38-4:狂ったように霧に手を

大型のブースターの受け渡しのときよりも早い時間に呼び出され、そしてまさにその時刻に、秒も狂わせることもなく到着したリーを待っていたのは、今まで散々顔を突き合わせてきた(向こうから言わせてみれば、“羽目になった”とはつけそうであるが)男ではなかった。
小柄な少女だ。死んだはずの、その男の僚機の姿をした。

「あなたがリー・イン?」
「如何にも。それにしても先週に引き続き、か。君達は俺を随分好ましく思ってるのかな?」

言葉と裏腹に、全く好悪の存在を認めていないような無表情に、少女もその容姿に似合わぬ皮肉を被せた嘲笑で応じた。
わざとらしく空気を吐き出したのは、少女の方。

「嫌ね、思い上がりもいいところだわ。まず鏡をよくご覧なさいよ、クソ野郎」
「そういう君は思考回路に煤でも溜まったのか?俺が言及してるのは能力についてだ。色男の痴態が見たいなら他所を当たれ」
「あらあら!イケメンというものには総じて能力もついてくるものよ、ゴミクズ」

同意しかねるな、と肩を竦めてみせる前で、パイロットスーツの少女は何も臆することなく笑って見せている。少なくとも、かつての僚機たる少女ではないだろう。あの機体に乗っていたものではない。

「それで?せっかく晴れ渡ってノイズも減ったというのに通信ではなく直接お招きというのはどういったつもりかな。未明とはいえ今はあまり出歩きたくないんだが。」
「ごめんあそばせ?けれどあなたしか、ちょうどいいひとがいなかったのよね。あなた、あれに参加したために生じた不利益があれば言ってくれ。君の関わった人を含めていい……って、言ったわよね?ふふ」
「うん、確かに言った。ニーユにな。君にではない」

ニーユに言った、ということは、すなわちその所有物であるベルベット・リーンクラフトに言ったのと同義だ。――と、言ったところで、この男ならさらにこのふざけた言葉遊びに乗ってくるだけだろう。ベルベットの回路はそれを結論として導き出した。

「失礼ね。あたしはAIよ。リーンクラフトミリアサービス中の会話は嫌でも入るし、趣味で収集してるの」
「随分と苦労する趣味だな。あんまり根を詰めると狂を発してしまうんじゃないか?」
「あらあら!そんなクソみたいな格好のあなたに言われたくないわ。あなたのほうがよっぽどクソみたいなご趣味していらっしゃるんでしょう?」
「君みたいにしっかり否定してくれる者がいると安心するよ。示威効果について自信が持てる」

嗤う少女に、ちらりとも笑わない男。交わす内容こそ程度の低い罵倒でしかなかったが、お互いがそれを愉しんでいる自身を自覚していた。
少なくともベルベットは、この“クソみたいなやり取り”には、一定以上の意味があると思っている。リー・イン、あるいはinsanelyと称される男を見極めるのに。

「いいから話を聞きなさい。不利益が出たら、可能な限りで埋め合わせをしてくれるんでしょう?」
「それを言ったのはニーユにだ。君が権利を主張することまでは認めてない。むろ……」
「【あたし】をあなたの好みに飾りなさい。今すぐよ」
「……んニーユがそれを委譲するなら……何?」

薄い胸を張り高らかに要求を告げる少女に、ようやくリーが目に見える反応を返した。この鉄面皮クソ野郎も、それなりに驚くような素振りはできるらしい。

「ベルベット・ミリアピードをあなたの好きなようにアセンブルなさい、と言っているの。どうせ一緒の戦場なんだから、派手にやりたいでしょう?派手にやりたいのなら、【あたし】をそのように飾って。不利益が出たら埋め合わせしてくれるんじゃなかったのかしら?」
「……へえ。興味深い。念のため聞いておくが、それはニーユ=ニヒト・アルプトラにとって得になると判断しての要請かな?」

先週、この男が大型のブースターを納入しにきたときの会話を、ベルベット・リーンクラフトは一言たりとも逃さずに記録していた。数週間前に行われた大型の作戦に参加したことによって生じた不利益があれば、可能な限りの埋め合わせをするという言葉は、今目の前に突きつけて再生できる。

「あらあら!この期に及んでそんなことを言うのね、あたしは正しいことしか言わないわ」
「間違っているとは思わないが、正しいとも思えない。どのみち確信できるわけでもないが」
「じゃあ正しいことを証明してあげましょうか?ニーユがあたしに向かって直接、次のアセンブルについてをあたしに一任すると言った時のデータならあるけれど?見る?」
「結構だ。君なら偽装の一つもできそうだし、自己申告で構わない」

それもそうね、と笑った。なんてったってただの文字列のやり取りだ。ベルベットが手を加えるのには、あまりにも簡単過ぎる。

「【あたし】が先々週に例の作戦に参加してから帰投できずに、先週いなかったことによって生じた、ゼービシェフでの出撃および撃墜に伴うマシン・オーバーロード、そしてそれによるライダーの負傷。これを不利益と呼ばずして何と呼べばいいのかしら?」
「その点については断然同意見だ。全く正しいとしか言いようがない。帰投”できず”の一点さえ除けばね」

あれについては被害者だ、と言い張る少女に対して、男はなんて事もないように言う。多くの場合被害者というのは加害者を兼任するものだ、と。そして当人は決して認めようとしない、とも。
心底ニーユに向かって言って欲しい言葉だと思ったが、今大事なことはそれではない。この男に何としてでもベルベット・ミリアピードに“狂ったような”ドレスを着せてもらうことが、今の目的だ。

「……ま、なんて言うけれどね、早い話が霧の戦場しか知らないから、どうしたらいいかわかんないってだけ。ニーユがね。あたしじゃないわ」
「それなのに、君の思うとおりではなく、俺の好みで、というのがいかにも引っかかる。まあ、理由は想像がつくけれど」
「理由が必要?そんなの簡単よ。ニーユが誰でもいいから誰かを頼ってもいいと言ったの。そしてあなたは埋め合わせをしてくれるんでしょう?簡単過ぎる足し算だわ」

嫌な顔はするだろう。実際すでにその予告は済んでいて、本人が構ってられるか、と言ったのだ。
何故ニーユが執拗にこの男を嫌うのかについては、ベルベットもいまいち把握しきれていない。少なくとも見た目に無頓着な鉄面皮であることは分かったが、それだけで彼が嫌う人間の要素に入り込んでくるとは思えなかった。

「まあ、是非もない。ちなみに、それほどまでに構成に困難を覚えていたのか?」
「そうね。誰だったかしら、ベティ・ヴィーナス?とか言う人の見舞いに行ったときにも、うんうん言ってたみたいだけど。その時は噴霧機山盛りにしますかとか言ってたわね」
「………………意図と努力は汲むが、ね。二人揃って尚見当付かず、結果として俺に行き着くか。全く光栄ではある。荷が勝ち過ぎると言ってもいい」

ただまあ、可能ならあまりやり合いたくない相手ではあろう。一言一言がめんどくさいやつだ、とは、感じつつある。一言どころか何言でも多い。

「つべこべうるさいわね、どう考えてももっと効率的でスマートな提案くらい、あなたなら出せるでしょう。いや、出しなさい。不利益が生じているの。あたしは悪いけどニーユと違って優しくないし、なによりあたしは【あたし】よ。ナパーム砲がいいかしら?それともロケット?ああ、焼夷機関砲でもいいわ!」
「……どれでもいいよ。ただし撃つときにはその後ろに何も無い時にね。」

白髪頭が掻き消え……いや、消えてはいない。少女の人型の触覚とミリアピードのセンサーアイがそれを否定していた。
突風が噴き付けていた。流れる髪をすり抜けて、首の付け根からうなじにかけて殆ど触れるか触れないかの位置を指のようなものが上っていった。
全てが過去形にならざるを得なかったのは、電子的にですら数瞬、ベルベットがイレギュラーな事態に対処する間も無く、再びリーが少女の前に戻っていたからだった。それから遅れて爆音。前に戻ってきたリーの真横を砲弾が通過していった。

「やだ。手が滑ったじゃない?」
「なるほど、君の評価を改める必要があるかな。危害範囲をよく理解した正確な射撃だ」

リーは、ずっとそうしていたかのように紫煙を上げる紙巻を吸いつけ、明後日の方に噴き出した。投げ捨て、踏み消す。人の家にポイ捨てしていくんじゃないわよ、という声は無視した。

「こと戦闘能力について舐められるのは気に入らない。誰にでも恃むものはある。
 君のそれがどう扱われたかは知らないが、人のそれを踏みつけるような真似は慎重に行うべきだよ、“お嬢ちゃん”」

そう嘯いた口元は、酷薄を通り越した冷笑を浮かべていた。
少女の表情は変わらない。この男がどう出てこようと、仮にこの身体に危害が加えられようと、自分には何の影響もないからだ。故にベルベットは、この男に凄まじく強気に出ている。首元を撫ぜられることなど、いつぞやに中でやられた時より、一万倍くらいマシな事象だった。

「そういうあなたこそ、あたしの前でそうやすやすと、その力を見せつけてくれていいのかしら。分析してニーユに横流しするわよ」
「隠しているわけでもない。この格好と一緒だよ。それに、情報の共有は優先順位に応じて逐次行われるべきだ。次からは断りなど入れてくれるな、君がニーユに対してそうすべきだと思うならば」

双方ともに顔に笑みは浮かんでいたものの、その種類はまるで違った。ちょうど対極に位置する笑みがこの場に向かい合って存在している。

「あらあら。随分自信がおありみたいね、よくってよ。そういうのは好きだわ」
「気が合うな。君の明快な裏のある態度も俺の好みだよ。まあ、承ったよ。少し時間をもらう」
「具体的には?」

聞くまでもない、と思った。
それでも聞いておくのが礼儀という奴だろう、とも思った。

「最長で一日。実装に手が必要ならそれも手伝う。問題は無いな?」
「ふふふ!そうね、問題はないわ。聞いてたとおりにクソ野郎で、そして面白いわ。あなたの大事なベティ・ヴィーナスのためにも頑張ってちょうだいな。期待してるわよ、インセイリー!」
「当然だ、反対給付は可能な限り最大になるように努める。その気概も無く誰かに手を貸すような真似などするものではない」

下世話な笑いに、リーはむしろ堂々と頷いた。誰に対しての、は口にしなかった。

「ただそうね、レディはもう少し丁重に扱いなさいよ。でなければあいつがあなたを捻り潰しそうだわ!」
「誠に申し訳ない。何分人体は性別問わず壊し方と直し方しか知らなくてね。ニーユが怒ったらお詫びしに行くよ」

まるで誠意の感じられない謝罪。AIより余程人間味を感じられない。もっともベルベット・リーンクラフトはそもそもが人間をベースにしているのだから、人間味に溢れていて必然なのだが。
――確かにまあ、こんな男があの少女の相手をしているというのなら、それは嫌だろう。そういうことか。

「あなたそれであのジル・スチュアートとかいう子とか、ベティ・ヴィーナスの相手をしているの?もうちょっと勉強したら?」
「全くだな。今度君がレクチャーしてくれ、率直な意見が期待できそうだ」

純粋な呆れ声だった。ひとと呼ぶにはベルベットよりもずっと、何か致命的なものが欠けているように思えた。――あるいは研究所にいたころのニーユに似ている。データ上では多くが一致を見せる。
 
「冗談のつもりは無いよ。君が真にレディの扱いのなんたるかを心得るなら、その極意を是非とも教わりたい。望みがあるなら個人的に協力したっていい。勿論時は改めるとしてだが」
「アハハ!面白いことを言うのね。それこそ他所を――ナマの人間を当たるべきじゃなくって?」
「俺はそうは思わない。君ほど率直に面罵してくれる人を俺は他に知らない。その点君は実に好ましい。素直に教えてくれるようになるまでは余程苦労が必要だろうけれど」

それはそれで、面白くはある。そう嘯く口元は挑むように歯を剥いていた。
真に人間であった頃どうだったかはともかく(――そんなものはこのベルベット・リーンクラフトの記録には残っていないのである)、今のベルベット・リーンクラフトにとっては、“狂ってこそいるがやり手の男である”と認識させるに足りていた。あまりにもニーユから聞いていた認識と乖離しているようで、表裏一体だ。見ている面が確実に違うことを、ベルベットは強く理解した。

「あなたのこと、ニーユがすっかり毛嫌いしてるから、一体どんなゴミクズクソ野郎が出てくるのかと思ったら、見た目だけだったみたいね。楽しみにしてるわ!」
「俺も君のような優秀なAIと言葉を交わせて全く喜ばしい。まあ、すぐに返事をするさ」

先週観測したのと同じように、男は一跳びでどこかへ消えていった。
いつの間にか、踏み潰された吸殻が消えていた。