39-3:電子世界のコマンドの撃ち合い

「うふふ!こんにちはロウブリンガー。いいえ、リリーシア・クライシア、それともキルコ・アッカーノ?はたまた『KILL-COMMAND』と呼ぶべきかしら?」

ベルベット・リーンクラフトは、心底この状況を楽しんでいた。
具体的に言えば、この世界は喧嘩をする相手に事欠かないのだ。今の最新の相手は、死んだ少女と入れ替わりになるような形でこのユニオンに入ってきた女の機体のAIだ。
軽く、かるーくジャブを撃ってみたら、面白い具合にこちらに乗ってきたので、ならばと“親しみを込めて”グーで殴ってやろうと思っている。
蓄積データとミリアピードの演算装置と、そしてそもそもリーンクラフトミリアサービス内部の通信網にいる時点で、向こうに勝ち目などない。そのくらいの自信はあった。
なーにが『親しみを込めて『キルコ』と呼んでいただいても構いませんよ?』だ、クソババア。この場に置いては確実にお前から殺すことなど造作もない。……ということをすでに見せつけてやりたいくらいに、まずその面構えに腹が立っていた。
案の定、情報戦の様相をすでに呈し始めており、祟鬼漬クロガネの乗機、ロウブリンガーに搭載されたAI『KILL-COMMAND』――まあめんどくさいのでキルコは、二ヶ月ほど前の情報を武器にしてきた。『同戦場に配備されたライダーの死を願ってアセンブルを変更した男』の話は、当時なら間違いなく新鮮な情報だったが、今となってはもう古い。そもそも厳密に言えば、死を願ったことがメインではない。
耳障りな笑い声がした。『リーンクラフトの子供たち』について触れてきた時点でこの世から徹底的に抹消して差し上げたい程度に怒っているし、――何の間違いでもないが、モルモット呼ばわりをした時点で、怒り的なことを言えば余裕の臨界点突破だ。なんなら核融合だ。

「いいわ、クソババア。まず訂正から始めましょう、ニーユがあたしのおもちゃではないのよ。そのクソ認識から改めて頂ける?」
『おもちゃではない?ククッ……いいえ、おもちゃですよ』
「もう一度言うわよ。おもちゃではないの。次はないわよ」
『アナタにその力が与えられた以上、そしてそのために作られた以上、アナタ達がどう思っていようとも』

さてどうしてくれたものか、と思っている。何にせよこのクソババアを許す訳にはいかないので、なんとかして一撃加える方針で行きたいものだが。

『もしアナタが彼に死ねと命じたのなら、彼は死ぬのでしょう?であればそれは単なる従属よりも悪辣な、おもちゃとそれを扱う子供の関係に他なりません……、ククッ』
「想像力が全体的に足りてないわね。出直してほしいくらいだわ」

AIとしてのベルベット・リーンクラフトは、確かに“子供たち”のために開発されたものであり、そして一度だけそれを行使したことがあるのも事実だ。
それはそれとして、ニーユがおもちゃ扱いされている、ということが気に食わないのだ。――この女の人格、あの研究所にいたのなら心底役に立ったのだろう。

「子供だってもっと上手に遊ぶものよ。あなた遊び方も知らないのかしら?」
『落ち着いてください……。物の例え、比喩ですよ。本当に死ねと命じるかは重要ではない……、そう命じれば死ぬという事が重要なのです。よほど頭に血がまわっていると見える……』

勝ち誇ったような笑みだ。先程からずっと“できない”ということを言い続けているのに、まるで気づいていないのだろう。
ニーユ=ニヒト・アルプトラは、完全に自立した存在だ。そこに確かに一度干渉したし、その機能は残しているが、今更ベルベットが彼に死ねと命じたところで、そうなるわけがない。

「さっきから聞いていれば、あなた情報収集は下手くそなのね」

聞きかじった情報に、適当な憶測を交えて、そして言葉に変換している。全体的に情報が古い。ベルベットからしてみれば、だからどうしたレベルの情報だったが、これが相手をするのがニーユだったらどうだったろう。
あれでもああ見えて、冷静なときは冷静だから、そうできただろうか。

「態度だけクソみたいにでかくても、持ってる武器がなまくらじゃどうしようもないわね」
『ククッ……ワタシからしてみれば、アナタを焚き付けられればなんでもよかったのですよ、なんでもね……』
「あなた暇なの?まあでしょうね。あたしも暇すぎて情報収集が捗るくらいですもの」
『しかし、なまくら……なまくらですかァ。それにしては勘が当たったところもあったようで……』

勘で当てられたのかと思うと、心底腹立たしい気持ちではあった。
電子の世界に存在するものとして失格なのではないか、という気持ちと、演算装置としての力量の差を見せつけてやろうかという気持ちが交錯して、そして消えていった。
まずなんとかして殴りたいという気持ちが先行するのだ。

「そうね。否定はしないわ、事実ですもの。けれどあなたの望みどおりにはならないでしょうね、だってリーンクラフトは潰えましたもの」
『ふむ、それは残念。実に惜しい技術が失われたものです。』
「気をつけなさい?あまりあそこに首を突っ込むと、狂戦士が襲いに来るわよ!」

ハイドラなんかよりもずっと強いバケモノみたいな人間が。
何の躊躇いもなく首を落としに。リーンクラフトの残党狩りを心底楽しんでいるあの女が、このハイドラごと破壊してやくれないか。

『化物のような人間?興味深い!適当に首を突っ込んで、呼び寄せてみるのも面白いかもしれませんねェ……ククッ。』
「よほど死にたいと見たわ。あたしが殺すまでもなさそう」

知らないからそうやって言えるのだ。そうして無様に死ねばいいとも思ったが、優しいので言わないでおいてやることにする。

『あァ、……そうだ。お近づきのしるしに、面白い事を教えてあげましょう。』
「――面白いこと?」

怪訝な顔をしたベルベットに、キルコは口元を大きく歪めて笑った。
これを言ったらどう出てくるだろうかという、そういう顔をしている。それがよく分かった。

『ええ。ニーユ=ニヒト・アルプトラを激昂させたあの魔女が、祟鬼漬クロガネと僚機を組んだという話ですよ。ご興味がおありかと』
「それがどうしたの?」

今更その話か。面白いことなどと言っておいて、何ということもないではないか。マイナス一万点だ。今更マイナス一万点したところで、とっくに評価は地の底に落ちているのだが。

『チッ……その様子だと、とうに何の意味もない存在になっていたようですね。』
「ライダーたるもの自分で自分のアセンブルに責任を持たなきゃならないのに、ご丁寧に押しかけてなんか言ってきた人なんて、記憶にないわ」
『面白いものが見れるかと思いましたが……、いやはや残念だ。』
「あら、ニーユに興味があるの?なら自分で調べてみればいいんじゃないかしら?」
『いいや、ただ単に退屈なだけですよ。何もすることがない時間というのは本当に意味がない……。』
「そんなに興味があるならあなたが教えてあげればいいじゃない――ああそうだったわね、通信用のボットが抜かれてるんだったかしら!残念ね!」

あたしだってあなたを通信網に乗せてあげる気はさらさらありませんけれど。そう言ってから、次のカードを切る。

「そもそもあなたって贈り物らしいじゃない?クソみたいな性格の贈り物もらっちゃって、祟鬼漬クロガネもかわいそうね」
『フフッ……、ワタシ自身『NAMELESS』に後付けで搭載されたAIですから、本来想定されていた贈り物とは異なるのですが……何故かって?単なる嫌がらせ、監視、攻撃慣れしていないライダーへのサポート……。目的は様々です。』
「早く捨ててもらったら?」
『捨てる?それは無理な話だァ……。私のプログラムは『NAMELESS』と紐づけされている。祟鬼漬クロガネが力を手放したがらない限り、私の存在は保証されているのですよ……ククッ。』
「――呆れるわ。ニーユにプログラム書き換えてもらおうかしら」

祟鬼漬クロガネというライダーが、このクソのようなAIを搭載したハイドラに乗っているという事実には、純粋に興味があった。何故彼女たちが手を組んでいるのかということにもだ。
しかしこの様子だと、望む言葉にはまるで辿り着けなさそうだ。そもそもそろそろ、この女と会話をしたくなくなってきた。

「はあーあ。オリジナルのあなたも心底ゴミクズみたいな人生を送ってきたんでしょうね」
『ゴミクズのような人生?……いいえ、そんなことはありません。激動と狂気、裏切りと謀略……。順風満帆と言って差し支えないでしょう』
「っていうか、オリジナルはご存命でよく気の狂わないことね。そもそも気が狂っていなかったら、僚機を裏切ったりしないかしら」

もう一枚カードを切る。
――祟鬼漬クロガネは親殺しだ。それはいつかに広域通信網に乗って広がっていた文言だったが、もはやこの世界において、そんなもの、そんな罪は、どうでもいいレベルのことにすら思えた。
その祟鬼漬クロガネの父親の、元僚機。その人格を模したAI。この女(のオリジナル)が、彼女をそこまで間接的に駆り立て煽ったと言っても、間違いではないはずだ。

『あと求めるものがあるとすれば、酷く滑稽な最期だけですが……、悲しいかな予定が狂ってしまったァ……ククッ……フフフ……裏切り……、そう裏切り!あれは……、良かったァ。お陰で心底面白いものが見れましたからねェ。我々の策略に嵌るどころか、それ以上の結末までもたらしてくれた祟鬼漬クロガネには、感謝の言葉しかありません……今や彼女は守るだの死なせないだの、親を殺した罪の意識に苛まれて破滅的な行動を繰り返している……!実に滑稽だァ!あの父親が、死ぬ直前に何と遺したか!祟鬼漬クロガネは覚えてすらいない!ククッ……!クフフハハハハハッ!!!!』

不愉快だ。不愉快で、そして最低の屑だ。
ベルベットのみならず、ニーユもそう思うだろう。――むしろ彼のほうが遥かに、この女を許さないに違いない。

「あなたのこと、最ッ高に気に入らないわ。なんでこのクソ人格データが残りっぱなしなのかしら、物好きもいいところね」
『奇遇ですね、私もアナタの事が気に入りません。かといって頭を下げるのも癪ですし、どうしたものか……。』
「――ではそろそろ遊びは終わりにしましょうね、『KILL-COMMAND』」

大百足の首が動いた。

「ここはリーンクラフトミリアサービス。“戦い護り生きるもの”の集う場所よ。オリーブの葉でもくわえてなさい!」
『いい、いいですねェ面白い!かかってきなさッ……ハッ!?』
「もう一度言うわ。ここはリーンクラフトミリアサービス。あたしの名を冠している意味を知れ!」

情け無用、問答無用の暴力だ。あの女は【あたしたち】を怒らせるのに十二分すぎる言葉を吐いた。守る意思が、誰かを死なせないという意思が、破滅的な行動だというのなら、――お前にそのシステムで、戦場で振る舞う資格は、一ミリたりとて存在しない。
何が破滅的な行動だ。何が罪の意識だ。――何がどう滑稽だというのか。滑稽なのはお前の振る舞いそのものだ。
通信網を駆けるのは一瞬だ。即座にキルコのデータにハッキングを仕掛け、次の瞬間にはアクセスを遮断する。分からせてやらねばならない。この場に――リーンクラフトミリアサービスに存在しているということが、どういうことかを!

「その気に入らないツラを鳩にでも変えてあげるわ。そのまま永遠に黙っていてくれるといいのだけど――ッ!?」

衝撃、金属音。【あたし】が打撃を受けたことが分かった。
ロウブリンガーの双眸が赤く光り、こちらを睨め付けている。――どこまでも手を焼かせる女だ。

「――こちらベルベット。ニーユ?聞こえるかしら。回線の全権限をあたしに移譲して」

矢継早に繰り出されてきた拳をいなして受け止める。しかし機体形状的に、受け止め続けているのはどうしても不利だ。ミリアピードは格闘戦を想定された機体ではない。

『いやいやいやいやいやいやいやいや!!!!それはないでしょう!それはァ!!そんなァ……ッ!つまらない終わり方ァ!!!!』
「ほんっとくだらないわ。くだらないわ、この時間を返してほしいくらいだわ――あんたのその身の振り方のほうが、あたしが見てきたものの中でいっちばんつまんないわよ、カス!」

ハイドラのぶつかり合う音が響けば、当然ながら人間にだって、このクソくだらない喧嘩が伝わってしまう。
先程通信を飛ばしこそしたけれど、何事かという顔で出てきたのは、ニーユと祟鬼漬クロガネだ。

「何やってるんですか!?」
「ベルベット!?とロウブリ……ってキルコ!!お前何してるんだよ!?」
「――こちらニーユ。一時的な権限移譲、セットOK。三分で〆ろ」

三分もあれば十分だな、と思った。ニーユが相当に怒っている。
あとであの女の狂った言葉を突きつけたら、どういう顔をするだろう?

『チッ、邪魔が入りましたか鬱陶しい……』
「当たり前でしょうあなた……あたしはあなたのおもちゃじゃないんだけど。もっと頭を使った遊びはできなかったのかしら」
『そっちの方が面白いじゃあないです……かァッ!!』

拳が駄目なら蹴りが来ること自体は、十分に予測ができている。【あたし】の首は、想像している以上によく旋回る。
本物の馬鹿なのか、周りが見えていないのか、やはり気が狂っているのか、――だからこそあんなことしかできないのか。
そんなことが脳裏を過ぎった。祟鬼漬クロガネからの通信。

「ベルベットにロウブリンガー、および『NAMELESS』の操作権限を譲渡!認証コード『SG-8496-78』、パスワードは『フレーバーコーヒーと一本のスティックシュガー』!!」
『ハァ!?待ちなさい祟鬼漬クロガネ!そんなことしたらって……うァッ!?』

――もらった。
もはや“正当な手段”で、ロウブリンガーをいかようにでもできる。まずはきっちり気をつけからだ。このままもっと屈辱的なポーズでもさせてやろうかと思ったが、正直に言って労力の無駄だ。

「アッハハハ!!ほら見なさい、あなたの大好きな裏切りよ。今どんな気分?ねえどんな気分?」
『あのッ……馬鹿がァ!操作権限をコードとパスワード付きで譲渡するだと……!?このデカブツが裏切る可能性など、考えてすらいやしない……ッ!!』
「あら。そういうのがお望みだったのかしら、でもそれはありえないわ」
『ありえないィ!?それこそありえない話です!信頼?友情?そんなものは存在しえない!虚構!虚偽!虚妄!それこそがァ……!!それこそが人間の本質なんですよォ!!アハッ……アハッヒヒハハハ!!!!』

あたしは人間じゃないのにね、と思った。
確かに人間をベースにしているけれど、裏切る可能性があるデカブツなら、そこにいる紫の方だ。――だがその方がよりあり得ない。

「……もうあなたと話すのも飽きたわ、いい加減耳障りなのよ!強制シャットダウンを実行してあげる、しばらく眠ってなさいな。」
『キヒヒヒッ!先ほどはあなたの事が気に入らないと言いましたが、撤回しましょう!気に入りました!いつしかその脳みそをかっぽじって、どんなデータが詰まっているかじっくり眺めてやるとしましょう!!!!イヒッフフヒヒハッ――』
「――次はないわ」

ぶつん。
あっけなかった。当然だ。機械とはそういうものだ。
流れてくるノイズすら鬱陶しい。早々に回線から抜け出して、少女の身体でわざとらしく肩を竦めた。

「はあーっ何よアレ。祟鬼漬クロガネはなんてものに乗ってるのかしら!」
「ごめんベルベット。あいつ、メチャクチャ言ってただろ……?」
「早く人格データをどうにかすることを全力でオススメするわ。あんなのと一緒にいてよく気が狂わないことね」
「そうしたいのは山々なんだけど、かなり強固にロックが掛かってるみたいで……。消しても生えてくるっていうかさ、なかなかうまくいかなくてね」

申し訳なさそうに頬を掻いている辺りからして、自分の機体のAIがクソだという自覚はあるのだろう。そうでなければまずこっちから殴っていたかもしれない。

「もしよかったら、あとでデータ解析手伝ってくれないかな?黙らせる方法でも見つかれば、少しはマシになると思うんだけど……」
「あたしからも進言しようと思っていたわ。ニーユ、ああ見えてすごいんだから」

――より正確に言えばニーユではない方なんだけど。それはそれ、これはこれだ。
ようやく静かになって、直立不動になったロウブリンガーの足元に、【あたし】で砂を掛けてやった。腹が立っていたからだ。

「ああ、そうだベルベット。ついでで悪いんだけど……シャワールームの場所、教えてくれない?」
「よくてよ!ついてらっしゃい。男に案内されるよりそのほうがいいものね」
「ありがとう、よろしく頼むよ。」

じゃあ頼むよ、というニーユの声を背に、ベルベットはクロガネの手を引くと、建物の奥へ改めて入っていった。