Day7:科学の世界のカメラ

(:Evans Day7と同時間軸)

曰く、カベル・テックスという世界は、とにかく科学に特化した世界だという。エリーはそう言っていた。
科学《Landed-Science / Humane-Science》といえば、アルカールカでは古い技術だ。人間が生み出した過去の技術。あるいは陸の技術。アルカールカの深海人たちがかつて苦しめられたものでもあり、それが故に迫害されたこともあり、あるいはそのために研究の対象となった、“海ではもはや通用しない”技術だ。
海の技術は、陸からしてみれば遅れている。それは逆もまた然りであり、それは互いに一歩も譲らないものであった。それが故に相容れないとも言う。
だからキノイに限らずほとんどの深海人は陸の技術についてはからっきしだし、海の技術は陸のそれらを全ては補わない。

つまりどういうことか、と言うとだ。

「へえ〜……すっごいっすねこの箱!!箱?いや箱っていうか……何すかこれ」
「カメラだよ」
「へえ〜」

真新しい(かどうかは知らない)陸の――いや、それよりおそらく遥かに先を行っているのだろう、カベル・テックスの技術を眼前にしたキノイは、ひどく興奮した様子で手のひらサイズの箱を撫で回していた。
双眼鏡やルーペよろしくつけられているレンズを通して見ているものが、箱の反対側に表示されるのだ。そしてボタンを押すとあら不思議、表示されている領域の記録が完了する。それも寸分の狂いなく、だ。絵とは明らかに違う。
似たようなものは見たことがある。陸の人間は全身をガッチガチに固めて、それから随分と重たそうな筒というか何かを背負って、わざわざ水中にやってくることがあるのだ。そのときに忘れて行かれたものの中に、もっとごつい形のものを見たことがある。それも割と最近のことだったので、恐らくこの『カメラ』とやらについては、カベル・テックスの圧倒的勝利だ。そうでなくとも、わざわざ科学の世界と名乗るくらいだし、もっといろいろとんでもない技術というか、何かそういうのがありそうな気はする。それこそ、カベル・テックスの人間は、こちらの人間のようにめちゃくちゃ着込んで重い筒っぽいものを担いでこなくても水中にやってこれるのかもしれないし、このテリメインもそうだが、水中にいる時間制限ももっと長いのかもしれない。全部想像なので実際のところどうなのかは、知らない。

「そう、それでね?これを、こうすると……」
「こうすると?どうなるんすか?」
「印刷できるんだ、写真を」
「シャシン……シャシンってあの、よく沈没船から出てくるあの」
「……そ、そうだね。きっと船に乗る人は持ち歩いていたのかな……」

何度でも言うが、キノイたちの陸の技術に関する知識はひどく偏っている。
たとえば船は、アルカールカにいても海上を通過していくし、沈没船は昔からあるものだし、海域内の海難事故の救助に向かうこともある。沈没船なんかはいい遊び場である。その中にあるもの――よく出てくるのは食器の類とかそのあたりなら、キノイたちはよく知っているし、陸の人間にはそういったものを集める蒐集家もいるくらいで、それらを集めて売りさばくことで生計を立てている者もいる。
逆に言えば、海に持ち込まれそうにないものについてはほとんど知らない。キノイは騎士団にいるから、まだ陸のものに触れる機会があるほうだが、それでも。

「なんかよく見つかるっすよ!似たような人が一緒になってるやつとか、あと男と女って組み合わせとか多いっすね」
「そ、そっか……」

なんか渋い顔をされている気がする。何でだろう。
深いことを考えるのはやめて、改めて手元の箱――もとい、カメラに目を落とした。
キノイの手には少々小さい。きっとエリーが持つとちょうどいいサイズなのだろう、ヒトのメスは全体的にオスより小さいと聞くから。

「いやーでもすごいっすねホント。転記術はあるっすけどボタンひとつかあ〜」
「キノイたちの世界はないの?カメラ」
「あるっすよ。アルカールカにはないっていうか、なんて言ったらいいんスかね〜……」

もっとごついやつ見たことありますよ、と続けてから、細く息を吐いた。
むずかしい。地味に、アルカールカ(とその他)についてを説明することが、難しい。それに気づいてしまった。当たり前のように海の中の国として、人間の手中から逃げ出してきた人魚が築いたまだ年若い国として、理解し、過ごしてきたけれども。

「エリーのところのいろいろ、それこそ紙っつーか付箋とかもそうっすけど、俺たちのところの陸の技術によく似てるっす。科学の世界にゃもちろん勝てそうにはないですけどね。なんつかその、俺たちの世界――は、まあほぼほぼ海の中ッスけど、海の外にだって世界はあるんスよ。当たり前ッスね。全部海の中ってところじゃないっすもん。そこの技術は、俺たちの国だと、遅れているもの、アルカールカのもののほうが便利なもの……っていう括りになってて……なんだろう。ロストテクノロジー?いやまだロストされてねえっすけど。なんかそんな感じの……そんなんなんすよ」

頭と口が直結しているのではないかという勢いで吐き出される言葉の奔流を、エリーは遮ることもなくその身に受けている。あるいは勢いに完全に負けているのかもしれない。よく幼馴染や部隊長からは悪癖だと言われてきたが、あんまり治す気はない。めんどくさいからだ。

「う、うん。とりあえず、あるんだってことは分かった。キノイたちの世界、案外カベルに近いのかな。もっとずっと、魔法〜って感じのところだと思ってたから」
「そうっす〜もうその理解でいいっすよ!なんか魔法〜って感じになったのも割と最近なんで。割と最近っても歴史的な意味でっすよ」

数百年単位は、国としては十分年若い方に入るはずだ。少なくともこちらの世界ではそうである。人魚がヒトに反旗を翻し、海をその手に取り戻したのは、世界全体の歴史からしてみれば、ごくごく最近のことだ。それに加えてキノイたちの一族は総じて長命で、キノイもこれでも下手な人間の老人よりは長生きだ、明確に意思を持ち、深海人として泳ぎ始めたときから歳を重ね始めたことにしたって、いい勝負ができる。

「いやーでも、カベル・テックス、面白いっすね!機会があったら行ってみたいっすもん。あーでもあれっす?カベル・テックスって海あるんすか?」
「うーん、……あるといえばあるし、ないといえばない、かな。私はずっと、海から離れた街に暮らしてたから、カベルにいた頃は、海、って一回も見たことなくて。だから、映像や、それこそ写真で見ただけなんだけど……」

エリーはなんだか難しそうな顔をしている。難しいのかもしれない。自分の住んでいる場所を説明する難しさは、さっきキノイも通った。

「大規模な海洋プラント、ええっと、研究とか開発を行う施設のことね。それが、世界各地の海上に点在してる。あと、海を区切って、強制的に干上がらせて、工場だったり人が住む為の住宅地を作ってたりしてて。……だから、ここみたいな、自然のままの海っていうのは、自然保護区域、って、人が決めて区切った場所にしかないんだ、って。……キノイが来たら、保護区域以外だと陸酔いで大変なことになっちゃうよ、きっと」
「うわッ……あ、いや、あれッスよ、俺が海に住む生きものだからなんかもう生理的にウワッ……てなっただけで……でもそれはそれで面白そうッスね。アルカールカとはまるで別モンの感じがして……」

よく言われていたことがある。キノイは変わり者だ、と。幼馴染、きょうだいたち、部隊長、いろいろなところから言われた。
外の世界によく興味を示していたのもそのひとつで、だからこそ騎士団に入りたいと思って、かと言って出世を望むわけでもなく末端に収まろうとしたのは、自分の自由を失いたくなかったからだ。そんな勝手なイメージを、自らの思想を、誰かに告げたことがあるわけでもなく、へらへら泳ぎ暮らして適当に仕事をし(スタイリッシュサボりはキノイの十八番である)、やりたいようにやっているキノイを、皆が指差して言うのだ。
――あいつは変わっている。
それは嘲笑だったかもしれない。しかし、自分より短命の深海人に言われたところで、別に痛くも痒くもなかった。自分より先に死ぬ癖して、他人に口出ししてる暇がもったいなくはないのか、と。言ったことはない。そっすね、の一言で流れていくからだ。
だから、カベル・テックスの現状を言葉で聞いたって、生理的な嫌悪感が湧き上がってきたって、それよりも興味が先行する。一度この目で見てみたい。嫌悪する原因を。

「アルカールカも、気になるな。海の中の国って、全然想像がつかないし……人魚も見たことないから」
「いいとこっすよアルカールカ!!俺は好きです。生憎人魚は見たくて見れるようなもんじゃねっすけど、……そっすね、ここが好きならきっと気に入ってくれると思うンすよ俺は〜……あっそうだ」
「ん?」

海の中の国。それだけで陸の人間を引きつけるパワーがあるのは、アルカールカの住人たちがよく知っている。当然ツアー需要はあるし、ツアーじゃなくてもわざわざ重装備でやってくる人間はいるし、キノイたちの仕事にだってなる。
だからこそ好きだと言うし、肯定的な意見を出しておく。今できることと言ったら、まだ掴みきれていない彼女の内面を探ることと、出来る限りでお近づきになっていくことくらいだ。いつかこのテリメインで来るかもしれない内部分裂に備えて。

「全ッ然関係ないっすけど、これ借りてっていいっすか?」
「うん、いいよ。大丈夫」
「せっかくだしいろんなもん撮ってみたいんスよね〜、ほらホテルとか。アルカールカに帰ってからも役に立ちそうっすし……あっエリーさんもなんかあれっすよ、もしこういうの撮ってきてくださいとかあったらやるっすよ俺。水中だったらもうバリバリ……って思ったけどクソネーレーイスいるんだったクソ……なんか……そんな感じで!」

エリーは快く、カメラを貸してくれた。
壊したり無くしたりしたら大変だ。そういうことの無いように“振る舞わなければ”ならない。

「遺跡の写真とか、撮ってもいいかもしれないね。あとで、いろいろ調べられそうだし、思い出にもなるし」
「あーっそれはナイスアイディアっすね!いいと思うッス!!」

確かにエリーの方を向いていた。向いていたけれど、それを通してみているひとは、違うひとだった。
そんなことは関係なしに、持ち上げてシャッターを切ったカメラは、目の前の人間だけを捉えている。