37-4:二脚霜行ゼービシェフ

――ベルベット曰く、その操縦棺は、操縦棺の形こそしているが、操縦棺ではないと。彼女はそう断言した。
まさかベルベットが解析ミスを起こすとは思えないし(――それはどちらかといえば俺のミスになる)、どこからどう見ても操縦棺にしか見えないものを前にして、俺は覚悟を決めていた。

今からこの操縦棺を破壊するのだ。

『……ほんとうにやるつもり?』
「ああ」

内部に強力なエネルギー反応がある、とも言った。確かに物体は確認されなかったが、それはあくまで簡易スキャンでの話だ。より精密に調べてみれば、『何故天ヶ瀬澪がゼービシェフを動かせていたか』というところまで突き詰めることができた。
――この操縦棺に入っているのは、強力な霊障の塊だ。
旧式のウォーハイドラ『ゼービシェフ』。いつ誰が何のために、どのような技術を以てそれを作り上げたのかは分からない。今はもうすっかり現代のハイドラに換装されてしまったそこに、残っていた過去の遺物。
周囲から一定以上の霊障を取り込んで、そして動力とする機構が搭載されている。つまりこの二つ目の操縦棺は、操縦棺というよりはずっと、ミストエンジンに近い代物だ。
俺には霊障のことは分からないが、彼女が相当強い霊障の力を持っていたことは理解していたし(物理的に分からされていたと言うべきだろうか)、だからこそ彼女が、このハイドラを動かせていたのだろう。

『もう一度聞くけど、ほんとうにやるつもりなの?』
「……どうしてそんなことを聞く?」
『親切心よ!あなたが後悔しないようにっていうね!』

それが何を意味しているのか、分からないわけではない。
俺は、ゼービシェフで海に行きたいと言った。けれども今やろうとしているのは、必要に駆られてとは言え、ゼービシェフの一部を破壊することだ。
一部で済むかどうかすら怪しい。そんなことになったら一体どうすればいいのだろう――その時は、俺の睡眠時間が削れるだけ。

「――やる!」

工具を手に持った。
何があっても驚かないつもりでいた。

豪快に壊したほうが楽なんじゃないかとすら思う地道な作業を経て、開かずの操縦棺の蓋は、ようやく開きそうなところまで来ている。
――何かが漏れ出ている気配。けれどどこか安心できるような。

「ッ……」
『ニーユ。ニーユ?エネルギー反応が高いわ。気をつけなさい』
「いや、大丈夫!」

こじ開ける。
溢れ出る淡い光。そして吹き飛ぶ、操縦棺の蓋――

「だっ――」

ガァン!!

『ニーユ!!』

こじ開けられた操縦棺の中には、確かに何もなかった。確かに何もなかったけれど、これは秘された部分を覗き見た代償だ。今までの何より、ずっと重くて痛いけれど。

「――あはっ、はは、ははは……」

最後の最後まで、そんなに恥ずかしがらなくてもいいのになあ。
何度ものをぶつけられたことか分からないし、俺も俺で、配慮が足りなかったことは認めざるを得ない。

「……ごめんって……もう、もうしないよ……ミオ……」

覗き込んだ操縦棺の中には何もない。


◇  ◆  ◇


新しくライダースーツを仕立てた。自分のものではない。
それを着た“少女の人形”が、目の前でにこにこと笑っていた。

「さあ、どうかしらニーユ!これが新しいあたし!」
「新しいわけじゃない。いいか、ほんっとに今回だけだ。今回だけだからな」

ベルベット・リーンクラフトは、データ記録領域さえ内蔵されていれば、どこにだって入り込めるAIだ。必要な容量などの細かいことは正直知らないが、戦闘時における演算処理では、多いに越したことはない。
ただ仕方のない事とはいえ、不可抗力だとはいえ、同じ顔で全く違うように振る舞われるのには、正直虫唾が走った。今すぐにでも叩き壊してしまいたいような、あるいはあのとき無惨に壊されていればよかったような。

「そんなに不機嫌な顔しなくてもいいじゃない、失礼ね!それとももっとらしくしてあげたほうがいいのかしら?」
「しなくていい!」

このざまだ。
ベルベットの方は、随分上機嫌に見えなくもない。自分の意識に近いサイズの身体があると、やはり違うのだろうか。

「……それより調子は。処理能力は」
「ええ、調子は見ての通り!いつものうるさいあたしでしょう?うふふ」

ない胸を張るようなことは、生前の彼女では絶対にされなかったことだ。
得意げな顔。どこからどう見ても、“天ヶ瀬澪”には程遠い。――改めて、喪ったものが返ってくるわけがないのだ、と思っている。

「処理能力についてもそうね、いつもの【あたし】と比べたら落ちるけど、いつもより全然必要な処理能力が少ないですもの。余裕だわ」
「ならいい。あとで最後の調整をする」

複雑な機構を持ち(あるいは持たざるを得なかった)、さらに通信索敵や援護行動もこなしていたミリアピードと、ただただ前がかりになって敵機を殴っていただけのゼービシェフでは、まるでやることが違う。
全く慣れない機体なのもあり、故にベルベットに頼らざるを得ない。ベルベットはなんて事もないように、格闘も射撃も変わらないわ!なんて言ってのけるんだけど、裏で何人ものランカーのデータを掻き集めていたことくらいは、通信ログを見ればすぐに分かった。
――お互いに本気なのだ。

「……ほんっと、しょうがないっていうか……しがみつくつもりがないって言って、全然そんなことないじゃない!」
「……」
「……。そんな顔しなくてもいいでしょ」
「うるさいな……」

いつかの日まで、ゼービシェフは、“ミオ”は、あのガレージに置かれていたのだろうか。そうかもしれない。
俺は結局、散々そのつもりがないと言って、全然その気がなかった――とも取れるだろう。俺は俺のやりたいように、俺のために、俺が選んだ方法で握った手を離したかったのだ。
いつ来るのかわからないタイミングをずっと待っていようとしたのだったら、それはつまり。

「まあいいわ。関係ないですもの――あたしが積まれるということ、その意味、わかってるのよね?」
「……もちろん。その覚悟はある……そのくらいの覚悟を持って、臨まなければいけないと思ってるし、――どうせなら」

綺麗な身体で帰ってこないで欲しかった。
どうせなら無惨にその死を現して欲しかった。
だとしたらもっと穏やかな気持ちで居られたんじゃないか。
ずっとそう思っていたけれど、それも今日で終わりだ。

「どうせなら身体もあのときとどめを刺してもらえればよかったのにって?アハハ!あなた、ほんっと、ほんっとに……」
「何だよ」

前から覚悟は決まっている。決めたつもりだった。
本当にどうしようもないことが目の前に現れて、ようやく固まった。

「エルア=ローアも強硬手段に出るわ、って思っただけよ」
「……おい、」

帰ってこないミリアピードとエルア。
出撃せざるを得ないゼービシェフと俺。

「その話はあとにしましょう。行って帰ってきてからでも遅くはない。――あたしたちは帰ってこなければならないのよ、分かっている?」

何を考えているのだろう。何を考えていたのだろう。
俺か、それともミオが、あるいはそのどちらもが、気に食わなかったのだろうか。
いずれにせよ俺は、あの霜の巨人との戦いで、ゼービシェフに乗る。改造したヒューマノイドに乗せたAIベルベット・リーンクラフトをサポートとして、複座の操縦棺に乗せる。
二人で出撃できるね、なんて、生半可な甘えた言葉じゃ済まされない。俺はそんなことをしたいわけではない。
一つ言葉にできるのなら、それはきっと、この世界に対する復讐だろう。天ヶ瀬澪という少女を殺した世界に。そうならざるを得なかった世界を作り上げた神に。
だからこそ。

「……何としてでも。……這ってでも、腕がもげても……」
「ふふ!そうね、その意気ね。その意気よ――あたしもきっとこの身体を壊すわ!あなたの標はほんとうに跡形も残らないでしょう」

何も残らなくても、彼女が生きていた標はある。
物理的にも、――そうでなくても。

「……もういらない。もうその標はいらないからいいんだ、ミオには……ミオにはとても助けられたよ。助けられたし、楽しかったよ……だから」

この仄暗い世界に互いに迷い込まなければ、この半年以上の時間も存在していない。もう、悲しむべくは別れではない。一つ前に進めそうなことに喜びすら抱いて、俺はあのゼービシェフに乗るのだ。

「俺は先に進むよ。そして“海”を見つけるよ」

吐き出す息は白かった。
“海”を、あるいは“るい”を、どうか自分の生きているうちに見つけられますように!


「――来い、ゼービシェフ」