38-1:九番目の偶発的オーバーロード

男はとにかく無遠慮だった。それが当然だと言わんばかりの態度だった。
そしてそうすることが当然のように、口を開いて言うのだ。

「ひとを診れる医者がいるんだろ?なんとかしてやれよ」

ミリアピードの装甲の内部から、実に適当に放り出されてきた操縦棺――破損が激しく、錆びついた鉄の臭がする――が、湿り気一つない地面に落ちる。隙間から液体が広がって大地を濡らした。
一回り前の、旧型の操縦棺。彼女を抱いて無傷でいた棺は今、もはや見る影もなくなっている。

「じゃ、よろしく」

人の命をまるでなんとも思っていないような物言いで、エルアは操縦棺を蹴り開けた。
浅く早い微かな呼吸音。血の臭い。悲鳴とも怒号ともつかない男女の入り混じった声。

俺が悪い。
彼は悪くない。


  ◆  ◇  ◆


寝かせられている彼は、随分と穏やかな寝息を立てていた。
セティの元に運び込まれたニーユの状態は、一言で言えば「よく死ななかったねえ!」ということらしいのだが、今目の前にいる彼は、いっそ普通に寝ているようにすら見えた。苦痛の色はどこにもなかった。

「……」

あまりにも“楽しそう”にしていたセティのことを思い返すと、少しばかり頭痛がした。
ほぼリアルタイムで塞がろうとしていく傷口を見せてこようとしたり、いわゆる培養装置――もちろん中に入るのはニーユだ――を持ち出してきたり、怪我人が来たというよりはずっと、研究対象が来たという顔をしていた。培養装置はニーユのことを思うと流石に止めた。

『いやあ、これもうしょうがない。迷惑料というやつだね迷惑料』
『なに、悪い事には使わない。私が個人で楽しむだけだよ。だから安心してくれたまえ。あ、チカ、君は寝てもいいぞ。今の私は眠気という存在とは無縁なのでね……根こそぎ頂くよ、データを!』
『私は科学者なのでね、こんな活きのい……失礼。これほどよくできた……コレも違うな。まあ、とにかく、彼は科学者から見て魅力的に過ぎるのだよ』

言わんとしていることは理解できるし、彼が普通の人間ではないことを“科学的に”知る人間が増えただけだ。ニーユにとっては増えてしまった、かもしれないけれども。

「……まったく……」

ニーユとエイビィのペアは、普段盾役であるニーユが、格闘機のゼービシェフで出撃するというイレギュラーに対して、ライズラックの方を支援機に組み替えて対応を取ったようだった。下手に旧型の機体であるゼービシェフに盾役をさせるよりは、という判断だったのだろう。それについては異論はない。
精一杯やれるだけのことをしたいと言っていた。こちらから型落ちのエンジンを出したりもした。バルトの元まで出向いて、格闘機の立ち回りについて聞いていたのも知っている。ないよりマシな付け焼き刃だ。
結果としてゼービシェフは大破、もはや再利用なできそうなパーツすら残っていない状態の、スクラップがかろうじてハイドラの形を保っているようなものが、ミリアサービスのガレージにある。

「……ぅ……」

小さな呻き声がした。薄く開かれた目がしばらく虚空を眺め、はっとして見開かれるまで、そう時間はかからない。

「――ッ!!」

掘り返される記憶。何度もあった“何かをされた”という曖昧なそれが呼び起こされて、全身に恐怖を生む。次に聞こえてくる声も決まっている。決まりきっていた。いつもそうだった。ろくなことではないしなかったけれどそれを受け入れる以外の選択肢はなくないはずの右手がひどく痛み、

「ニーユさん!――ニーユ=ニヒト・アルプトラ!!」
「……ふ、ぇあ……あ?……チカ?」

ここはあの研究所ではない。
名前を呼ぶ声がしてようやく我に立ち返って、呆けた顔で名前を呼んだ相手を見た。見知った顔だった。一時期毎日顔を突き合わせていた、よく知る人。
チカが言うには、ミリアピードが――ミリアピードに乗ったエルアが――大破したルシオラをここまで持ってきて、そして置いていったのだという。戦場の記憶はもはや途切れ途切れになっていたが、あの霜の巨人がこちらを確かに捉えたことは覚えている。腹のあたりをえぐられたような記憶が、ぼんやりと残っていた。

「……そっか、俺……」
「無事でなによりです」
「……うん、大丈夫。……誰がこの……手当を……?」
「それは……」

部屋の扉が勢い良く開いた。
片眼鏡で白衣の、見知らぬ女がそこに立っている。すっと血の気が引いた。

「おはよう!ニーユ=ニヒト・アルプトラ君!」
「ヒッうわああぁぁあーーーーーーッ!?」


  ◆  ◇  ◆


「ひどいな君は。いきなり叫び声をあげられるのは正直心外だ」
「いやっ、あの……すい、すいません…………」

白衣が駄目なんです、つい条件反射で、と口ごもるニーユに、ならば脱いでやろうか、と白衣を脱いでその辺に雑に放り捨てたセティは、片眼鏡を直す。
一日寝ていないのだろうことがありありと見える顔だが、その目はとんでもなくぎらついていた。例えるなら獲物を見つけた獣の目だ。

「悪いが君の事は色々とデータを取らせてもらったよ」
「えっあっあの、えっ、えっと、あ、こ、個人が特定できるレベルの範囲での利用は!!なしで!!」
「はっは!そんな事はしないさ。今後の私の活動に有効利用させてもらう程度だよ!」

頭がぐらぐらしてきた。自分という存在に手を入れられてしまったという事実と、恐らくこの治療を施してくれたのは彼女なのだろうというので、何も言えなくなってしまう。話が通じるのであればまだいい。いい、と、思う。

「それにしても素晴らしいものを見せてもらえた。礼には及ばない。次に君が大怪我をした暁には倍のスピードで完治させてやろう!」
「うっ……あっ、はい……すいません……」

もっと誇ってもいいんだぞ君!などという声がした。できるか、と思った。好きでこんな身体になったわけではないのだ。あれだけひどくやられたはずなのに、そもそも人間の形を保っていて、つながるべきところがつながっていて、そして何の苦もなく動かせることを、どこに感謝したらいいのかわからない。そもそも感謝するものであっていいのかも。それでも。

「……ありがとうございます。次は、――怪我ではないときに、世話になりたいものです」
「おっ、健康診断でもするかい?いつでもいいよ!そう今からでもいい!よしじゃあまず」
「今度でいいです!!」

知りたいことはたくさんあった。自分のことすら知らないことが許せなかった。であれば、だ。
――だからと言って、今である必要は全く無い!
引き下がらないセティの説得に数分を要してしまい、ニーユは強く出れない自分を恥じたのだった。


  ◆  ◇  ◆


タカムラ整備工場に、凍ったスライムが放って置かれている。
暴虐の限りを尽くしてきた水まんじゅうがついにお縄にかかったぜ、とか、壮年二人分のしてやったり顔を見ながら、ニーユはひどく申し訳ない気持ちになった。
確かにあの研究所にいた時は、ずっと兄のような存在として慕っていたけれど、今になってみるとずっと、“お兄ちゃん”の方が子供に見える。
それだけ自分が、残像領域で成長してこれたのだろうか。

「……お兄ちゃん……」
「とんでもないお兄さんを持ったもんですね」
「血のつながりはないんだけど。なんでだよ……」

傷が塞がるのに一日もかからなければ、大量に失っただろう血液を取り戻すのにも、そう時間はかからなかった。要安静だ、という判断をくだされたのは一日だけで、もうすでに普段と変わりなく動ける。適切な処置を施されれば恐るべき速さで回復に至るのだから、ただ傷を塞ぎ押さえるだけでもよかったのだ。――いつかに電磁ブレードを差し込まれたことのことを、思い出している。

「……にしても、実際に見ると、びっくりしますね」
「何が?」
「……あなたの回復力のことです。話には聞いてましたけど」
「ああ、うん……俺、……ひとを殺すために、そうされたらしいけど……皮肉なもんだよな。そんな俺がハイドラライダーってさ」

結局、やっていることに変わりはない。砲を向けた先の中に、人がいない保証はない。それでも全ては、自分が死なないためだ。そのためなら躊躇いはなかったし、何も。何も、考えなくていい。死ぬ時は人は死ぬ。
右手の先に袖が被らないようにインナーを捲り、上着を羽織る。右手の先がたなびく感覚は、久しぶりだった。

「出かけるんでしたっけ?」
「ああ、うん。来週の打ち合わせのついでに、お見舞い……行ってこようかと思って。白刃のベティさん」
「そうですか、あの人も……ちゃんと帰ってきてくださいよ。セティさんがあなたのとこに押しかけかねない」

知り合いの多い戦場は安心すると同時に、ニーユと同様に撃墜されていたベティのことが心配になっていた。自分はともかく、彼女は一般人だ。ライダー歴は自分よりずっと長かろうが、一般人だ。
念を押すに言ってきた言葉は正直余計に感じられて、脳裏をあの勢い良く扉を開けて入ってきた白衣の姿が過ぎり、逃げ出したくなる。

「う。わ、分かってる。分かってる。逃げません、逃げないったら……」
「そんなに怖いですか?」
「……怖いよ。……怖いっていうか、俺が、じゃなくて……俺じゃない別の何かが怖がってるようにも思う。ただとにかくこう……うん、……怖いものは怖いです!」

言い訳はしないことにした。白衣の人間が怖いのは、その訪れがほぼ確実に“いやなこと”の始まりであることが、身体に染み付いてしまっているからだ。
こればかりはしばらくどうしようもない気がするし、かと言って自分のデータをよそに広めたくもない。これからも彼女が生きている限りで頼ることにならざるを得ないのは、目に見えていた。

「正直でいいと思います。……ニーユさん」
「はい」

深い青の目が見つめてくる。

「……今回の事は仕方なかった。という事にしておきます。ですが、もう勝手にあのような無茶をするのはやめてください。少なくとも、私は嫌です」
「……うん。ごめん、チカ……ありがとう」

突然、すっとひとつ納得した。
次に成すべきことが急にクリアになる。そのためにも、何事もなく帰ってこなければならない。

「よし、俺決めた」

これが答えだ。

「何をですか?」
「秘密!んじゃ行ってくる――あ、久々に晩飯作ろうか?どうせこっちに泊まりだし……」
「あなた怪我人なんですよ一応!!」
「あっはいすいません!!」

呆れた怒号を背後に、ニーユはミリアピードを呼びつける。
日差しの下に晒されたミリアピードが、大きく長い影を作った。