Day7:科学の世界のカメラ

(:Regalis Day7と同時間軸)

「へえ〜……すっごいっすねこの箱!!箱?いや箱っていうか……何すかこれ」
「カメラだよ」
「へえ〜」

黄色の瞳をキラキラと輝かせて、キノイは手渡したカメラを見ていた。
私が元の世界――カベル・テックスから持ってきたものの一つ。世界を渡っても機能を失わなかった、数少ない適合品であるそれは、ずいぶんと彼の興味を惹いたみたいだった。

カメラ。写真を撮るための機械。私が持ってきたこれは、撮った写真をすぐに印刷できるインスタント・カメラだ。
細かい技術については、私もよくは知らない。一般的に普及している工業製品の、使われている技術のすべてを知っている消費者なんてそうそういないだろうし、気にしなくても使えるからこそ、世の中に出回って普及しているのだと思う。
アウトドア用と銘打って売られているだけあって、手のひらに収まるほどのサイズでありながらとても頑丈だし、水に濡れても平気だ。加えて、極薄の防水カバーをつけてあるから、海の中へだって躊躇いなく持っていける。そういうものじゃなきゃ、持ってこなかったのだけれど。持ってきててよかった、と心から思った。
キノイがいた世界には、こういうカメラはなかったのかもしれない。私にとってはごく当たり前なものでも、彼にとっては未知のもの、という経験はもう何度もしたけれど、ここまで楽しそうな彼を見たのは初めてだった。
なんだか私まで楽しくなってきて、秘密を打ち明ける子どものように、もったいぶった言い方をしながら、そっとカメラのボタンに触れる。

「そう、それでね?これを、こうすると……」
「こうすると?どうなるんすか?」
「印刷できるんだ、写真を」
「シャシン……シャシンってあの、よく沈没船から出てくるあの」
「……そ、そうだね。きっと船に乗る人は持ち歩いていたのかな……」

予想もしていなかった言葉に、思わず言葉が詰まる。写真を印刷して持ち歩いたり飾ったりすることはあっても、「沈没船」から「よく」「出てくる」ものではない。キノイたちにとっては、沈没船も日常の中にあるもので。でも私にとっては、沈没船はおろか、船すらも、ここに来る前は映像でしか見たことのなかった、話の中のものだ。この辺りは海と陸の違いだろうか。

「なんかよく見つかるっすよ!似たような人が一緒になってるやつとか、あと男と女って組み合わせとか多いっすね」
「そ、そっか……」

家族写真や恋人同士の写真が見つかるということは、それに映っている人間、もしくは映した人間が沈没船に乗っていたということになり、おそらくは亡くなっているのだろう。
人は、特別な装備や設備なしで、海の中で生きられない。キノイたちにとっては生活の場であるけれど、普通の人にとっては、非日常で墓場となり得る場所だから。どうしても、死のイメージが付きまとってしまう。思わず渋い顔になった。キノイが悪いわけでは、決してないけれど。

「いやーでもすごいっすねホント。転記術はあるっすけどボタンひとつかあ〜」
「キノイたちの世界はないの?カメラ」
「あるっすよ。アルカールカにはないっていうか、なんて言ったらいいんスかね〜……」

もっとごついやつ見たことありますよ、と言葉を継いでから、細く息を吐いて、キノイの口が言葉を紡ぐ。

「エリーのところのいろいろ、それこそ紙っつーか付箋とかもそうっすけど、俺たちのところの陸の技術によく似てるっす。科学の世界にゃもちろん勝てそうにはないですけどね。なんつかその、俺たちの世界――は、まあほぼほぼ海の中ッスけど、海の外にだって世界はあるんスよ。当たり前ッスね。全部海の中ってところじゃないっすもん。そこの技術は、俺たちの国だと、遅れているもの、アルカールカのもののほうが便利なもの……っていう括りになってて……なんだろう。ロストテクノロジー?いやまだロストされてねえっすけど。なんかそんな感じの……そんなんなんすよ」

世界を説明することは、とても難しいことだと思う。私だって、生まれてずっと育ってきたとはいっても、カベルのすべてを知っているわけではないし、それを全く違う世界で生きてきた人に、一から分かるように上手に話すなんてことは、きっとできない。
だから、キノイが語ってくれたのは、キノイなりにかみ砕いてくれた、アルカールカという世界の一片なのだ、と、思うことにした。とりあえず。きちんと理解するには、あとで手帳に、覚えている限りを書き出してみたり、情報を整理した上で、彼にまた聞く必要はある、かも。

「う、うん。とりあえず、あるんだってことは分かった。キノイたちの世界、案外カベルに近いのかな。もっとずっと、魔法〜って感じのところだと思ってたから」
「そうっす〜もうその理解でいいっすよ!なんか魔法〜って感じになったのも割と最近なんで。割と最近っても歴史的な意味でっすよ」

歴史的にというくらいだから、多分数百年単位の話だ。ということは、カベルほど技術力は高くないにしても(カベルの科学技術が他世と比べ、飛び抜けて進んでいるのはよく分かるから)、ある程度は科学技術が普及しているような文化レベルなんだろう。

「いやーでも、カベル・テックス、面白いっすね!機会があったら行ってみたいっすもん。あーでもあれっす?カベル・テックスって海あるんすか?」
「うーん、……あるといえばあるし、ないといえばない、かな。私はずっと、海から離れた街に暮らしてたから、カベルにいた頃は、海、って一回も見たことなくて。だから、映像や、それこそ写真で見ただけなんだけど……」

言いながら、カベルの、見慣れた故郷の風景を思い出す。
立ち並ぶ超高層ビルと、煌々と闇を照らして輝く電気の明かり。地面は舗装され、いくつもの道路が重なるように作られていて。郊外には敷き詰められた太陽光発電システム用のパネル群と発電施設。思い浮かぶのは、緑のない、文字通り、機械仕掛けの街並みで。
そんな記憶の中から、いつか見た、何度も目にした映像を引っ張り出す。ああ、カメラのデータカードに映像のデータを入れておけばよかった。そうしたら、見せながら、もう少し分かりやすく話せたのに。

「大規模な海洋プラント、ええっと、研究とか開発を行う施設のことね。それが、世界各地の海上に点在してる。あと、海を区切って、強制的に干上がらせて、工場だったり人が住む為の住宅地を作ってたりしてて。……だから、ここみたいな、自然のままの海っていうのは、自然保護区域、って、人が決めて区切った場所にしかないんだ、って。……キノイが来たら、保護区域以外だと陸酔いで大変なことになっちゃうよ、きっと」

言いながら、ふと、ひどく後ろめたい気持ちになった。
キノイのような、人と一見して違うとわかるひとが、カベルに来てしまったらどうなるかなんて、分かり切っている。彼も、カベルにとっては、異形の一種でしかない。追い立てられ、迫害され、わずかな闇に潜むばかりの、そんな存在。こんな風に、陽の下で言葉を交わすことすらできない。それが、カベルの「普通」だから。暗い部分を積極的に話す必要はないだろうけれど、言わなくてもいいものでもないはずで。
でも、言う気にはなれなくて。

「うわッ……あ、いや、あれッスよ、俺が海に住む生きものだからなんかもう生理的にウワッ……てなっただけで……でもそれはそれで面白そうッスね。アルカールカとはまるで別モンの感じがして……」

私の気持ちとは裏腹に、彼は興味を示してくれて。本当に、異世界のひとなんだな、と何度も繰り返しさらった思いを、もう一度さらい直す。深さを増す後ろめたさを見ないふりして、その代わりに、アルカールカ、彼の世界を思った。
海の中にある、キノイやドリスのようなひとが住まう国。おとぎ話に出てくるようなイメージしか湧かなくて、どんなに想像を広げたくても、私にはそのための知識も、情報もない。
最近やっと見慣れてきた、絵画のように青くて綺麗な、テリメインの海。似たような海だとして、どんな風に、そこに、アルカールカは在るのだろう。

「アルカールカも、気になるな。海の中の国って、全然想像がつかないし……人魚も見たことないから」
「いいとこっすよアルカールカ!!俺は好きです。生憎人魚は見たくて見れるようなもんじゃねっすけど、……そっすね、ここが好きならきっと気に入ってくれると思うンすよ俺は〜……あっそうだ」
「ん?」
「全ッ然関係ないっすけど、これ借りてっていいっすか?」

手にしたカメラを向けて、キノイが聞く。使ってみたい、って、ちょっと顔に出てる気がする。何となくだけど。
彼なら、無茶な使い方をしたり、壊したりはしないだろうから。

「うん、いいよ。大丈夫」
「せっかくだしいろんなもん撮ってみたいんスよね〜、ほらホテルとか。アルカールカに帰ってからも役に立ちそうっすし……あっエリーさんもなんかあれっすよ、もしこういうの撮ってきてくださいとかあったらやるっすよ俺。水中だったらもうバリバリ……って思ったけどクソネーレーイスいるんだったクソ……なんか……そんな感じで!」

いつものようにまくし立てる彼が微笑ましく思えるのは、カメラのせいだろうか。新しいおもちゃを手に入れた子どもみたい。きっと、キノイはいろんなものを撮るだろうし、私が見られないものを撮ってきてくれたら、それはそれで楽しい。

「遺跡の写真とか、撮ってもいいかもしれないね。あとで、いろいろ調べられそうだし、思い出にもなるし」
「あーっそれはナイスアイディアっすね!いいと思うッス!!」

ふと、ドリスのことを考えた。彼女とも、こういう風に話が出来たらいいのに。何か、きっかけがあれば。魔術とかじゃなく、彼女が好きなもの、興味のあること。なんだろう、まだひとつだって思いつかない。
彼が、カメラを私へ向けた。あ。止める暇もなく、シャッターを切られる。パシャ、と軽い音が耳を打った。
笑えていたかな。変な顔してなかっただろうか。それだけは、気がかりだったけれど。