Day4

(:Regalis Day4→)
(:Evans Day4→)

実力テストを終えたドリスは、仮宿に居た。小さなテーブルの上に、雑に積まれている数冊の本はすでに読み終えたものらしく、そこそこ長い時間ここにいることが窺える。
探索者の資格を得たからにはさっさと遺跡探索に行きたいのが本音だった。しかしそうもいかない事情があって、彼女は暇を持て余していた。

ドリスとキノイは海に棲む生き物だ。ゆえに陸上での行動は苦手としている。ドリスの方はまだマシであったが、キノイ(というか彼ら深海人)が陸に出ると、基本的に悲惨なことになる。
そして、このテリメインは海だけの世界ではない。遺跡やら何やらは海にあるが、海底探索協会も陸にあるし、その他便利な施設のいくつかも陸にあるし、情報だって陸に集まることもあるだろう。
つまるところ自分たちには、陸を自由に動ける仲間が必要なのだ。二人はそう認識していた。

そして今、ドリスは仮宿に居て、キノイはここに居ない。
原因となった二人のやり取りは、数刻前に遡る。

「やっぱりどう考えても陸を自由に動ける仲間が必要だと思うんスけど」
「じゃあ探してきなさいな」
「ハアァ〜!? また丸投げするつもりっすかこのクソざい……クソネーレーイス! ほんっとクソオブクソだわいっそ死ね!!」

そう、彼女はまたもや面倒事を丸投げしたのだ。それはもう丸っと見事に投げて、颯爽と仮宿へ戻り、彼の帰りをあまり期待せずに待っている。ちなみにこの宿も、テストの待ち時間にキノイが見繕っていたものだ。

とはいえただ待つのも暇だから、ドリスはその時間で調べもの――キノイとの魔術的リンクを解く方法探し――をしていた。これは完全に自分のためである。ドリスにとってはキノイとの魔術的リンクさえ解いてしまえば、晴れて自由の身となる。状況としては勝ったようなものだ。
この世界の魔術の情報を集めるため、協会からの帰り道に見つけた図書館で借りてきたのが、テーブルの上にある本だった。ドリスは本を読むことが嫌いではない。元の世界で、沈めた船に積まれていた本だってよく読んでいた。

しかしこの読書タイムも、決して安穏としたものではなかった。不定期的に、あらぬ方向へと身体が引っ張られるのである。
これは当然、キノイの行動に起因するもので、鬱陶しいことこの上なかった。さっきなんて椅子ごと引っ繰り返りそうになったくらいだ。どこまで探しに行ってるんだか効率の悪い、やはり騎士という人種はみなポンコツなのでは? あの深海人いつか殺す、そう確固たる強い意思を持ったのは向こうも同じなのだが、それはそれさておき。

気付けば窓から夕陽が射してきて、ドリスは赤い目を細めた。
キノイと別れてから、もう結構な時間が経つ。あの魚、どこかでくたばっているのでは? そんなことを思いつつ、欠伸を噛み殺した。
本ももう読んだし、新しい本でも借りてこようか。そう思い立って、椅子から腰を上げた時だった。

「オラッ戻ったっスよクソネーレーイス!」

ばたんと騒々しくドアが開く。
そうして、宿に戻ってきたキノイは――知らない人間を連れていた。



 ***



本当にキノイが仲間候補を連れてくるとは、驚きだった。どうせ慣れない陸で動き回った挙句にくたばって吐いてへろへろと戻ってくるのが関の山だと思っていたのだ。前の情報収集の時といい、騎士としての雑務能力は評価してもいい気がするが、する気になるかと言われたらまた別の話だ。というかそんな気があるわけなかったし、キノイにとっても余計なお世話と言ったところだろう。
彼が連れてきた人間の女は、エレノア・エヴァンジェリスタ・アルマスと名乗った。夕暮れの色というよりは、海に咲く鮮やかな珊瑚の色の方が形容としては近そうな、そんな長い髪が目立つ。ライトブルーの目もあわさって、とにかく鮮麗な印象を与えるヒトだった。
初対面なのかと思うくらい、キノイとエリーは仲が良さそうに見えた。が、ドリスはすぐに認識を改める。キノイが延々と喋っているからそう見えるだけだ。恐らくこの勢いで勧誘も済ませたんだろう、と思うと彼の煩わしいお喋りも少しは役に立つらしい。

「ドリスルーブラ・メルゴモルスよ。会えて光栄だわ、エレノアさん」

柔らかな声と態度にキノイがぎょっとしているのは無視して、ドリスはエリーと握手を交わした。人間は好きな生き物ではなかったが、事態が事態だ。ドリスだって猫を被ることくらいはするし、出来る。
自分たちのテリメインでの目的は、キノイが道中で簡単に話したらしい――魔術的リンクの解除法探しと、キノイの失せ物探し、と。魔術的リンクが解除されるとキノイには不利なのだが、これは隠し通せるものでもない。経緯は適当にでっち上げて、説明したのだろう。
エリーの方はというと、異世界の噂と魔術に興味を惹かれて、この世界へやって来たらしい。まず、この海全体に独自の魔力が満ちているくらいなのだから、理由としては納得できた。

早速、ドリスはこれまでのエリーの情報を整理し値踏みをしていた。
陸で動ける人間。社交力はありそう、容姿が良いのも丸だ。実力の方は……協会のテストはおざなりなものだったが、合格している。それに魔術を研究しているらしく、もしかするとキノイとの魔術的リンクの解除法の情報も、彼女経由で入ってくるかもしれない。他にも何か事情はあるかもしれないが、こちらも必要最低限のことしか言っていないから、その辺りは気にするだけ無駄だろう。キノイの勧誘についてくるなんて警戒心に欠けている気もしたが、人が好いのだと思っておく。
要するに――この女、仲間として十分アリだ。とすれば、ここで下手を打って逃がすわけにはいかない。
そう判断して、ドリスはにっこりと愛想良く笑う。

「よくこんな綺麗な子を誘えたわね。アナタには勿体ないんじゃない?」
「うわーっ出たよ無駄な上から目線!! 俺がエリーさん見つけてくるのにどんだけ苦労したか分かってますぅ〜? お前ほんッとに何一つ手伝ってくれないんスもんね、新手のいじめかなにかって感じッスよ! もうアレッスよアレ、性格の悪さが滲み出てるっていうか、さすがアビス・ペカトルっていうか」
「陸酔いとか言ってたくせして全然平気そうね」

ドリスは言葉を発するより早く、キノイの長い尻尾を思い切り、一切の容赦なく踏んだ。すかさず聞こえる小さな悲鳴。
今回に限っては、戯れに踏んだわけではない。こちらが上手くやろうとしているというのに、キノイは"アビス・ペカトル"と口走りやがったのだ。彼も自分のミスは自覚しているようで、恨みがましげな視線を送ること以外は何もしてこない。
アビス・ペカトル――罪人という身分は、隠すつもりでいる。これはキノイとも合意の上だ。
何せ、ドリスが罪人であると周りに知れることは、二人にとってデメリットしかない。ドリスは無駄な敵を作るかもしれないし、共に行動することを強いられているキノイも、罪人を連れていると知られるのはどう考えても印象が悪すぎる。馬鹿正直に話したら、仲間になんて誰もなってくれないだろう。
アビス・ペカトルという呼称はアルカールカ特有のものであろうが、念には念を入れよということだ。説明するのも、また厄介であるし。
ちなみに、目立って仕方がないドリスの枷はというと、魔導具と言い張るつもりだ。正直言って無理はあるが、ここは世界の違いを強調して押し通すことにしている。

「ごめんなさいね、この子うるさいでしょ? 昔からこんな調子なのよねえ」

きょとんとしているエリーに向けて、ドリスは困ったような、あるいは呆れたような笑みを見せた。自分はずっと昔からキノイを知っている、言うなれば近所のお姉さん的ポジションで、彼が子どもの頃はよく悪戯をするなどして親に怒られる様子を見ており、あらあらうふふと笑っていた――そんな感じの、振りをする。
というのも、ドリスはキノイにとって『昔馴染みの近所の姉ちゃん』ということになっているらしい。彼がエリーより先に部屋に入ってきた時、小声の早口でそう捲し立てられた。とても不本意そうに。こちらだって不本意以外の何物でもないが、状況から考えるとこのくらいの関係性が無難だろう。
しかし面倒にも程がある。エリーがこの場に居なかったら確実に舌打ちをしていたし、彼の尻尾を踏みにじっていただろう。
気を取り直し、ドリスはなるべく気遣うような声音でエリーに言う。迷惑をかけた悪ガキの保護者的な感じを心掛けて。

「エレノアさん、私たちと一緒に来ることを無理強いされたりしてないかしら」
「ううん、そんなことないよ。キノイについてきたのは、ちゃんと私の意思だから」
「無理強いとか何言ってくれてんスか人聞きの悪い、ほらエリーさんだってこう言ってくれてるし!」
「キノイは黙っててくれる? エレノアさんはしっかりしてるのね。それならいいんだけど」
「……ええと、でも、」

どこか不安そうに、エリーは視線を落とす。何の問題があるのだろう、やっぱりこの魚が喧しいのでは、と思っていた矢先に、彼女は口を開いた。

「本当に、私で大丈夫、かな。戦った経験とか、あんまり無くて」
「いやあエリーさんが一緒に来てくれたら大助かりッスよ〜ほんとほんと! 戦いで前に立つのは俺に任せてくださいッス、何てったって騎士ッスからね! それにこのクソネーレーイスもまあまあ戦えるッスから」

何だそんなことか、というのが率直な感想だ。自分たちが仲間を欲していたのは、戦力に不安があるからではない。陸が苦手な自分たちの代わりに、陸での活動をしてほしいからだ。それに、キノイと二人きりでこの海を巡るのは御免である。これには彼も同意見だろう。
腕の立つ者ならなお良いのは事実だが、また仲間を探すのも面倒だし、エリーを引き入れておきたい。ドリスの考えは変わらなかった。

「エレノアさんのこと、低く見るわけじゃないけど……どちらかというと、陸上での行動を期待しているの。私たちはアナタより戦闘と海での行動に慣れてるし、アナタは私たちより自由に陸で動ける。一緒に行動することって、お互いの利益にならないかしら?」
「おックソネーレーイスの割には良いこと言うじゃないッスか〜ってことでエリーさん、大船に乗った気持ちで来てくださいっスよ! いや陸の人間の船とか見たことしかねえっすけど! 陸での行動は頼りきりなのが忍びないんスけど、そこは持ちつ持たれつってことで!!」

確認せずとも、キノイの方もここでエリーを仲間にしたいという気持ちは変わらないらしい。彼女を連れてくるまでの陸上行動がよほど辛かったのだと窺える、何と言っても目がマジだ。

「そう、かな。……そうだね、うん。ふふ」

二人がかりでの説得の甲斐あってか、エリーは初めて笑顔を見せた。くすりと笑ったのは、キノイの勢いに対してだろう。

「それじゃあ、これからよろしく」
「よっしゃ、よろしくっスよ〜!」

ぐっとガッツポーズをするキノイを横目に、「よろしくね」とドリスも言う。が、その笑みの裏では、精々上手く動いてくれるといいんだけど、なんて平然と思っていた。
今回は仕方がないから手を組むだけで、ドリスは仲間(しかも人間の!)なんて欲しくはない。煩わしいだけだ。それを表立って言うほど愚かではない、それだけのことだった。
キノイの方は、どうだか知らない。けれども、「折角だからこのまま一緒に飯でも行きません? 俺めっちゃ腹減ったんで、まだ食べてないなら〜」とエリーを誘っているのを見るに、人間だとか、仲間だとかが嫌いではないのだろう。酔狂にも、騎士団に入っているくらいなのだし。

「あ、うん、いいね。私もまだだから……えっと、ドリスもだよね?」
「ええ、もちろん。アナタのこと、色々聞きたいしね」

心にもない言葉に、精々心を込めて。ドリスは"仲間"にそう言った。
――これが、騎士と罪人と研究者という奇妙な三人の出会いだった。