Day4:無様に陸を駆けずり回る

(:Evans Day4と同時間軸)

海底探索協会とやらの実力試験は、あんまりにもお粗末なものだとしかキノイには思えなかった。アルカールカ海底騎士団のそれを想像していたキノイにはあまりにもあっけなく、そして探索者の数を思えば、一匹の人魚が対応するにはまあ……そうするしかなかったのかもしれない。哀れな教官のことを思いつつ、海中での息切れとは全く無縁の魚は、今全力で数少ない陸地を駆けずり回っている。魚なのに。魚なのに!

「クッソがぁあああああ!!」

今日何度目か分からない呪詛は、自身を背面から引っ張る力によって吐かれる。あのクソネーレーイス、私は面倒なこと嫌いなの、ではない。おおよそ調べ物をこちらに丸投げしてきたことから察せこそしたが、まさか本当に仮宿に帰りやがるとは!いつまで経っても二人をつなぐ魔術的リンクは解けそうになく、キノイの行動範囲はひとまず今日を凌ぐために押さえた仮宿を中心として、半径にして大体…――と言いたいところだが、安定していないのか、正確な効果距離……もとい、自由に動ける範囲を割り出すことができずにいた。おかげでいい宿がないかの聞き込みの真っ最中に後ろに引っ張られて吹っ飛んでいったり、いけると思って後回しにした宿にギリギリ届かなかったりで、もう散々だ。あのクソネーレーイスいつか殺す、そう確固たる強い意思を持って、それでも職業柄かそれとも性格上か、もう目星はある程度つけ終わっている。あとは空きがあれば万々歳、このまま戻るのもなんか癪なので店もできる範囲で押さえておこうと思って歩を進めながら、キノイは真剣に考え込んでいた。
海底探索協会には、いくつかの掲示板がある。多目的のそれ(覗いたけどクソしょうもなかったので見るのをやめた)、取引用のそれ(当たり前だがまだ誰も何も貼っていなかった)、共に探索する仲間を募集するためのそれ。
クソネーレーイスを待つ間に眺めていたが、確実にキノイとドリスの二人には、――三人目が必要だ。それを今、嫌というほど実感している。

「……ハアー……」

しかしどういう文面にすればいいのやら、だ。まさかクソネーレーイスのことを正直に罪人です!なんて書くわけにもいかず、キノイ自身も不慮の事故とはいえ、遺跡に出向く理由は失くし物探しなのである。なんというか、掲示板に出向くにはあまりにも恥ずかしかった。共に一攫千金の夢を見てくれる人募集!とか、一緒にバカンスしませんか?とか、そういう類のものとはあまりにもベクトルが違っていた。つらい。俺だってバカンスしたい。でも海は飽き飽きしてるから陸でバカンスしたい!そう思ったところで自分の身体は海に完全対応だし、ちょいちょい水着で海底探索協会を歩いている者を見かけた。あれは間違いなくバカンスって顔だった。悔しい。女と二人ではあるが完全に望まぬ状態だし、死ねばいいのにと思っている相手とバカンスなど死んでもしたくない。これだけは向こうに聞いても同意が得られると思った。間違いなく馬鹿にしながら同意してくるぞ。死ね。
思考が逸れまくっているが、それでもやらなければならないのが今なのである。意思疎通ができて、まともな人(いやこの際話が通じれば人じゃなくても良い)で、……陸で苦もなく動けて、いろいろなことを面倒くさがらない人。そんな都合のいい相手はいるのかよ、と思いながら、立ち止まったキノイは肩で息をしていた。妙に身体が重い。身体が重いことについてはどうやらドリスも同じようで、曰くこの世界に満ちている魔力が自分たちには合わないのだろう、と言う話だった。そうじゃなくても深海人……ヒトとは名乗るが実態は魚のほうがずっと近いキノイは、元の世界でも陸を歩くだけで恐ろしく疲弊する。当たり前だが陸程度で泣き言を言っているようでは騎士団員は務まらないので、一般的な深海人よりはずっと陸で歩けるし、騎士団の正装はその辺も考慮されているので、ごくごくまれに海より快適なこともあるらしい。
つまり、何が言いたいのかというと、だ。

「……オエッ……」

今、すごく、気持ち悪い。

「(やべえ)」

きっとすごく青い顔をしている。いや皮膚はそれとなく青っぽいので、言うまでもなく顔は常に青いのだが。そういう次元ではない。へろへろとその場にしゃがみ込んだ。道行く人がちらちらと視線を向けてきつつも、そのまま通り過ぎていく。
思い返せばテリメインに来てからほぼノンストップで動き回り、戦闘(これはぬるかったけど)をこなし、あげく陸をせっせと動き回ったらこうもなる。

「(陸酔いだこれェエー!!)」

ドリスがいなくてよかったと思うべきか、それとも一人なのを後悔すべきか、何かもうよく分からない。陸を走り回る道中で適当に買って食べた、そう美味しくなかったサンドイッチ……だったものが、喉を逆流してくる気配を察知した。
だめだこれ。

「ウッェ……」

あとはもう何とでもなあれ。逆流してきた消化されかけのなにがしかを無理に押し留めることはせず、流れに任せて吐き出した。探索協会のメインの建物のすぐ脇、とはいえもう夕暮れ時で、朝からぶっ続けで行われていた実力試験は、もうやっているような気配はない。実はあの教官複数人いるんじゃないだろうか。
陸酔い経験則として、戻すとひとまず多少は楽になる。ただとにかく歩きたくないので、それが落ち着くまでは自分のゲロったものと顔を突き合わせている羽目になりそうだ。ていうかこの吐いたやつどうすりゃいいんだろう。誰か片付けてくれないかな、――

「あの」

不意の声。
しばらく現実に帰ってこなさそうだった思考がぐいと引き戻され、声の方に視線が行く。
鮮やかな橙の髪の、たぶんウェットスーツの女が立っていた。

「ねえ、大丈夫?」
「おっあ、ンン?俺ッスか?」
「そう、きみ」

自分以外に心配されそうな人が近くにいないだろ、ということすら、簡単に頭から吹っ飛んでいった。
なんというか、とにかく綺麗な人だったのだ。つくりものみたいな綺麗さというのがしっくり来る。キノイのきょうだいたちも、生き残った者はみな総じて容姿端麗眉目秀麗だと言われていたし、キノイとてその言葉を受けたことがないわけではない。だから言ってしまえば目が肥えているはずではあったが、それでもなお。

「あーっまあ……えーと……大丈夫じゃあないっすね!!ちょっと激しい陸酔いが」
「え、……陸酔い、って?」
「あっヒトで言うところの船酔いみたいな奴ッスよ!俺見てわかるとおり人間じゃあないですからね、海のいきものなんで、陸ダメなんすよ。いやなんで歩いてんのとかはちょっと……ノーサンキューで……オエッ……」
「あ、これ、良かったら使って」

で、その綺麗な人間の前で豪快に粗相を晒しているという現実からは、めちゃくちゃ目を背けた。知らない。知らない通り越して悲しい。よかった今のところ人間性愛じゃなくて!
優しいことに入れ物に入った水を手渡してくれた人間は、やはりつくりもののような綺麗な目をしていた。空の色でも海の色でもないブルーが、純然たる心配をこちらに向けていた。

「まああれッス、おおよそ大丈夫ッスよ、一過性だし慣れてますからね、なんかすいませんッス」
「ならよかった。きみ、この辺りかなり走り回ってたの見掛けたけど、顔色悪そうだったから大丈夫かなって」
「アーッ見られてたんすか!?悲しいっすねでもあれッスよ、皮膚が青いからそう見えてるだけかも……しれないっすからね!!素ですよ素。最初からなんかこうほんのりブルー……いや俺だってこんな、走り回る予定じゃなかったんすよ、ほんとあの、探索するっていうのにこう……これから困らないようにしようと思ってッスね……」

しんどかろうが何だろうが、よく口は回った。うるさくなくなったらそれは死んだときでは?とも揶揄された口は、おおよそいつもの調子を取り戻しつつあった。特に考えもなしに吐き出された言葉の一つを、女の耳が拾ったらしく、勢いのままに喋るキノイが少し置いた隙間に、そっと差し込んでくる。

「きみも、探索者なの?」
「ア?」
「あ、ほら。さっき探索するっていうのに、とか、言ってたから。もしかしたら、その、きみも、実力試験を受けたのかな、なんて、そう思って」

まずいことを聞いたかな、と揺れた目に、いつものノリで返事をしたのを少しだけ後悔する。でも反省して直そうとは思わない。直る気がしないからだ。

「あっああーそういう!そういうことっすね受けましたよまーもう実力試験っていうならもうちょっとこうアレしてくれたほうが嬉しかったんスけどね俺は!なんかあっという間で拍子抜けしたっス」
「あ、そうなんだ……私もそう。負けたら、どうしようかと思ってたから」
「そうなんスか〜!!いやーなんか全然気づかなかったッスね、同伴がいたから900番代まで待ってたんスけど〜、ヒトがいすぎてさっぱりわかったもんじゃ……」

――探索者。
――今のところ見る限りで人間っぽい。
――あとキノイよりずっと陸に強そう。

「つかぬことをお伺いしてもいいッスか」
「? うん、かまわない、けど、どうしたの?」
「お姉さんって人間ッスか?」

さすがに面食らった顔をしているのが見えた。
でも背に腹は代えられないというか。まさかマグロが陸の醤油担いで泳いでくる(――陸だとこの慣用句は鴨が葱を背負ってくると言うらしい)ようなことがあるとは思っても見なかったのだ。

「……えっ、ええと……うん、人間、だけど」
「人間ッスか?ほんとッス?いやもうこの際人間かどうかってもうどうでもいいんスよ、あのですね、この機会っていうか、スゲー真剣なお願いしてもイイっすか」
「は、はい、どうぞ」

逃した魚は大きいとか、そんなことにしたくはなかった。
でもこれが仮にプロポーズとかだったら、確実にドン引きされる。ほんとよかった人間性愛じゃなくて。

「俺たちと一緒に来てもらえないッスか!この広いテリメインを……俺たちと一緒に探索してもらえないッスか!遺跡とか遺跡とか遺跡を!!」

自然と身が起こされて、膝立ちで、それこそ本当に一種の職業病というか、流れるように女の方に右手を差し出してから、キノイはふっと我に返った。
なんだこいつ。会って数分くらいの女にキメッキメの言葉を吐いてポーズもばっちりだ。ついでにいうとゲロったのを恐らく見られていた。死にたい。

「……なんていうか、きみって、騎士みたいだね。物語に出てくるみたいな」
「実際ほんとに騎士ッスよ、末端オブ末端ですけどね!」

もう開き直るしか無かった。つらい。

「私でよければ、構わないよ。けど、力になれるかはわからないし……きみの仲間が、どういうかは分からないから……」

さあ断られるかそれとも、と多少の覚悟を決めていたキノイに、女は困惑の色を隠しきれないまま肯定の返事を返した。それだけでも十分である。クソネーレーイスに拒否権などないのだ。与えてたまるか。丸投げしたのはそっちだ。

「アーッ大丈夫っすよ!ワタシメンドクサイコトシタクナイノーとか言って俺に全部ぶん投げてますからね!あっ女ッス!いけ好かないやつですけど!じゃああのついてきてもらっていいすかね!」
「ついていくのはいいけど、大丈夫?歩ける?肩なら貸せるけど……」
「あっ肩より尻尾のほうが助かるッス〜」

部屋に置いてくる暇すら与えられなかった杖を支えにして、キノイは立ち上がった。地面に投げ出されている尻尾は、陸を駆けずり回ったせいで、あちこちに細かな傷がついている。

「えーと、……お姉さん」
「エレノア。エリーでいいよ」

女――エレノアの手が、キノイの尾にかかった。

「あっ重ッ……」
「さーせん」

(→:Reis Day4へ続く)