39-2:刻まれた印の花束をきみに

それはある意味で一番適任の役を振られたのだとも思ったし、同時に自分で良いのかという気持ちもあった。それがあの人の決めたことであるのなら一向に構わないし、仮にそうなら、それはそれで誇らしい。
とはいえ頼まれたものに皆目検討がつかず、確かに料理はできるけど、――祝いの場に向けた料理なんて、作ったことがない。打ち上げと称してみんなでご飯を食べたことはあっても、それとは比較できないというか、格が違うように思えた。そう思うと余計に何故自分に、という気持ちが大きくなって、妙なプレッシャーばかりが大きくなるのだけれども。
調べ物の合間を縫って自分のやりたいことをやりながら、ニーユはぼんやりと考えている。きっととてもめでたいことで、きっととてもうれしいことだ。その場に関わらせてもらえるのであれば、自分ももっと喜んでいいはずだ。
それでも渋い顔しかできないのは、先の見えない世界の現況と、――もうひとつ。

「……何してんの?」
「――ッうわあぁああ!?バカ!!部屋入るならノックしろって言っただろ!!」

ノックどころではない。ドアの隙間から針穴に糸を通すように部屋に入り込んできたスライムが、いつの間にか背後で人の形を作って笑っていた。
とっさに机の上のものを隠しても、もうだいぶ遅い。

「ハーンなになに?見せられないようなことしてた?ふーん」
「ふーんじゃねえ!帰れ!バカ兄!!クソスライム!!水まんじゅう!!」
「お前まで水まんじゅう呼ばわりするようになったかよ!?クソ!!」

そもそもが部屋でやる作業ではないのだが、かと言って見られたくもない。
そうなれば睡眠時間を削る(――と、露骨に怒られるのだ)か、自室に篭って作業をするのがいい。

「……ふーん。やっぱさすが整備屋〜って感じがする」
「煽ってんのか」
「まさか。俺は弟の成長を喜びますとも!」
「ほんとかよ……」

机の上に転がっているのは、金属片だ。
何枚も何十枚も、同じような形のものが転がっている。床にも散らばっていた。

「片付けろよ」
「いや、間に合わなくなるからできたら……やる……」
「じゃあいい。俺がやってやる」

ぺたぺたと歩き回るだけでいい。足の裏に突き刺さったいくつもの薄い金属片が、中に取り込まれていく。青く透明に透き通った細い足の中に、いくつも、いくつも。

「捨てる?」
「……まあ、うん。もともと捨てるつもりだったものから剥いでるから。それだけ細かくしたやつ、新しく何かするのも面倒だろ」
「ま、そうだな」

邪魔そうなんでとっとと引っ込んであげますね、などとからかいながら、歩き回って集めた金属の欠片を、身体の中のひとところに集めていく。捨てるまでもなく溶かされて、何も残らない。

「――ま、頑張れー。せめてもうちょっと真っ当な形にしろよな」
「うっせえよ!」

机の上には、どこかの世界の花の図鑑が乗っていた。


  ◇  ◆  ◇


言い訳をすると、ニーユは“そういうとき”の礼儀には、何一つ詳しくない。
どうするのがいいのか、どうするのが正しいのか、調べたところで最適解にはたどり着かなかった。有象無象のどうしようもないコンテンツの中には、ニーユの求める答えはなかった。
――そんな簡単に見つかるようなものでもないと、思うけれども。これは自分で見つけ出さなければいけない課題だ。
そしてその正誤がどうあれ、自分はその解答に向き合わなければならない。
ハイドラのアセンブルも常に最適解など存在していないが、今からやろうとしていることだって――最適解なんて、人の数だけ、人の組み合わせの数だけ存在していることだ。

なら、俺は。

「チカ!」

いつもと何も変わらなければ、着飾るようなこともしなかった。いつものようにいるかどうかの連絡だけをただ入れて、そしてタカムラ整備工場に出向いた。
格好だっていつもと何も変わらない。変化らしい変化といえば、レーダーがなくても、工場の姿がよく見えるくらいだった。
つまりミリアピードで乗り付ける必要も何もないのだが、いつもそうしていたのだから、そうする以外の理由がない。

「今日は一段とよく見えますね……」
「そりゃあ、まあ……何もないし……」

ミリアピードは超大型の部類に入るウォーハイドラだ。霧に乗じて隠れることは得手だが、今の戦場では大変に目立つ。それでも伏せてしまえば下手なハイドラより高さを失うので、まだマシな方ではあるかもしれないが。

「それで、今日はリタさんと打ち合わせするんでしたか?」
「そう、それで――けど、その前に、話がある」

調べて回ったけれど、結局何も分からなかった。
分かったことと言えば、推定として最終的に自分のできることは、あの日の答えを彼女に返すことであり、それ以外のことをやろうとしてもきっとうまくいかないだろうということだった。
恋愛感情という知らないもの。誰も教えてくれなかったもの。自分に存在しうるのかを考え続けたもの。
その答えを。

「私に何か――」
「チカ」

ミリアピードが身じろぎした。
多脚の隙間から光が差す。

「俺の答えを聞いてほしいんだ」
「……答え?」
「そう、答え」

自分のために一歩踏み出してくれたこと。自分が一歩を踏み出したこと。思いつく限りの困難の過程で、おおよそ近くに存在してくれたこと。
実際どういうものなのか、何も分かっていやしないのだ。けれど分からないなら分からないなりで、言葉を返すことはできる。自分なりに考えた答えだ。
それは、確かに、胸を張って言える言葉だ。

「俺は」

わからないまま特別にしようとすることを許して欲しい。
わからないからこそ特別にしようとするのかもしれない。

「チカに、俺のことを見ていてほしいんだ。霧があってもなくても、木の芽が生えても生えなくても、俺がどんな人間であっても――いつだって、いつでも」

そうあることを確かに望んだ。そうなってほしいと思った。

「だから俺のそばに居て欲しい。俺のことを見ていてくれる人になって欲しい。君が生きている限り、ずっと」

言い方を極限なまでに悪くしてしまえば、とても自分勝手なことだと思う。
これからそうすることを強いていく。そうあることを望んでいく。
――それを求めることが、恋愛感情であるというのならば。

「……これが、俺の答え。……その、ケーキ、食べに行った時の……」

その答えを提出することに、何の迷いもない。
ミリアピードの機体で日陰ができているはずなのに、やたらと暑い気がした。
首にかけていたタオルに顔をうずめた。それでも、目を逸らすことだけはしなかった。
永遠につづくかとすら錯覚した長い長い沈黙の果てに、絞り出すようにチカが言葉を吐いた。

「……死ぬまで一緒だなんて、プロポーズじゃないですか」

互いの呼吸音の合間に、ミリアピードが細かに動く音がする。
深い呼吸を何度か繰り返して、ようやく、チカの声が聞こえた。小さな声だったと思う。けれども、嫌になるほど鮮明に。

「……あの言葉は言うべきではなかった。あのあと何度も感じた事です」
「……」
「私の言葉で縛るべきではないし、縛りきれるものではないと。けど、吐いた言葉は無かったことにはならず、どうせならそのまま忘れてほしかった。……それなのに、貴方は、よりにもよって、そんな答えを出してきた」

俯いている。俯いたままだった。
押し殺したような声が、いつかにも聞いた怒ったような声が。

「……チカ、俺、」
「――貴方の中で私が特別になれる事が嬉しくない筈ないじゃないですか!」

勢いよく上げられた顔は真っ赤で、嬉しいのか悲しいのかそれともなんなのか、よく分からない顔をしていた。
けど、嬉しくないはずがないと、確かに言った。聞こえた。

「チカ」
「どうして……どうしてそんな……ずるいです、貴方は、……」

自然と手が伸びた。びっくりするほど簡単に抱き寄せられたし、彼女は、こんなに小さな存在だっただろうか。温かかった。生きている人間の温かさだった。
小さな嗚咽の声が落ち着くまで、ずっとそうして待っていた。

「ニーユさん、……もういいです。大丈夫ですから」
「……ニヒト」
「……はい?」
「ニヒトって呼んで……ほしい。……それが俺の、ほんとの……ほんとの?違うな……俺が、親から貰った名前だから……」

何と呼ばれようとも、特に気にはならなかった。ニーユも、ニヒトも、自分の今までを肯定する。自分がされたことを、全くの無にしたくはなかったから、今までそう名乗ってきていた。
そう呼ばれることに抵抗があるわけではないが、――どうせなら、本当の名前で呼ばれたい。番号の意味しか成していなかったそれよりは、そのほうがずっといい。

「……ニヒト……さん」
「……さんも、できたら、いらないかなあ。それは慣れたらでいいや」
「……はい」

ふとチカが顔を上げて、思い出したように言う。
それはある意味で必然であり、その覚悟をしたのであれば、今後永遠についてくる。特別である限りで、ずっと。

「……貴方の言葉で私を縛るなら、貴方も私に縛られる覚悟をしてください。もちろん、一方的にはしませんが……特別だからこそ許されないことだって、あるんですからね」
「……うん。分かった……そのときは、俺に教えて。何が駄目なのか」

俺は本当に何も分かってないから、という言葉に、チカは静かに頷いた。
それから行きましょうか、と歩き出そうとしたのを、手を掴んで止められる。

「あ、ああ、待ってチカ、まだ終わってなくて……」

これ、と差し出されたのは、一輪の薔薇の花だった。――金属製の。
よくできている。さすがに茎の棘までは再現されていなかったが、加工の技術は確かに、ニーユが今まで積み上げてきたものそのものだ。

「……薔薇……ですか?」
「作った」

色も塗ろうと思ったんだけどうちに塗料がなかった、などと言いながら、頬を掻いている。
軽い素材で作られているのだろう、実物を持ったことはないが、重さはあまり感じない。そこにある意味はともかくとして。果たして何色で塗るつもりでいたのだろう。

「……この世界で通用するか知りませんが、父がいたところでは薔薇って、色だけじゃなくて数にも意味があるんです」
「へえ、そうなんだ……」

――そんなこと知っているわけもないだろう。“あなたしかいない”なんて意味があるなんて。

「……ちなみに何本送ってもほとんど愛の告白みたいな意味しかないので安心してください」
「へえー……バルトさんとか、山ほど送ったりしそうだな」
「……気持ちはわからなくはないです」

影が動いた。
見上げた先の百足の顔が、工場を指している。