの声が聞こえる。呼ぶ声が聞こえる。――『子どもたち』を呼ぶ、憎たらしい声!

『自分の復讐が優先されるんだと思えば、きっちりあの子のことは守りたがるんだもの、あなたって本当になにを考えてるんだか分からないわ。アハハ!ほんとうに面白いわ!』

それが目の前で話すAIだと同一のものであると気づいた時に、また俺はいたたまれなくなる。悲しく傷を舐めあっているしかない愚かな被害者。あの時死んでいられればよかったのかもしれないのにとすら思う。
そこから離れて飛んでいこうとするものを、素直に祝福することすらできないのだ。

「……そろそろ黙れよ。“あっちでも”やることがあるだろう、俺はそう頼んだはずだ」
『そうだったわ。そうね。あたしとあなたは共犯だけど、あたしとニーユはお仲間だもの。帰ったらどんな顔されるのかしら、楽しみにしてるわ、クソ野郎!』
「うるせえよクソAI!とっとと向こうに行きやがれ!」

この『ベルベット・リーンクラフト』は、何を思って俺に協力したのだろう。
単なるAIだからなのだろうか。面白そうだからという理由の裏に、何を隠しているのだろうか。何もわからない。何も分かりたくはない。

『アハハ!死んだ人間に復讐する復讐者!そうすることでしか感情を発露できない哀れなお子様――あなたはそうやって生きていくしかなくなったのだものね!そうやって、そうやって人の形をできているだけ、まだ幸せだったりするのかしら?』
「これ以上ぐだぐだ話して何になる?いい加減にしろよ――」
『はーいはい。じゃあ無駄話はこれきりにしましょうね。あたしもうまくやってみせるわ、ふふ』
「ハアー……」

画面を叩き割ってやろうかとも思った。――そんな力は自分にはない。
こちらが嘆息したのを捉えたクソAIが、画面の向こうでけらけらと笑っていた。

『あらあら?もしかしてそれは信用してないって感じのやつかしら?あなたみたいに感情で動くやつよりよっぽど、成功してみせる自信がありますけどね!』
「あんたの失敗はそのクソみてーなお喋り機能だよ……とっとと行け!」
『アハハ!せいぜい足掻いてちょうだいね』

画面の明かりが消えた。数度点滅して、再び起動したHCSに、ベルベットの気配はない。

「……さ、やったりますか……」